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トレッキング、後の方【ネパール紀行】

日付: 2019/02/28~2019/03/8

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大雪の中 2019/03/28

山村の長い夜を抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。足が止まった。前日からしんしんと降り続いている雪は、1日にしてこの地方の景色を変えてしまった。耐雪装備として軽アイゼンしか持って来ていない自分は、行程を変えざるを得ない。本来は、Gokyo-RiからRenjo峠を超えて、ゆっくりとPhapluに戻る予定だった。しかし、Renjo峠を諦めなければいけないかもしれない。不安焦燥が入り混じる。そもそもNamcheにてくるぶしを超える積雪がある。これより高い場所にはもっともっと雪が残っているだろう。そもそもGokyoに行けるかどうかすら怪しい。サンゲに聞いてみても、「分からない、とりあえず様子を見よう」、だった。現実以上も以下も教えない、サンゲのスタイルをもどかしく思ったけれども、どうしようもなかった。

とりあえず、出発することにした。僕の強い要望をサンゲが汲んでくれたのだ。11時頃の遅めの出発である。本来、Gokyo方面に向かう道へ行く予定だったが、より人通りが多いTenboche方面に向かうことになった。出発を決めて30分で、サンゲが手ごろな価格で雪用のスパッツを買って来てくれる。サンゲは歩くスピードは遅いけど、良い宿を見つけたり、ここぞの状況判断は輝いていた。出発した時、雪はまだ本降りの程だったが、ロッジの主人曰くもうしばらくすれば止むだろうと言う予感だった。1時間ほど歩いただろうか、不意に雪が止まった。そこからの天候の回復は早かった。急にヒマラヤの景色が現れる。そこまでの心のどんよりも一緒に晴れて行った、と言うより希望が見えて来た。ただ、Tenbocheに着く頃には再び雪が舞うようになってしまい、希望がプラス3されて、マイナス2された気分だった。

不安な日ほど、同じ境遇を抱えている他のトレッカーと話すと和む。この日、ストーブを囲んでポーターや他のトレッカー、そしてアイランド・ピークを目論んでいるカナダからの登山者と話をした。Call 5と言う名前のトランプ・ゲームで楽しみ、今後の不安を共有し、情報交換をする。結局、心に抱いている希望は、プラス3されて、マイナス2されたままだった。

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サンゲ・シェルパ

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雲が抜けると山があった

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Tenbocheには世界一高い(?)寺院がある

そろりそろり 2019/03/01

サンゲ曰く、天気はまた崩れるかもしれないということだ。他のガイドも同じような事を言っている。彼らはスマートフォンを使いこなしており、ここ付近の週間天気予報サイトがあるらしい。それによると、2日程は晴れ、そこから先は再び天気が下り坂になると言う事だ(どこで電波を拾ったのか?謎だ)。ただし、先日のような大雪はもうないだろうと言う共通意見だった。また、昨日は引き返して来たトレッカーがいなかったため、道の状態すら分からないし、TenbocheにはGokyoから帰ってくる人はいない。Gokyo-Riに行けば、エベレストベースキャンプ (EBC) より絶景が見られると言うし、なんならこのトレッキングの最大の目的地だ。これを諦めたら来た意味が分からなくなる。だけど、Gokyo-Riに行けるかどうかなんて分からない。Gokyo-Riの途中でやっぱりダメでしたで引き返すと、ほぼ活路が見えているEBCに逃げるよりも悲惨な結末になるだろう。そりゃまぁ、このまま人がたくさんいるEBCに向かった方がエベレストを見れる確率は高いだろうし、道も歩けるだろう。TinbocheからGokyo-Ri行く人なんて稀であるし。だけど、やっぱりGokyoは最初に設定した最大の目的地で、そこに行くと言うのは景色を見るとは別の価値がある。前日まで覆っていた雲は行方不明になり、この日はいい天気だ。こんな中、そもそも本当の本当に天気が崩れていくのだろうか? どうしたものか、どうしたものか、そうこうしているうちにもうこんな時間、とうとう決断できなかった。

11時に出発して、隣の集落、Panbogcheの小さなロッジに泊まった。小さなロッジ程、他のトレッカーと仲良くなれる。この日、同じロッジにいたのは、EBCを諦めて戻っって来た男性と若い3人組だった。男性は日程に余裕が取れなかったらしく、先日の大雪でどうしようもないと判断したらしい。だけど、悲観に明け暮れてなく、また来ると言っていた。更に、道はどんどんよくなっていくよとの確信めいた言葉を残してくれた。その彼は早めに自分の部屋に戻って行き、名前を聞きそびれてしまった。残りの3人組はイタリア人男性(Mario)、マレーシア人女性(Le)、ノルウェー人男性(Anto)で構成された、ハッピーセットみたいな人たちだった。たまたまナムチェで同じロッジに泊まっており、そこで仲良くなってみんなでEBCを目指すことにしたらしい。Marioが絵に描いたような女好きで、イタリア中のイタリアな雰囲気がした。Leは大人しいけど、積極的なMarioをあしらうのがうまい。そして、Antoは1年半程旅をするつもりらしい青年、めちゃくちゃ早口でマシンガントークを披露する。このコンビはつい数日前に会ったとは思えない仲の良さで、不安なんて見当たらない様だった。

小さなロッジで他の人と仲良くなるのは、ストーブのおかげかもしれない。基本的に夜は寒くなるロッジでは、みんながストーブの周りに集まって暖をとる。そして、会話が生まれるのだ。また、ストーブも一風変わっていて面白い。ここらの道でも相変わらずウンコが大量に落ちているのだが、一気にヤクのウンコが増える。そして、このストーブはヤクの乾燥させた糞を燃料にしているのだ。Poop ストーブを面白く思っていたのは3人組も同じだった。
「ねぇ見てよ、あれってヤクの糞?」
「え、マジじゃん。匂いかいでみろよ、きっといい香りだぜ」
「うわー、無臭」
「えー、鼻おかしいんじゃない?」
見ているこっちが面白い。入国した時には、早い英語にはあまり慣れていなかったが、この時にはだいぶ聞けるようになって来ていた。知らないうちに短い期間でもできるようになるんだなー。なんとかなるんじゃね? そう思った。明日には明日の風が吹く。愉快な3人組を見ていると、なんだか勇気と言うか元気をもらえた。

それで、とは言わないけどEBCじゃなくてGokyoに行くことに決めた。

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本当に天気崩れるのって言うくらいいい天気

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名峰、アマ・ダブラム

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Poop ストーブ、匂いはしないが火力の持続時間は短い

決断 2019/03/02

すっきりとした天気の中、Doleにたどり着いた。だけれども、Doleにたどり着いたトレッカーの顔はみんな曇っていた。僕の顔も他の人と同じくらい曇っていたに違いない。果たして天気はどうなるのだろうか、この先の雪の状態はどうなんだろうか。その日、すれ違ったトレッカーはみんなGokyoに行けず、戻って来た人達だった。どの人も、顔がどんよりしているように見える。なんで昨日EBCを諦めた彼はあんなに爽やかだったんだろう。Doleには、ガイド付きの夫婦も滞在していた。この夫婦はNamcheから直接来たらしい。だいぶ雪が溶けて歩きやすくなったけど、Namcheで確認した天気予報が不安だと、ガイドが言っていた。夫婦もこの状況を苦痛に思っているようだった、諦めて明日から降ると言っている。行こうと言おうとしている人もいる。さて、僕はどうするのか。

さて、僕はどうするのか。

大学では、ワンダーフォーゲルクラブ(=僕らの大学では山岳部を兼ねている)に所属し、山に入り浸っていた。2週間の縦走に明け暮れたり、寝不足のまま沢登りに行って滑落しかけたり、様々な山に行って様々な景色と様々な経験に巡り合った。汚い部室。大学の宿舎に住んでいた自分は、狭苦しく閉塞的な部屋からよく部室に逃げていた。部室には、様々な本と様々な道具と様々なゴミが置かれて、居心地がよかった。そして、いつも部室の棚の裏に張ってあったEBCから見たエベレストのポスターに見惚れていた。卒業旅行はこれを見にいこう、山に明け暮れた僕にとってはいい締めになる。いつの間にか、そう決め込んでいた。そして、計画を立て周囲の助けを借りて、今回実行した。多分、決断する前に答えは決まっていたんだと思う。

見えるまで待とう。そう決めた。やらない後悔が一番悪い。よく聞く陳腐な言葉だ。だけど、その通りだ。今、できることを考えて考えて、それに対して最善を全力で尽くす。じゃなきゃ、後悔する。だから、僕は見えるまで限界まで待とうと決めた。果報は寝てばやってくる。

僕は節約のため、往復ともジープを使う予定だった。しかし、カトマンズまで飛行機を使う事にした。また、Rinjo-passに向かうプランも辞めて、無理やり日数を捻出した。予定では19日間かかる予定だったが、行程は既に2日間遅れている。だから、Gokyoやその手前の宿にいられるだけいて、状況が良くなるのを待とう。これをサンゲに伝えると、「OK」とだけ帰って来た。一度決めると頭が晴れ渡った。心が楽だ。その日の夜はなぜか、高校時代の夢を見た。

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*部室に貼ってあった写真。これはWebサイトから引用しました。

歩みを進める 2019/03/03~2019/03/04

ネパールの天気予報は外れるらしい。雪予報は外れ、全くの快晴となった。Doleを出発した僕は、次にMachemeloで宿泊する。嬉しい事に、ここでは前日Gokyo-Riに行った人がいるというニュースが、ポーターを介して届いて来ていた。ほんの2~3日の違いで、行ける行けないの状況が大きく変わるのだ。季節の移り変わりの時期であり、特に余裕のない日程の人は高山病以外で行けないこともあるのだろう。Machemeloの次はいよいよGokyoだ。巨大なチョ・オユーの岩塊を目の前に歩みを進める。雪はだんだんと深くなって来たが、先人のつけた跡のおかげで雪の深さよりは歩きやすかった。この跡から外れると一気に膝上まで沈む。先日の大雪は、やはりかなりの量だったらしい。だが、大雪は悪いことばかりではなかった。かなり融雪が進んでいたこの地域の山々を再び雪化粧させたのだ。黒い岩に白い雪のコントラストはいつまで見ていても飽きなかった。ヒマラヤ地域に人々が魅了される気持ちがよくわかる。

雪原をひたすら進む。たまに現地のポーターが猛烈な速度で僕を追い越す。こんなに薄い空気の中をあんなに快適に走られると、鈍行電車通り越し駅のホームになった気分になる。現地のポーターはこんな雪道でもアイゼンすらつけず、スニーカーのような靴でヒュンヒュンと抜かしていく。僕は日本ではワンゲルに入っており、山歩きには慣れているつもりだった。行けるんじゃないかと思って、僕も軽アイゼンを外して歩いた1分後くらいに大転倒をした。自分の未熟さを知る。

照りつける日差しと雪面からの反射光の中、麦わら帽子をあげてしまったために思いっきり日焼けをしてしまった。まるで、高所登山をしてきた人のような顔だ。あと、ポーターに荷物を盗まれ、身ひとつになってしまったトレッカーとも会った(記録)。しかし、それ以外は順調に進み、Gokyoに着いた。結構悩んで来た割にはすんなりと着いて、拍子抜ける。思いっきり勉強して来たのに、試験が中止になってレポートになった気分だ。いよいよ明日はGokyo-Riに行く。そんなワクワクな気持ちを抱きながら午後を過ごす。よかった、今日は嫌なニュースを流すテレビなんか存在しない。明日の成功を確信した。

その夜、もう飽きを通りこしたダル・バートを再び食べる。きつめに効いたスパイスが日に焼けまくった唇を刺激して痛い。気が引き締まった。だけど、心は晴れたままだった。

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Machemeloを下に望む。しっかりとした雪が付いている。

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Gokyoの集落。奥に見える山が8000 m峰のチュ・オユー。

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Gokyoのロッジから見た外。雪の量はやはり多かった。

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下山後。いかに焼けたかよくわかる。唇の日焼けにスパイスがしんどい。

いよいよ 2019/03/05~2019/03/8

希望と共に目を覚まし、AM8:00、出発した。僕らは最後に500 mほど登り、Gokyo-Riという丘を目指している。Gokyo-Riは、8000 m峰が4座見える街道唯一のスポットであり、それゆえにEBCより絶景だと言われている。今まさに、そのGokyo-Riに向かっていた。体感40度くらいの坂をじくざくに、雪の上では直登しながら登る。雪が多いおかげで、正規ルートのように裏に回るのではなく、斜面を直登する。標高差は大きいけれど、急登だから意外にスイスイ登れる。息は上がったけれど、高山病の兆しは見られなかった。途中で他のパーティーを1組追い抜かして、気持ちよく登って行った。まさに目の前に目標のGokyo-Riがある。今日は山路を登りながら考えない。一心不乱に上り詰めて行った。不意に後ろを見る。Gokyoの村落が眼下に見える。その奥に、巨大な氷河があっていくつかの山々対岸にある。そして、さらに、、、、、

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途中より。8000 m峰が4つ(写真にはないけどチュ・オユーも)

その奥には、エベレストが向かいの山を突き破って顔を覗かせようとしている姿が目に入った。

魔物

まさに、魔物だった。山頂から雲をなびかせて、今にもこちらを覗こうとしている。もっと見たい。早くGokyo-Riに行きたい。足が早まる。後ろを振り向きたくなる。我慢する。エベレストの魔力を背中で感じる。ここまで、Gokyo-Riから見たヒマラヤの写真は見ないように努めて来た。あと少し。この1歩のために何歩費やしたんだろう。耳が冷たい。軽頭痛。ゴールが見えてからが長い。もう振り向くな。達成間際の解放感。息が切れる。憧憬、熱情、願望、夢想。早く近づけ。酔狂、動悸、錯乱、、、不安。
ごちゃごちゃーってなった時に、着いた。AM10:00、頂に着いた。ついに、振り返った。

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まず、なんと言えばいいのだろう。達成感を伴った衝撃。そう、衝撃だった。これまで見て来たどの景色よりも衝撃だった。生々しく、迫りくる景色。殴りかけてくるような景色。細部までリアルな景色。ひたすら圧倒された。ただ単に圧倒された。そして悔しかった。何よりも悔しかった。トレッキング中、いくつかの山を見て来て、登りてーとかって思っていたけど、エベレスト(というかGokyo-RIから見える山々)に対しては登りてーと思わず、ただただ圧巻されていた事が悔しかった。いくらか興奮が落ち着いてきても、やはり魔物に見られているという気持ちは拭えなかった。いや、より魔物が見えるようになって、その気持ちが強くなったのだと思う。5分もすると、だんだんとじわじわっと自分がようやくここに来れたんだという実感が湧いてくる。シャッターを切る。サンゲと一緒に写真を撮る。だけど、いくら撮ってもそれらはキレイな写真にしかならなかった。僕の技術にも問題があるだろうけど、なんだか違う。感傷も、感激も写真には入り込まなかった。ならば、目と心に焼き付けよう。一生この感覚、忘れない。

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最高の一枚ですね(自画自讃)

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サンゲとの写真

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手記より。この日の夜に書いた。写真じゃ無理だったけど絵も厳しい。

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手記より。今思うと、一生この感覚忘れられないんだと思う

結局、停滞はなく、極めてスムーズにGokyo-Ri に行けた。このままPhapluまで歩いて下ってもよかったのだが(Rinjo-la峠は閉まっていた)、自分はGokyo -> Dole -> Namche -> Luklaのルートで4泊かけて、最後は飛行機でカトマンズに戻った。この帰り道でも、シャワーが壊れていて極寒の中冷たい水を浴びたり、サンゲとまた喧嘩したり、話題には事欠かさなかった。僕が歩いて帰らず、飛行機を使ったのは、もしかしたら景色に疲れていたからかもしれない。帰り道、頭の中ではずっとGokyo-Riからの景色が反芻されていて、解放されたい気持ちになっていた。それほどまでに、衝撃だった。
帰りの飛行機でもエベレストの勇姿は反芻されていたけど、飛行機の窓を眺めているうちに、段々と違う違和感が形になってきた。

一番書きたかった事

今回の記事はだいぶ長くなってしまった。それもそうだろう、今回のハイライトだったのだから。ここで見た景色は美しく、リアルだった。確かに、僕はこの景色を一生忘れないだろう。

だけど、もう一つ、重要な体験をこのトレッキング中にした。エベレストの山々と比べると、ずっとずっと地味で、気がつかない。実際に、トレッキング中や終わってしばらくは頭の片隅にこびりついているだけで、深く考えなかった。でも、癌だった。だんだんと、その違和感が広がって来ていて、考えがその事に蝕まれて来た。結局、僕の進路に色々影響を与えたのは、ヒマラヤの壮厳で偉大な景色ではなく、この違和感だった。この違和感がやって来たのは初日のジープの中だ。旅の序盤中の序盤だ。こんなタイミングで不意にやって来た違和感が重要な体験だったのだ。

ここまで書いといてなんなんだけど、僕が一番書きたかったのは、この違和感だ。もちろん、ここまでのエベレストの衝撃も書きたかった。本当に。あと、エベレスト街道の事を書かなければ、この違和感は書けないとも思った。だけれども、僕がずっと消化し切れていなかったのは、こっちの違和感だったんだ。

次回: 一番書きたかったのは

*写真は以下から引用
https://yamap.com/activities/3699972/article





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