【エッセイ】苦手だと感じる「タイトル」とセルフアンサー
時折、明確な理由は分からないがなんか苦手だなと感じるタイトルがある。
この心の動きをいままではスルーしていたが、気になったので分析しよう。
・苦手なタイトルたち
【神回】
【バズる】
【衝撃展開】
さて、なぜこれらの要素が含まれたタイトルを私は心の奥底で忌避しているのでしょうか。
想定される考えは以下のとおりです。
〇内容への評価は自分で決めることではないから
〇これさえ付けておけば視聴者の触手がうごくだろという心根を見てしまうから
まず、1つ目
もちろん自分自身で素晴らしい作品だと感じることに対しては喜ばしいことだとおもう。
自分が心血をそそいで作り上げた作品を好きになれることは、その後の活動を左右するからだ。
しかし、それを外部に公表した際に他人がどう思うかは主観で決めることではない。
「見てみろよ!神回だぜ!」と言われても、神回かどうかは視聴者側が決めることだからだ。
一方で、私の中ではもう一つの仮定がある。
それは物事を始める際にハードルを下げてから行うという私自身の行動様式に起因することだ。
つまり「神回」と付けてしまうとハードルが上がってしまうのでは?と恐れているのではないか、ということだ。
ハードルが上がってしまった状態では、作品を「高い壁」という主観なしでは楽しめない。
それを忌避してるということなのかもしれない。
さて2つ目
視聴者というのは分かりやすいタイトルに引かれる。
テレビの効果音や大きな字幕を見ていても明らかであるように、注意を引くことこそが至上命題だからだ。
その行き過ぎたド派手さが顔面寸前まで無遠慮に近づいてくる感覚が私は気に食わない。
とは言えコンテンツが営利を目的や人気を目的としている以上、この点について反論するのは資本主義の国に住む者として無駄なことだ。
なので別の観点から文句をつけるとするとしよう。
君たちからは侘び寂びを感じないから嫌い。
以上。
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