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からだがあるということ

どうも。
Kabaddiです。

本日、こんな動画をツイートしました。


音楽家・星野源さんが作曲した「うちでおどろう」という曲に、アコースティックギターでアドリブを添えて。
(本当は「星野源氏」と言いたいのだけれど、「源氏」の部分がノイズになるのでさん付けになっているのがちょっと悔しい)

なんとも味わい深いコードで、動画撮影後も1時間くらいこの曲と戯れてました。

これは、星野源さんを中心としたムーブメントで、この曲に対していろんなプレイヤーがいろんなコラボレーションをしています。

もちろんギターだったりベース、ピアノ、トランペット、トロンボーン、バイオリン、歌、コーラス、ダンス、、、

音楽に関わる人間がこの素材にトライして、その結果を「#うちでおどろう」というハッシュタグで繋いでいます。

この動きについてちょっと思ったこと、感じたことを。

このムーブメントのもととなった星野源さんの投稿した動画がこちら。


注目して欲しいのは、完全にアコースティック、アナログでの録音ということです。

多くのミュージシャンがデジタルで録音をしていますが、今回は素材ということもあり、また、「家にいたらできた」という流れもあるのでこういった形に。

これによって何が起きたのか。

曲の速さが一定でなく、
テンポが揺れ動いているのです。

歌い手として、自由気ままにテンポを変えて、メロディが映えるように、歌って気持ちがいいように、フレーズごとに微妙にテンポが違います。

これってすごく自然で素晴らしいことです。
デジタルでの録音では多くの場合クリック、いわゆるメトロノームを聞きながら録音します。テンポが合っている方が聞いていて納得感があるからだろうと、個人的には考えています。
クリックがない方がいい曲っていうのも確実に存在していますし。

さておき。
今回の素材は星野源さんが思うままに、歌いたいままにテンポが速くなったり、遅くなったりしています。

これに合わせることができるのは、そう。
生楽器、もとい「人間が操る」楽器です。

アナログ、デジタルを問わず、人がその肉体や頭脳を使ってこのテンポを認識して、合わせにいかないとこの素材を生かした音楽は作れません。

よく言う「グルーヴ感」ってやつですね。

からだがあることをここに感じる。
その間には音楽という空気を振動させるものがある。
どうやって自分のからだを伝えよう。

ここに今回のこの動きの面白さがあると思っています。
揺れ動く素材に、どう寄り添うか。
寄り添った上で、自分の存在をどう見せるか。

どう解釈し、どう発信するか。

これは星野源との共作であり、また個人の作品でもあるということです。

ある事象に対して、それをどう受け取って、さらに、

「自分ならどうするか?」

という問いが隠されているような気がします。

世を賑わす宣言が出た今宵。
明日から「自分ならどうするか?」をしっかり考えながら過ごしていこうと思います。

動画もしっかり見てくださいね。

では。

今夜はこの辺で。


Twitter:https://twitter.com/KabadieCarolan 2019年9月より毎日更新継続中。日常の何かを切り取って考察や分析をしてみたり、提言したりしています。よければ読んで、よければスキを押して、フォローしてリアクションメッセージをご確認ください。