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春と嫉妬


春に好きな人と桜を見る機会があった。
前日は緊張であまり眠れなかった。その人とはじめて手を繋いだ日から三日間、スープ以外の食事と睡眠が満足にとれなかった。そういう時、仕事はなぜか気合いが入る。
それより前のまだ気持ちを口にできていなかった頃、その人のことで頭がいっぱいになってなにも手につかなかった日があった。喉が渇いて(こういう時に喉が渇くのは薬物と同じものが体内で出ているからなんだろうか)、恋人がいる可能性に落ち込んで、そんなことを気にして落ち込んでいるじぶんも気持ち悪かった。話したいと嫌われたくないが等しく左右の皿に乗っていて、ああもうだめだこんなに好きになった人には好きになってもらえないんだろうなと、悲しい時に作るきのこいっぱいのカレーを作って食べた。いつだって恋愛は身体に合うまでに時間がかかる。
その人と、どうしてか桜を見に行くことになった。わたしが誘った。わたしが誘われることはない。やっぱり緊張していて、ずっと心臓がうるさかった。話そうと思って頭の中にリストアップしてあったことは汗で滲んで読めなくなってしまっていた。桜。ちょうど今週が見頃で来週降る雨が散らしてしまうでしょうと天気予報のお姉さんが言っていた。桜。横目で見たら更に緊張して見なければよかったと思った。桜。名前のわからない鳥が三種。緊張を隠すための会話。話してくれたことはぜんぶ覚えておきたいけどまた聞くかもと思う。また顔を見る。顔を見て、逸らして、もう思い出せなくなる。こんなに好きになった人には好きになってもらえないんだろうなと思う。
ふたりでベンチに横並びに座ってから、やっと景色が見えるようになった。晴天だと思ってたけど意外と空は曇っていた。途端に気が抜けて、別の理由で学校行事を休んだ同級生カップルが実はその日遠出の旅行をしていたという話をしてしまった。人々が話していたわたしがおもしろいと思っているわけではない話をして、まるでわたしも人々であるみたいな顔をしたかった。彼は笑わなかった。彼は人々ではなかったし、人々であることも求めていないのだと感じた。好きだなと思った後に薄さを見透かされた気分になったから、わたしはわたしを守りたいばかりではないようだった。
見えるようになったら、道端に白い花の塊があることに気づく。浅瀬に鳥が数えられないくらいいて遠目で見ると一体化したり分裂したりしていることに気づく。海の向こうの行ったことがない街の話をする。桜の木が揺れる。
最近発売されたレモンサワーの缶を持っている人が歩いているのを見て、お酒飲みたいなと言うと呆れられた。話題と理由がほしいだけだった。麻雀と約束ができない大人が集まるにはお酒か煙草がいる。お酒がなくても話はできるけど、お酒を飲んでいない人にはじぶんの話ができない。じぶんの話って、一箇所だけ新品にできるなら身体のどこを変えますか、家にあったらいいなと思う公共の物ってなんですか、薄くでも女なんてって思う時ありますか、わたしはがんばって思わないようにしています。そんなこと。
でもちゃんと、困らない話ができるようになった。この人とはできるかもって思ったけど、レターパックは送り主の欄にも様が付いていて一手間増えるって話しかできなかった。身体のどこを新しくしたいか聞きたかった。一人生き返らせられるなら誰を生き返らせるか聞きたかった。足が速くなるためになにまでなら捨てられるか知りたかった。
帰り際、裏道で軽くキスをした。わたしが腕を引いた。驚かせてしまった。すこしまえこれは趣味の飲み会でカップルが駅でキスをしていたというデマを飲み会中流されるという日があったのを思い出した。そういう時もあるよねとフォローしたら、聞き取れたか聞き取れなかったかわからない女の子が悲しそうな顔をしていて、ほんとじゃないんだ、そしてここにいる人は駅でキスをこっそりでもしないと思ってるんだということに驚いて、フォローの方向性を変え、続いて驚いていないふりをする努力をした。忍んでいて犯人みたいだった。
その恋はお互いの生活には敵わなかったし、わたしには足りないものばかりだった。季節が変わっても桜は綺麗だった。悲しくてきのこカレーの味がして、きのこカレーを作るのをやめた。嫉妬してしまうところは治っていなかった。嫉妬するのは恋愛に関することくらいなので、恋愛は人生の中で重要な要素だと信じているのだと思う。恋愛あってほしいと思ってるんだと思う。仕事ができていない時に人を見てしてほしいものだ。
それから暫くして友達が、好きな人と連絡を断つ理由として「好きになってもらえなかった」「もう疲れてしまった」と言った。ぼくら限界値を引き直すのがうまくなったね。彼女はきっと、腸かなって教えてくれる。

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