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エッセイ◆何故、惹かれるのだろうか◆

何かを好きになるのに理屈はいらないというが、それでもそれなりのキッカケであったり、理由はあるものだと思う。
それを形として自分が認識しているかどうかは別としても。

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わたしは、どうも、ものすごく整いすぎたもの、完璧なものには、あまり惹かれないようだ。
上手く言えないのだけれど、わたしにとってそういうものは何処にも引っかからずに、すーっと通り過ぎてしまう。無機質な感じがしてしまうからだろうか。

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あまりにも優れて完璧なものや人は、感嘆の対象になっても、交感の対象になるには違いすぎるからなのかなとも思ったりするが、これも同程度の完璧さを持つもの同士なら違うのかもしれない。

しかしそもそも、完璧の定義だって曖昧ではないか。何をもって完璧とするのかを言い出せばキリが無くなりそうだ。

だから此処では、あくまでも、わたしから見た完璧を対象として話したい。

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思うに弱みを見せてくれるということは心を開いてくれたと言うことで、それは人と人の距離を縮めるキッカケになる。
それから、日頃、穏やかに落ち着いて動じないひとの動揺や涙にも心を激しく揺すぶられる。生身の心が見えるからだろう。

そういうものが見えて初めて惹かれる。
ただ、美しいだけとか言動が正しく爽やかなだけでは、感心はしても惹かれる対象にはならない。

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元々、わたしのパーソナルスペースは広い。
一見、人当たり良く、穏やかに見えても、あまり一気にズカズカと無神経に踏み込まれてくることは好まない。
これは臆病者ゆえの自己防衛の意味が大きいのだと思う。

元々、底の浅い人間なので、それが、さらけ出されて軽蔑だの失望だのをされるのが怖いのだ。
それで離れていく人は追わない。
一人前に、それで傷ついていた時もあったけれど。
今だって傷つかないといえば嘘になる。
なんで勝手に期待して、期待通りじゃなかったら、ガッカリされなきゃならないんだと思いもした。
でも今はただ、期待に添えずに申し訳ありませんでしたと思うだけだ。
向上心は無いのかと言われれば一言もないけれど、聞く耳は持っても振り回されるのは本意ではないから。

わたしの場合、これは成熟したというより、疲れてヘタレただけかもしれないけれど。

だから尚更、このわたしのダメぶりを知っても離れていかずにいるひと達には感謝しかない。
そして、しみじみとじんわりと惹かれる。

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わたしは自分の正しさしか見ようとしない傲慢な人や、反対に何もかもを人のせいにして不平不満ばかりいう人は苦手だ。

だけど、日々をコツコツと生きているひとが零してしまう弱音は愛おしいと思う。
痛みや挫折は辛く厳しいものだけど、それを経た人に奥行きを与える。
それと想像力も。

想像力のない人間は、どれだけ全てを持っているように見えても寒々しい。
人としての可愛げって大切だと思う。

 痛みを知るひとに惹かれる。
 迷いを知るひとに惹かれる。
 省みることのできるひと。
 言葉の意味に想像力をもてるひとが
 好きだ。

そういうひとは美しいと思う。
でこぼこで傷つき沢山の色で汚れていようとも、わたしは尊いと思う。

そして深く、惹かれる。


「いつかこんな冬の終わりに─心象風景の欠片たち─」つきの より

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