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2021/5/31


よく、自然界をピラミッドで例えられるけど、僕は自然……というか世界はピラミッドじゃなくて輪っか(循環)だと思う。

言いたい事をうまく説明できるか分からないのだけど、植物・小生物・大型生物・人間……何かを食うものが居れば食われるものも居る。そしてみんな其々死が訪れれば自然に還る。死骸が分解され、作りだされたそれから植物が生長する。またそれを食べる何かがが居て、それを食べた何かを何かが食べる。(何かしらの理由があって自身の身を差し出す生物はいるが、勿論「はいどうぞ」と大人しく食べられる生物の方が少ない。それは人間だってそう、思考を停止した人は置いといて)食べられたもの・食べたもの達はまた土に還るし、植物がそこから芽生える。
何だったら冬虫夏草の様に生物を食う植物(菌類)もいるし、毒性の植物を食べたら最悪の場合は死に至る。その死骸をまた分解されたり何かが食べる。自然の過程の中で、人間を含めた動物が酸素を吸って二酸化炭素を作りだして、二酸化炭素を吸って育った植物が酸素を作りだす。その酸素をまた生物が吸う。そうした過程、時には自然災害等に飲まれながらも個々の種というものや自然や世界は失うことなく廻っている。(ただ、人間が手を加える事でその循環が崩れる事が多々あるけど……)

だから僕はピラミッドではなく〝輪っか(循環)〟だと思う。
人間の死後も幾ら骨壺に入るからって、長い時間が経てば骨は溶けて自然に還る。(棺はどうなのか僕は知らない)

前に別の記事で書いたけど、「みんな世界の中で助け合っている。人も動物も自然も、みんな世界の中で助け合っている。みんなで世界を造り上げている」


追記
例えばカルガモの雛が猛禽類やカラスやその他の捕食者に食べられたとして、人間の中にはそれを可哀想だと言う者も居るけれど、雛や親鳥も虫や植物を食べる捕食者だ。人間だって肉や魚や野菜を食べて命を命で繋いでいる。
可哀想だと思うのは個人の感情だが、可哀想だからと猛禽類やカラスやその他捕食者(彼らだって生きている)をその環境から追い払ったり駆除するのは人間のエゴだろう。それは命に差をつけて人間の価値観を押し付けている。そしてそれをする事でその環境のバランスが崩れるきっかけにもなってしまう。


自然界の善悪ってなんだろう?