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宇宙人への手紙②私は自分が何者なのかを知って、生き方を学べるようになる。

はじめに:こちらは宇宙人からもらった手紙の返事として私のはなしをしていく、というスタイルで書くエッセイみたいなものです。(この文句あと何回かだけ冒頭に置きますね。)
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こんにちは。こちらは少しだけ涼しい朝を迎えました。夏は得意ではないので、はやく涼しくなってほしいものですが、秋の長雨はご勘弁願いたい、なんてわがままですね。

さて、今回は私を語る上で避けては通れない、病気について話してみようと思います。

私は私の病気がなんであるか13年知らないまま、正体不明なそれと付き合い続けてきました。何か知りたい気持ちはそのうちに芽生えてきましたが、とうとうそれをすることはありませんでした。いまさらのように担当医に聞くのも、私にはなんとなく出来なかったのです。

精神疾患であるのはよく理解していました。最初の頃はパニック障害だとか不安障害だとか診断されていたんだった気もします。あとは自律神経失調症とか。最初の何年かの記憶はかなりおぼろげにしかありません。あ、もし病気がどんなものか知らなかったら読み飛ばすか、これを機に調べてもらってもいいかもしれません。

ともかく私自身は便宜上、鬱だ、と説明することも多かったし、そうなんだろうと思っていました。ただ、4か所の病院にかかっても、医師にはっきりと「あなたは鬱です」と言われたことがなかったのです。ちなみに今の先生とはそろそろ8年くらいの付き合いになります。

そんな私がいよいよ己の診断名を知るときが来ました。

私は精神障害者保健福祉手帳を手に入れるために、担当医に診断書を書いてもらったのです。そして私はその診断書を提出の前に開封したのです。(内容には目を通した方がよい、また私には読む権利があるとネットで読んだので。)

そこにあったのは「統合失調気分障害」でした。

へっ?

それが私の感想でした。まず統合失調気分障害とは何かを知りませんでした。しかし統合失調症と関係があるのは分かります。ですが、私は私を統合失調症だなんて思ったことがなかったのです。

私はその病気について調べました。簡単に言えば統合失調症に鬱病がくっついたようなものだと理解しました。

私は幻覚や幻聴を見たり聞いたりしたことはありません。突拍子もない思い込みだってありません。いや本当になかったかは自分では分からないので、周りにも確認しました。やはりありませんでした。

入院していた時、統合失調症の人が多く、(失礼かもしれませんが)私よりずっと大変だと思っていました。友人の職場に統合失調症の人がいるとき聞かされた時、(同じ精神疾患でも)あなたとは性質が違う、というようなことを言われました。

それがまさか、私が、それだったなんて。しかも鬱とのダブルコンボかよまじかよ勘弁しろよ。

しかしながら、上記のような症状は私には一切なく、そういうものが統合失調症の主だと思っていた私は、すぐさま統合失調症について調べ始めたのです。そうしたらなんとまあ、当てはまる当てはまる。驚くほどに合点がいきました。

もちろん素人がネットのあらゆるページから得た知識、間違っている部分も偏りもあるのかもしれません。ですがそこにあったのは、私ができないと苦しむ部分が病気のせいだと言ってくれるものでした。まあ鬱としても当てはまる症状ではあったのでしょうが、明確な診断名はそれを裏付けして、私を納得させたのです。

特に思考障害や認知機能障害の症状は、病気の一部だとは、半分くらいしか思っていなかったので、病気の「せい」にできることにひどく安堵しました。

この辺りは仕事中に本当に苦しめられました。とくに調子が悪い時には顕著でした。そしてより一層苦しむ、悪循環になってしまうのです。

なんで言われたことが覚えられないのか。覚えられないのにどうしてメモを取れないのか。どうしてメモの内容がいつも足りなくて意味をなさないのか。考えて動いているはずなのに、頭を使えと言われるのはどうしてなのか。3分前に指示を出してき人と顔を見て話したはずなのに、3分後にはそれが誰なのかスタッフ全員の顔を見比べても、どうして分からないのか。自分が何を話しているのか分からなくなるのはどうしてなのか。言葉がすんなり出てこないのはなんなのか。元気がない時に怪我をする(全治2か月以上だし何年も経った今も痛むやつを2回しました)のは注意力が欠けているせいなのか。

もしかしたら全部は病気の症状じゃないのかもしれません。でも、沢山の「(努力しているのかもしれないが)多くの人にはできるだろうこと」「そして私が上手くできないこと」に私は苦しんできて、自分は駄目な人間なのだと思ってきました。そういうものを怒られたり、やる気がないのだと言われたり、嫌みを言われたりもしました。

でもそうじゃなかった。「病気のせい」で「私にはできかった」のだ。

そう思えることはとてもとても大きなことだったのです。

本当は、自分より大変だと思っていた人たちと同じ、ともすればその中でも重い方かもしれないと分かり、かなりのショックも受けました。
でもそれと同時に自分が何者かを知ること、漠然としたものに名前を付けることが私にはとても有効でした。

得体の知れない物の正体を知った私は、適切な付き合い方を探すことができるかもしれないし、病気のせいだと思えることが増えるのかもしれません。そしたら私はもっと息をするのが楽になるのだと思います。

頭で病気の症状と思えても、心が理解するのには時間がかかるのかもしれません。でもいつかのその瞬間というのは、知らなければ訪れない変化なのじゃないかと思います。

それが、そう遠くない未来でありますよう願ってやみません。

そういえば先日自己紹介にて、私と病気と学校と仕事についてお話ししたのでよかったら見てみてください。またいつか話すかもしれないけど。

P.S. あなたが素敵な週末を過ごせますように。

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