ショートショート:理想の自分
「田中さん、手術は問題なく終わりましたよ」
私はそこで目が覚めた。瞼、というよりも光学レンズのシャッターを開くと蛍光灯の明かりに眼がくらんだ。
「随分と眩しいですね」
「最初のうちは慣れないと思います。なにせ眼球ではなくレンズですから」
目の前に手術を担当した医師の姿があった。ただ、医師といっても白衣ではなく機械油の染みがついた繋ぎを着ている。
「さて、これで田中さんの身体において有機的なパーツは脳だけとなりました。それ以外の部分は交換できますが、くれぐれも頭は注意してくださいね。大抵の患者さんはよく無茶をする傾向にあるので」
そう忠告をされた後、いくつかの書類にサインをしてクリニックを出ようとした際に医師からまた声をかけられた。
「田中さん、人工皮膚はいいんですか?今ならサービスで直ぐに手術できますよ」
「あれは高くて手が出せませんよ。この身体で十分です」
「そうですか、顔だけでもお勧めしておきますけどね」
医師の勧めを断るって家路につくと周囲の視線があからさまに私に向けられているのが分かった。
さすがにこの時代になっても全身換装する人はかなり少ない。大抵はケガや病気で悪くした部分をサイボーグ化する程度だ。そうなればあからさまなロボットのような見た目が歩いていれば注目を集めるのは致し方ないのも分かる。
だが、それだけの価値を私は既に感じていた。
歩いていても疲れることはもちろんないし、背中に流れる汗の不快さを覚えることもない。生来の暑がりだった私にはこの上ない心地だ。
初めの一週間は何の不満もなかった。通勤電車で揺られていてもジャイロセンサーのおかげで微動だにせず立っていられるし、デスクワークで腰も肩痛めることはなくなった。
「田中君、サイボーグ化してから仕事が早くなったんじゃないか」
「体が疲れないからでしょうか。さすがに脳は生身なので午後は少し眠くなりますがね」
「仕事が順調ならそれで十分だ。期待しているよ」
珍しく上司に褒められた。これもサイボーグ化のおかげかもしれないと思うとやって良かった。
それから暫くして友人と仕事終わりに飲みに行くことになった。是非私の身体を見てみたいというので、上機嫌に快諾した。
「こりゃすごいなぁ。本当にロボットじゃん」
友人は私の腕を取って軽く叩くと、乾いた音が響いた。
「まぁね。おかげで蚊にも食われないし」
「とはいえ声がな…」
「声?」
「あぁ、お前の声だよ。話し方とかは変わらないけど、声が変わってるから本当にお前なのか疑っちまうよ。お前の振りした別のロボットと見分けもつかないしな」
また別の日に実家へ帰省すると、母は先日の友人以上に何とも言えない表情を浮かべていた。
「また、随分思い切ったんだね。本当にお前なのかい?」
「本当だよ、噓をついて何になるっていうんだい」
そう返しても母は全く納得いっていないようで、私の身体を隅々まで見渡していた。
「お前の耳と目は死んだお父さんにそっくりだったけど、見る影もないね。爪の形は母さんと同じだったけど…」
「わかった、わかった。勘弁してくれよ」
それからというもの、私は誰に会っても同じように怪訝な顔をされ、本当にお前なのかとよく聞かれた。それがずっと続くと私も嫌気がさしてきたので、かつて手術をしたクリニックへと駆け込むことにした。
「そうですか、かなり日常生活で苦労されているようですな。一番良いのは、人工皮膚のコーティングと顔のパーツの換装、それに声のチューニングでしょう。少し高いですが、医療ローンも組めます」
「ぜひお願いしたいのですが、直ぐにできますか?」
「それなんですが、今すぐ予約しても3年はお待ちいただくことになります」
「そんなにかかるんですか…」
まだこの生活3年続けるのかと思うと嫌になるが、仕方ない。待ってでもどうにかしなければ人と会うのも嫌になってくる。
「皆さん、田中さんと同じような理由で来られますね」
理想の自分が自他共に一番良い、という訳ではないようだとつくづく痛感した。
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