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夜中の2時。体が冷たくてガタガタ震えてハッと目が覚めた。
日中はあんなに暖かかったのに、寝る頃には室温がぐっと下がっていたからなのか、それとも怖い夢を見たからなのか。心から怖いと思えるような。


夢の中で自分が死んだ。

死ぬ直前、全身の力が自分の体と骨からずるっと抜けおちた。頭は冷静で死ぬ瞬間にいることを理解している。痛みもない。

「あ、死ぬ」とわかったほんの一瞬、自分が死んだ時の家族の様子が見えた。笑も福もわんわん泣いている。その二人をママが抱きかかえていた。

死ぬ直前の瞬間。幸せだった場面がぱっと浮かんた。

大笑いしながら4人でごはんを食べたこと。
公園で走り回って遊んだこと。
喧嘩した後にぎゅっとしたこと。

やっぱり死ぬのやめます!死にたくない!

だけど、もう遅いという絶望に呆然とした。


きっとぼくは自ら死を選んだんだと思う。


夢だ夢だと目を見開いても、起きられない。現実に戻れない。なんてことをしてしまったんだ…と絶望して泣いていたら目が覚めた。



小さな絶望

人はいつか死ぬ。だから死に対してはドライな考え方を持っている。父が死んでも涙も出なかった。自分だって別にいつ死んでもいいと思っていた。

自分が始めた事業でしんどい思いをしていて。
この借りているお金を返せなかったらどうしよう…
自分の能力でこれからどう生きていけばいいんだろう…
全てを失ったらどうしよう…

いけるいけると強くあれることもあるけど、同じように絶望にいる時間もある。
何もかもうまくいくと思える日もあるけど、こんな自分になにができる?、、と蔑む時間もある。
可能性しかない!と気持ちが大きくなれることもあるけど、ああなぜこんなことになってしまったんだと後悔しかない日もある。

全てをリセットできるのが「死」なのでは?と考えてしまうこともある。


目の前の時間

昨日、7歳の長男と図書館に行き、目の前の大きな公園でサッカーをして遊んだ。

大きな声を出して、走り回って、PK勝負をして、ブランコをする息子を眺めて、ドッチボールの練習をした。

「今はできなくても、毎日ちょっとずつ練習してたら上手になるから」

と自分はドッチボールで最後まで選ばれなかったくせに、偉そうに講釈を垂れたり。

楽しく遊んでいたら、サッカーチームの人に声をかけられた。「来週ここでサッカー教室の体験会があるから参加してみませんか?」と。

息子には団体スポーツをやらせたいのもあって、申し込みをすることにした。本人は乗り気じゃないけど、やってみて嫌だったらやらなくていいからと。夜、下の子3歳に聞いたらやりたいというので、来週は2人ともサッカー体験となった。

「パパちょっとだけジム行ってきていい?」と聞くと「いいよ」と言ってくれたので、夕食前に一人送り出してくれた。

帰ったらご飯が用意されててまだ誰も食べ始めてなくて、みんなで一緒に食べた。

公園で楽しく遊んだこと。久しぶりに長男と二人でニコニコしたこと。彼が図書館で選んだ本が思いがけない「深海魚」だったこと。2人ともモリモリご飯を食べたこと。ウルトラマンの並べ方が上手になって驚いたこと。「明日は頑張って早く起きようね」と約束して「おやすみ」したこと。


死ぬ直前、なんてくらだない事で死のうとしていたんだと後悔しかなかった。死ぬなんて簡単に考えてはいけない。どんなに絶望だったとしても。

殺されない限り、堂々と楽しんで生きよう。まだまだ家族との時間を過ごしたい。息子たちの成長も、パートナーとの時間ももっとちゃんと見ていたい。

初めてそんな風に思わされる、怖い夢だった。

(1465文字)


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