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もっと深くまで

思うことは自由。
それはつまり、感じることも自由だということ。

でもこれは言ってもいいことなのか、言わずにおくべきかの判断は意外に難しかったりする。
自分はこんなに傷ついているのだと表明したとして、
それを言うことがまた自分も同じように相手を傷つけているのではないかと、また悩む。
言っても言わなくても傷つくのだと察してしまう。
そんなの気にしてないよ、くらいの軽やかな人だったら、何も深く思わず、安易に防御するようなこともなかったのだろうか。

発言が怖い。
少なくともそんな気持ちは確かにあるのだと思う。
あんなことを言ってしまった、
あんなこと言わなきゃよかった。
こんなことも言えなかった、
なんでそんなこと言うの?
そうやって迷っては閉ざす言葉たち。

共感、共有が心を繋ぐのだとしたら
理解し合うことがない限り心はすれ違い、
お互いに救われない。誰が救うのだというのだろう。
そんな中途半端で何も安心など生まれないのだから...

分かりたい、分かってほしい、
心の揺れはここでもまた起きていたんだ。
気にする者同士では深い場所に辿り着けない。
どうしたって浅瀬に続く上辺だけのような関係性。

"もっと深くまで来て"。
それは"もっと深くまで知って"と願う気持ちそのもの。
深い場所にいながら、そこにいる人たちを探してた。
もっともっと深くまで行ってしまいたくなる衝動。
似た者同士、深くまで潜ろうとする習性だった。

別に深いからって暗闇ばかりとは限らない。
光っているものも見つけることができるから。
何かを見つけ、自分に満足できたなら
それはきっと永遠の宝物になる。

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