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#116 尺が合わん。
こんにちは、鏑木澪です。
立派に61鍵のMIDIキーボードを買っておきながら、まったく弾けない人間が通ります。
弾けなくても、ゆっくり押さえるくらいならできるので、コードを確認したり、メロディーを拾ったりする時に役立ちます。
ちゃんと弾けるようになりたいな。
(練習あるのみ←)
また、謎のコマ撮り作ってみました。
今回は、音もつけましたよ!
コマった。 pic.twitter.com/MKl8taGIci
— K.mio (@K_Mio2) September 20, 2022
どうしてキーボードの上に乗せたのに、ギターにしようと思ったんだろう。←
謎です。
先に動画を作ったのですが、「なんかギターを使ってかっこいいバトルシーンみたいな音楽とみせかけて、気が抜けてる感じの音入れたいな」というイメージが湧いていたので、それを作るべく頑張りました。
ギターも所持していますが、弾けません。
ベースも同様です。
音の並びなどを確認する時に役立つので、持っていて良かったと思っていますが、とても自分が弾いた音なんか録れないので、私の曲はすべて打ち込みです。
弾かない前提なので、弾ける人たちが見たら「ありえねぇ」みたいなこともしょっちゅうしてしまっていると思います。
(なんのための確認←)
弾けたほうがいいのは間違いないのですが、練習したところでそれを専門にしている人には敵いませんから、私は作曲を頑張って、いずれ自信が持てたら弾ける人に演奏をお願いしたいと思っています。
遠い道のりだわ。
普通、こういったものを作る時にはタイムシートを使って、あらかじめきっちり計画を立てて管理するものだと思います。
ダメだ、全然わかんない。
1秒が分割されてどうのこうのといわれても、脳みそが仕事してくれない。
以前はここでストップしてしまって、作るのを諦めていました。
もういいや、知らない。
雰囲気でやっちゃうもんね!
ということで、作ってみましたが、
やっぱり、尺が合わねぇ。
とりあえず、「好き勝手に動画を作って、それに合わせて音を調整すればいいじゃん」という考えで動き始めました。
なるほど、「ここからここまで〇秒ね」と思って音を作ったはずが、
足りない。
はみ出す。
あ、ダメだこれ。
やっぱ、ダメだ。
甘くないですねぇ。
普段観ているアニメの凄さを改めて感じます。
全て勘でやっているのが、一番の問題ですね。
独学といえば聞こえはいいですが、私の場合、たんに無知なだけです。
少しでもきっかけがあればそこから調べられますが、存在すら知らなければ、そこに行き着くのは容易ではなくて、しなくてもいい遠回りをしている気がします。
まぁ、それも自分で選んだ道ですし、今のところ遠回りのおかげで見つけたこともあって、可能性が広がっている気もするので、今しばらくこのまま足掻いてみようと思います。
結局、私は何がしたいのだろうか。
「全部ひとりでできる人」には、昔から憧れています。
誰かと協力して何かをするのも素敵だけれど、「ひとりで作った」のなら、誰にも横取りされないし、「他の誰かに侵食されていない私が作った世界」が愛おしいと私は思うので、大切にしたいのです。
うわぁ、傲慢だわ。
本当に”ひとりきり”でできることなんて高が知れています。
どうにかならないものかな。
(自分でどうにかするしかない)
話は変わりますが、今、ふとペン立てを見ていて、とある鉛筆が目に止まりました。
中3の時に、担任の先生にいただいたものです。
太宰府天満宮の鉛筆です。
当時、大学受験を控えた高校生が通う塾で勉強していた私は、小学生の頃に漠然と「あそこに通いたいな」と思っていた高校に合格するだけの学力が身についているとまわりの大人たちにいわれても、まったく自信がありませんでした。
その自信のなさから、学力的には余裕で合格できる部活の強豪校からの誘いに乗っかって、推薦で簡単に受験を終わらせてしまい、”学問の神様”のお世話にはなりませんでした。
ここで私が、「学問」を選んでいたら
どんな人生になっていたかなと昔はよく考えていました。
最近は、もう7年も前のことなので、単純に記憶が薄れてきたのと泣き叫ぼうが、どれだけ悔もうが、あの時の選択、あの過去を変えることはできないのだと納得したというか、「逃げた報いだな」とか思っています。
大学も指定校推薦だったので、人生で一度も「つらい受験」を経験していません。
大学では部活に入らず、ちゃんと勉強しようと決めていて、それを楽しみにもしていたのですが、安全だろうと思って始めた学内アルバイトが想像もできないようなブラックで、途中からは流行病もあり、思ったような学生生活は送れませんでした。
報いだな。
高校の部活は全国大会に出場するのが当たり前で、ベスト4に入賞したこともあり、練習もそれなりに厳しく、理不尽なことも多々あったので、「少しくらいブラックなところでも平気」と思っている自分がいました。
「私は平気」と思っているうちに、どんどんおかしくなっていたことに気がついたのは、流行病で学内アルバイト、体よくいえば”実習”が中断されて暫くしてからでした。
自分の言動や行動の異常さ、心身の不調。
強制的にそこから切り離されるまで、自分がどれだけおかしくなっていたか、本当にわからなかった。
それからは、後悔の嵐でした。
自分の選択、自分が他人にしてきたこと、自分が他人にされたこと、そういったことを思い出しては、落ち込んでいく日々です。
どこで間違ったのかな。
何が悪かったのかな。
その考えが行き着く先はいつも、「中学生の時の選択」です。
そんなことを思い出させる鉛筆ですから、折って捨ててしまおうとしたこともありました。
それでも、ずっと捨てなかったのは、担任の先生が「私の選択の結果」を予想してかけてくれたであろう言葉があったからです。
私は、この鉛筆を
いつ使ってもいいんです。
早いとか、遅いとかないから。
自分さえ、その気になればいつでも。
ふと、そんなことを思い出した夜でした。
なんでもやっていいんだ!ッ
やってやるんだ!ッ
ではでは〜
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