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バルカン半島を突き進む【前田家の世界一周】

2024年3月から、スペイン→フランス→イタリア→スロベニア→クロアチアと渡り歩いてきました。これは何を意味するかというと、旅人には重要であるシェンゲン協定の加盟国に滞在し始めて、1ヶ月くらい経過したということです。

シェンゲン協定では、最長6ヵ月間に90日滞在可とされています。まだ1ヶ月しか経っていないので、日数に余裕はあるものの、5月下旬に再度フランスへ戻り、1ヶ月ほど、他のヨーロッパ各国を周遊する予定もあります。

また、旅の予定から、5月18日からはヨルダンにいなければいけません。つまり、4月から5月中旬まで、シェンゲン協定の日数を使い切ることなく、この辺のエリアでゆったりせねばなりません。

そんな感じで、ビザや、旅のスケジュールを気にしながら、バルカン半島を突き進んで行きます。


バルカン半島ツアーのまとめ

バルカン半島、前田家風に言うと「バルカンズ」は、南東ヨーロッパに位置する地域を指します。すでに訪問済みである、スロベニアとクロアチアに加えて、

  • アルバニア

  • ボスニア・ヘルツェゴビナ

  • ブルガリア

  • ギリシャ

  • コソボ

  • モンテネグロ

  • 北マケドニア

  • ルーマニア

  • セルビア

  • トルコ(欧州部分)

これらの国がバルカンズとされています。

今回の旅では、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、北マケドニアへ訪問し、最終的にはギリシャに辿り着く予定です。ギリシャ旅は、書きたいことがとても多いので、別記事にしたいと思います。


スケジュール

これら4カ国を16日間かけて旅をしました。

4月9日〜4月12日 ボスニア・ヘルツェゴビナ
4月12日〜4月15日 セルビア
4月15日〜4月19日 コソボ
4月19日〜4月24日 北マケドニア

このスケジュールを組む上で重要だったのは、ラマダンの存在でした。バルカン半島には、一定のイスラム教の人口がいます。ラマダン中にイスラム教ヘビーな地域へ行くと、お店も閉まっているところが多いため、詰みます。そのため、2024年のラマダンが終わる4月9日以降に、バルカン半島の深い部分へ入ろうとしていました。


移動ルート

バルカンズ旅のルートはこんな感じでした。移動は全てバスです。

モンテネグロ、アルバニアなど、近くまで行く国もありますが、この辺の国は夫が以前に訪問したことがあったので、今回はスキップしていきます。


バルカン半島の国々にて

ボスニア・ヘルツェゴビナ

美しきクロアチアを後にし、ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下、ボスニア)へ向かいます。

ボスニアは、1992年にユーゴスラビアから独立した後、1995年まで激しい内戦が勃発しました。戦争が終結した後は、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国から成る連邦制国家になっています。そのため、ボスニアの大統領は3人(ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人)もいるそうです。

ボスニアに行く前は、この戦争のイメージが強く残っていたこともあり、なんだか行くのが怖いなと思いながら向かっていました。


久々にシェンゲン協定を抜けるため、クロアチアの出国、ボスニアの入国作業がありました。今後の旅でもほぼ同様でしたが、出国時はバスの運転手さんがパスポートを集め、スタンプをまとめて押してきてくれます。その間、乗客はバス内で待機。入国手続きの際は、バスを降りて入国審査を受けます。

クロアチア・ザグレブからボスニアの首都、サラエボまでの移動は、意外と長く、久々に疲れました。

到着した日はちょうどラマダンの最終日。次の日から通常運転かと思ったのですが、普通に色んなところが休みで困りました。

かろうじて午前中だけ空いていた小さなスーパー

ヨーロッパに来て、特にこの辺のバルカン半島の国々に来てみると、様々なサービス系のお仕事は日曜にしっかり休む文化があります。ラマダンのような宗教的なイベントの時は、間違いなく休みます。

日本は今でこそ、年中無休!が普通になっていますが、私が小学生の頃はそうでもなかった気がします。不便だったかもしれないけど、生活はできていました。日本も、それでいいじゃないか。休めば。資本主義に逆らうようなワークスタイルも、別にいいじゃん。って思ったり。

話がそれました。

ボスニアでは、観光エリアから若干離れた場所に滞在していました。そのため、観光するためには市内交通を使うことが必須。

ボスニアの市内では主にトラムを利用して移動しました。イタリアと同じように、キオスクでチケット(1人1.8KM)を購入します。トラムに乗り、チケットを有効化すると60分間乗れるようになります。

サラエボのトラムにはかなりレトロなものもあり、見た目がとっても可愛かったです。そういえばトラムって、バスと違い、全ての駅に停車してくれるので、観光客にとってはありがたいシステムですよね。

サラエボ市内の雰囲気は、今までのヨーロッパ各国と違い、少しアラビックな雰囲気を感じました。モスクもありますし、お店の外で横並びに座りながら、小さなカップでお茶(多分チャイ)を楽しむ人もいたり。

いわゆる観光地っぽいところもありました。ここは「永遠の炎」(Google Map)。これは、第二次世界大戦で犠牲となった軍人と民間人を追悼するために作られた記念碑です。

永遠の炎という名前だけあって、ずっと火が炊いてあると思いきや、口コミを読んだりするとイベントの前は消えていた、とかも書いてありました。消しちゃダメだろ。

この辺はヨーロッパな雰囲気があった

ここは、ラテン橋の近くのとある場所です(Google Map)。ここは、1914年6月、セルビアの青年がオーストリア帝国の皇太子夫妻を暗殺した場所であり、第一次世界大戦のきっかけとなった「サラエボ事件」が起きた場所です。

なんでもない道に足跡の型があり、ここから狙ったとわかりやすく示してありました。囲いもなく、周りに他の観光客もいないので、あっけらかんとしていますが、世界を大きく動かしたイベントが起こった場所かと思うと、ゾッとした場所でした。

サラエボの観光はこれくらいで、あとはボスニア料理を食べるべく地元のレストランへ。

DveriGoogle Map

ここは我ながらナイスチョイス賞を渡したいレストランで、食べ物が全て美味しかったことに加え、内装の雰囲気も良く、店員さんもとっても親切でした。普段は予約しないと入れないほど人気店のようですが、夕方に行ったら、予約席に入れてくれました。

おすすめは、ナスとパプリカのサラダです。


ボスニアの次は、セルビアへ向かいます。ここでまた、バルカンズならではの民族的な歴史背景を感じることがありました。

サラエボには、バスステーションが2箇所、CentralとEastがあります。Eastは、Flixbus社が運行するバスと、セルビアやモンテネグロ方面行きが出発していて、Centralはクロアチアや中央ヨーロッパ方面行きがあります。そして、Eastはスプルスカ共和国内側にありますが、Centralはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側にあります。

というのも、スプルスカ共和国の人口はセルビア人が大半で、言語も異なります。そのため、バスの行き先も次のセルビア行きしかり、セルビア人が多い国になっています。同じ国だけど、扱いが違うことがあるものなのか、と興味深い経験でした。

スプルスカ共和国側のバス停

なお、スプルスカ共和国側のバス停であるEastは、なんもなかったです。びっくりしました。カフェが1件あるだけで、まともなご飯が食べれる場所はないですし、トイレは有料なのに大してきれいでもない。This is 微妙なバス停でした。

次に向かうのは、セルビアの首都、ベオグラードです。

バスではなく、バンが来た


セルビア

ここはどこでしょうか。

これはセルビアの首都、ベオグラードです。まるで、田町の海側にあるタワマン群にも見えるこの場所は、ベオグラードのバス停(Google Map)近くで再開発をしているっぽいエリア。拍子抜けするくらいモダンだったので、ベオグラード、なんかごめんってなりました。

都会感を感じたのはここだけではありません。なぜなら、スタバがあったからです。

世界一周を通して分かったのは、スタバがあるところは観光地として確立されている、ということ。まさか、ここにあるとは。ベオグラードは、想像の3倍都会です。ベオグラード、またごめん。

街の雰囲気は、隣国であるボスニアと違う感じで、いわゆるヨーロッパに近い感じでした。スペインのバルセロナにちょっと似ているかも。

クネズミハイロ通り

広い車道や歩道も多く、建物も大きい。広場もあって、とにかくデカいなという印象でした。

観光らしいことといえば、ベオグラード要塞に行ったことでしょうか。紀元前4世紀に建設されたあと、100回以上の戦いがこの要塞で繰り広げられたそうです。

私は要塞自体を見るよりも、要塞から見えたドナウ川とサバ川が交わる部分の景色がとっても爽やかで、好きでした。緑も多く、ピクニックでもしたくなる場所です。


ベオグラードは都会。つまりアジアン料理があります。特に中華!複数のお店があって、どこに行こうか相当迷ったのですが、最終的にはここへ。

MINGXUAN RESTAURANTGoogle Map

ありとあらゆる中華料理がある中で、私はもちろん麺を頼みました。程よい油感と、ちょっと多すぎる量。最高に美味しかったです。お店のオーナーさんは親切で、英語が話せます。気持ちよく食事ができました。


セルビア料理ももちろん食べていて、Zavičaj(Google Map)へ。

セルビア料理は、肉!煮込み!だそうで、ここでは、いろんなお肉のBBQプレートを頂いた。割と味付け(塩味)は濃いめなので、サイドで頼んだトマトとペッパーのサラダとの相性が良かったです。

印象深かったのは、kajmakと呼ばれる乳製品(下の写真、右)でした。これは、牛乳から分離した膜らしく、味のないバター、軽いクリームチーズ、といった食材。このように書くとまずそうですが、お肉と一緒に食べるとお肉がまろやかになって、とてもおいしかったです。むしろバターより好きかも!

お店の雰囲気も良くて、観光に向いているレストランだと思いました。


さて、次に向かう国?独立国?はコソボです。

1点、ベオグラードのバス停について注意です。ここでは、どのバス会社であったとしてもモバイルチケットで入場はできません。事前にモバイルチケットとして買っていたとしても、です。

チケットカウンターの1番左に、モバイルチケットで購入した人が、バスのターミナル内に入場するためだけに使う紙チケットを買えるカウンターがあります。1人につき、220セルビア・ディナールです。微々たるお金ですが、モバチケの意味ィ!!!ってなりました。

さて、セルビアからコソボへ行きます。


コソボ

コソボは2008年2月にセルビアから独立を宣言している、独立承認国です。ポーランド、イギリス、ドイツ、フランス、日本など113か国から承認を受けていますが、独立する前の国であるセルビアは承認していません。

このような歴史的背景から、セルビア -- コソボ間の出入国に制限があります。

Googleマップでも国境が点線になっています。

まず、セルビア当局は、コソボとの指定された検問所を公式な国際国境検問所と見なしていません。コソボへ「入国」した後にセルビアへ「入国」しようとすると、そもそもコソボの入国は入国と見なされていないため、セルビアへの入国は拒否されることがあります。実質、コソボからセルビアへ直接入国することはできない、と言われています。

仮に、コソボからセルビアへ旅行するには、一度コソボから出国し、他の国へ入国→出国した上で、セルビアへ入国する必要があります。

逆に、セルビアからコソボへ旅行をする際には制限がありません。

この2カ国を訪問する際には、その順番がかなり重要です。私たちはセルビア→コソボルートだったため、入国時に謎に荷物検査をされたこと以外は、スムーズにコソボinできました。

コソボの首都、プリシュティナに市内バスはあるようなのですが、情報がうまく見つけられなかったこともあり、徒歩かタクシーの移動をしました。

Uberは使えないので、プリシュティナ市内にあるタクシー会社から直接予約をする必要があります。メーターが付いていないタクシーと、メーター付きと両方があり、道で拾えるタクシーはメーター無しが多いです(よって、高い)。メーター有りだと、30分くらいの移動で2ユーロほどだったので、かなり安くタクシー移動ができます。

いくつかタクシー会社がありますが、1番頼りになった会社はこちらです。

HEJ Taxi : +386 - 49 - 333 - 999

Whatsappで連絡を取ると、HEJ Taxiと書いてある車を配車をしてくれます。事前予約は受け付けておらず、移動したい10分前くらいに連絡を入れるる形です。なお、車が出払ってしまっているとかなり待つ可能性もあります。X時までに到着したい!と期限がある場合は、早めに連絡を入れることがおすすめです。なお、お支払いは現金のみでした。


コソボの首都、プリシュティナは、なんだか不思議な場所でした。

建物はきれいなところが多いし、おしゃれなカフェもあります。でも、前述した通り、市内交通は整っているわけではない。車道横にあるような道だと、ゴミも結構落ちている。

また、これはコソボだけの話ではないですが、非喫煙者ファーストな文化がないため、レストランやカフェに入ると煙いことが多かったです。同じテーブルに子供がいても、親が喫煙していることもあったり、分煙されていたとしても、煙が禁煙側に大分流れてきていたり。かなりカルチャーギャップでした。

おそらく、まだ、観光地としての街づくりがされていないのだろうな、と。

10年後には、きっと他の国と同じように、移動がしやすくなっていたり、ゴミの分別も整ってきたりするのだと思います。その頃には、人混みの中でプリシュティナを楽しむことになると思うので、むしろ今がチャンスかも。

プリシュティナでは、上の写真にあったNew Born像、マザーテレサ大聖堂、コソボ国立図書館(横から通っただけ)を見てきました。

マザーテレサ大聖堂は、外観が真っ白で、見た目から新しい教会でした。後から知りましたが、プリシュティナの建物の中で、1番高さあるらしいです。ほんとか???

中に入るのは無料。人もいないし、ゆっくりと教会のなかを見ることができました。ステンドグラスの窓が美しい。


観光スポットを一通り見た後は、カフェへ。

Newborn CafeGoogle Map

このカフェは、まず開放感のある雰囲気が最高でした。強いWi-Fiがあり、座席数も多いため、作業もできるし、友達とチルすることもできます。

お互いの写真を撮りあっていたら、近くにいたお兄さんが「2人の写真を撮ろうか?」って来てくれた。優しい。
電源タップ、ボードゲームもある

メニューが全体的にかなり安かったことも、最高ポイントに加点しました。コーヒー、モクテル、マフィンやチーズケーキなどのデザートメニュー、全てが2ユーロ前後で食べれます。近所にあったら通うだろうなあ、と思えたカフェでした。


プリシュティナの次は、バルカンズツアー最後の国である、北マケドニアへ向かいます。


北マケドニア

北マケドニアへの入国は、特に面白いことはなく、スムーズに進みました。

スコピエのバスターミナル(Google Map)は、久々に怪しくてシビれました。酔っ払ったおっちゃんが大きな声出してたり、タクシーの客引きが強めだったり。


そして、私は、何だか、とても疲れていました。北マケドニアに到着する前の前、セルビアのベオグラードあたりから、なんとなく、気持ち的に本調子ではありませんでした。ハードなスケジュールで移動しているわけではないけど、ここどこやねん。何してるの、私。という、疲れた旅人にありがちな「旅に飽きた感」でしょうか。

旅慣れた夫曰く、大体、旅のモチベーションが下がる時は、疲れているからだ、とのこと。そんなこともあり、スコピエでは5日間滞在して、とにかく休憩することにしました。

とあるレストランにて
滞在していた先のアパート群
滞在先近くのパン屋さん。よく通いました。
家の近くにあったレストラン。バーガー美味しかった。

1991年にユーゴスラビアから独立した際には、「北マケドニア共和国」ではなく、「マケドニア共和国」と呼ばれていました。

国の名前にもある「マケドニア」は、「マケドニア地域」と呼ばれるギリシャ、ブルガリア、そして北マケドニアを跨ぐ地域のことを指しています。そのため、「マケドニア共和国」の国名がつけられた際に、隣国ギリシャが反対ししたそうです。それから、かなり後の2018年に、国名を「北マケドニア共和国」に変更することで「プレスパ合意」が成立しました。相当揉めたことが伺えます。

北マケドニアの首都、スコピエは、私が尊敬する歴史上の人物の1人である、マザー・テレサの出身地です。街中にマザー・テレサ記念館があるとのことで、街まで足を伸ばしました。

私たちが滞在していたのは、観光エリアからちょっと離れた住宅地。

本来であれば、市内バスに乗って移動したかったところなのですが、観光した日は、なんと大統領選。公共交通はほぼ走っておらず、そもそもチケット売り場が閉まっていました。なぜ、チケット売り場を閉める!?

ダブルデッカーも走る

市内バスに乗るためには「Skopska Card」と呼ばれるものが必要でした。キオスクで購入できるものでもないようで、結構探したのですが、購入することはできませんでした。実際に乗っていないので正確には分かりませんが、現金支払いもできない様子。

なお、カード売り場の場所は限られていて、私が調べた限りだとココ(Google Map)だけです。バスターミナルの近くにありますが、なぜか屋外の端っこの方に置いてあるバスの中で売られています。謎すぎる。

オープンの時間も限られていたっぽい

まだまだ観光地として確立されていないんだなあ、としみじみ感じました。バルカンズは概ねそんな感じですね。旅力が上がった気がする。

スコピエの中心部に30分ほどかけて歩いて行くと、大きな公園や、緑、そして銅像がそこらじゅうにありました。好きなのかな、銅像。

パリのような凱旋門

マザーテレサ記念館(Google Map)は、観光エリアのど真ん中にありました。憧れていた人でもあるので、結構楽しみに行ってみると、

閉まっていました。大統領選で。

政治と宗教は交わらないのでは!?と思いつつ、大統領選が大切なことは間違いないので、とりあえず記念館の周りだけぐるっと周り、マザーテレサのことを想いながら、去りました。

もう1つの見どころといえば、マケドニア広場のど真ん中に立つアレクサンダー大王の像。高さは24メートルもあるそうです。

一部では、いろんな政治的な理由から、この像を撤去する動きもある様子。見に行くならば今のうちかもしれません。

マケドニア広場の近くには、石の橋や、食事ができるレストランが多く並んでいます。

春が訪れ始めていたバルカンズを楽しむには、ちょうど良い場所でした。



ところで、最近学んだこと。

私は、車酔いしやすく、バスに乗る時には必ず酔い止めを飲んでいます。イタリアで購入した酔い止めを飲むと、30分後には制御ができないほどの眠気に襲われ、4時間は起きません。というか、起きれませんでした。

たとえ起きたとしても、足がフワッフワしていて、歩いても地面の硬さが感じられないような気分に。寝起きだからかなあ、なんて思っていたのですが、普通に使用量を倍飲んでいました。

本来であれば、大人は半錠飲むはずが、1錠まるまる飲んでいました。しかも、イタリア人の大人で半錠飲むはずなので、日本人で身長154センチの私であれば半錠でも多いかもしれません。

そりゃ、飛ぶよな。その分、絶対に酔わなかったけど。みなさん、海外で飲む薬の容量は気をつけてくださいね。


まとめ

バルカン半島は、西ヨーロッパ諸国と比較すると、便利ではないし、観光する場所も多くはありません。でも、それぞれの国で歴史があり、生活があり、文化がありました。英語が通じる国ばかりで、全体的にコストも安く、長期的にゆっくりするには適していると感じました。

そして、これから発展しようと頑張っている国ばかりでしたので、10年後には全く違う国の姿になっているんだろうな、と想像ができました。今のうちに行っておかないと、安く楽しむことはできないかもしれません。

私は、コストは関係なく、不便よりも便利さを求めてしまいがちなので、この4カ国の中であればセルビアが1番住みやすいかな、と。観光であれば、ボスニアが興味深いと思います。


そして、旅疲れは癒やされたか。大分、癒やされたと思います。北マケドニアでは、ほぼ何もしていませんでした。ひたすら引きこもり、寝て、ゆっくりしていました。

ヨーロッパで細かい移動を重ね、毎回いろんな調整をしながら生活をすることが面倒になっていました。初めて行く国ばかりだったので、不安な気持ちを常に持ちながら移動もしていました。

そもそも、旅行なんて別にやらなくても良いことだし、世界一周なんて更にやらなくても良いことです。何しているんだろうか、という思いが強くなる瞬間があります。今も、その思いが完全に無くなったわけではないし、帰国まで無くならないと思います。

夫の言う通りで、多分疲れている。疲れることはしょうがないので、向き合いながら、ゆっくりと旅をしていきたいと思います。


次は、ギリシャへ向かいます。



\私はこんな人です/

プロフィール:
1987年生まれ。埼玉出身、11歳まで大宮で育つ。そこから親の仕事の都合でアメリカ・ニュージャージー州へ。2011年に帰国し日系メーカーに新卒入社。そこから外資金融メディア→外資製薬→外資メディアへ転職。2021年7月11日(セブン・イレブン)に前田塁と入籍し、2023年8月に仕事を退職し夫と世界一周、新婚旅行へ。

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