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泪橋~怨霊(5)

 それからというものの、怨霊はたびたび姿を目撃されるようになった。とりわけ為氏の枕元には毎晩のように現れ、日に日に為氏はやつれていった。
 怨霊が為氏の子を宿していたとの告白は、家臣の間でも噂話として広まっていた。だが、りくの告白を聞いた図書亮は、仲間と共に怨霊の噂話を笑い飛ばすことが出来ず、黙ってその場を離れることも珍しくなかった。
 そのような図書亮の曖昧な態度が、家中の者は気に食わなかったのだろう。近頃、図書亮が他の者たちと顔を合わせると微妙な空気が流れるのを、図書亮は感じていた。
 かつて鎌倉から共に下向してきた同僚として親しく交わっていた相生あいおい兄弟なども、近頃はどことなく余所余所しい。礼儀正しく接してはいるが、腹を割って話せるような空気ではないのだ。もっとも、和田の者らが須賀川に移住してきてからは、新参者も本格的に二階堂家臣団の直参に組み込まれ、各々が自分に与えられた仕事に夢中になっている。
 幼馴染みの藤兵衛も、既に源蔵の配下に組み込まれて堤に所領を賜っており、その管理で忙しかった。
 聞き捨てならない噂話を持ち込んできたのは、意外にも、藤兵衛の妻のはなだった。藤兵衛夫婦が引っ越した先は北町にある奉公人町だったが、りくを訪ねて遊びにきたついでに、「夫の愚痴」をこぼしに来たのだった。
 藤兵衛が言うには、図書亮があのような姫との縁談を勧めなければ、御屋形が余計な悩みを抱えることもなかったのではないか。そんな噂が男衆の間で流れているというのだ。
 その話を聞いて、図書亮はげんなりとした。あの縁談を図書亮が持ち込んだのは確かだが、図書亮一人が強く勧めたわけではない。家中全体で話し合って決められたはずだった。それを今更蒸し返されても困る。
 藤兵衛は図書亮の幼馴染だ。その一方で他の家臣ともうまくやっていかねばならず、最低限の噂話だけは拾い集めているのだろう。図書亮には言えないその愚痴を、はなに零したのだった。
「人の口というのは、無責任ですわね」
 りくも、はなが聞き込んできたという話に腹が立つらしかった。かと言って、三千代姫の懐妊を証言できるのはりくだけで、とても人に告げる気にはならないという。たとえ三千代姫のために弁じたとしても、新しい御台である芳姫の懐妊を祝ぐ空気の中で、面白おかしく伝えられるだけだろう。
「うちの夫も、そのような話を聞かされて困っているようです」
 藤兵衛やはなを責めるわけにもいかず、図書亮は唸るしかなかった。
 
 だが、怨霊はあまりにもしつこかった。城内にある各寺院はもとより、二階堂氏専用の修験道場である徳善院でも修験行者が加持祈祷を行った。また、陰陽寮を封じて結界を張ったが、霊は一向に立ち去ろうとしなかった。美濃守も遠く鎌倉の知己を頼り、高僧・貴僧が須賀川にやってきて大法秘法を行ったが、霊魂の立ち去った気配は感じられないと告げた。特別為氏の身に災いをもたらしているわけではないが、既に存在自体が為氏を苦しめているのであり、為氏の顔は疲労の色が濃く、目の下にはくっきりと隈が出来ていた。目元も落ち窪み、日々やつれていく。誰が見ても、気鬱の病に罹ったのは明らかだった。二階堂家臣団も大きくなり、為氏が政務の場に出なくても特に支障はない。だが、主が気鬱の病で床に臥せってしまい、命が露とも知れないのでは、さすがに家臣らも見過ごしているわけにはいかなかった。
 またある時には、美濃守が時宗系の寺院である金徳寺の門を潜るのを見かけたこともあった。図書亮が買い物をしに中町に出たときに、その姿を見かけたのである。美濃守が庇護しているのは禅宗系の寺のはずだが、宗派を越えて主の健康回復の祈祷を頼むために、訪れたのかもしれない。
 御前会議が開かれている今は、襖一枚を隔てた向こうで、鎌倉から呼ばれた高名な薬師が、為氏の脈を取っている。さらにその隣の部屋では巫覡が祈祷を行っているが、一向に回復の兆しが現れない。
「いっそ、宮を建立して御霊を神として崇め奉り、鎮めたらいかがでしょう」
 そう言い出したのは、樫村清兵衛だった。美濃守の弟の須田佐渡守に仕える男である。
「かつて菅丞相は太宰府へ流罪となった恨みが深く怨霊と化して、延喜天皇を悩ませました。山門の貴僧高僧が大法を行ったにも関わらず験がなく、怨霊は一向に去る気配がなかったとの由。それで北野の地に社を建て、天満大自在天神と勅号を賜り、御神として崇め奉ったところ、丞相の怨霊はようやく去られたそうでございます」
 それは、広く知られている故事だった。確かに、三千代姫と思われる怨霊はなかなか去らない。為氏や和田衆に恨みを抱くのは尤もであるが、このままでは主の命が危うい。
「その案、よろしかろう」
 襖を隔てた向こうで臥せっている主を気遣いながらも、美濃守は即座に樫村の意見に賛同した。
「御屋形も、強いて反対は致すまい」
 雅楽守が、ほっとしたように頷く。彼も、姫の酷たらしい最期を看取った一人である。あの惨劇にどこか責任を感じていたのかもしれない。
「で、宮はどこに建てる?」
 守屋筑後守が美濃守に尋ねた。
 現在、須賀川の街中は各寺院や町家の建設で賑わっている。怨霊は須賀川城に出没しているのだからその一角に建てられるのだろうと図書亮は予想したが、美濃守の提案は意外なものだった。
「和田館の裏手に、大宮比売命おおみやのめを祀った社がある。末社に蟇目鹿島神社があり、その昔、八幡太郎義家公が東夷征伐のために奥州下向の折、蟇目の矢を一矢お納めになられたために蟇目大明神とも言う。その宮を大きく改修し、三千代姫も神として奉ろう」
「ふむ。和田にのう……」
 山城守がしばし考え込んだ。主である為氏が臥せっているため、このところ山城守が二階堂一族のまとめ役を担うことが多いのだ。娘が身籠っている今、三千代姫の怨霊から娘を遠ざける意味でも、山城守には好都合に違いなかった。
 あの場所は、図書亮も和田に住んでいた頃に通りかかったことがあった。さすが自領内のことだけあって、美濃守は博識である。
 さらに畳み掛けるように、美濃守は「神号を姫宮と致そう」と付け加えた。
「良いのではないか」
 山城守が頷いた。他の家臣も、反対する様子は見られない。こうして、姫宮神社の建立が決まった。

©k.maru027.2023  

>「怨霊(6)」へ続く

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