【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~抜刀隊(1)
それから一週間後、剛介は千葉の習志野にいた。九州に赴く前に、一旦ここで、簡単な軍事訓練を受けるのである。訓練とはいえ、朝六時から夕方六時にまで至る厳しいもので、音を上げるものもあった。
剛介の身分は、建前上は、東京府下の警備のために警視庁への出向という事になっていた。ここで川路が率いる警視隊に組み入れられ、軍事訓練を受けてから九州へ向かうのだ。
この小隊にはどういうわけか、剛介と同じように東北出身者もいた。関は仙台藩の出身であるのに対し、菅原は庄内藩の出身である。
士族を巡査として九州へ送り込むことには、反対論も根強かったらしい。中でも、山県有朋は強硬に反対したと聞いた。士族には、教養がある分だけ物申す者も多い。万が一、西郷らに同調して寝返られては困ると思ったのだろう。
訓練の科目には、銃術や剣術も含まれていた。そのため、剛介も大壇口の戦い以来、久しぶりに銃を手にした。もっとも、銃の種類は戊辰の役のときとは異なる。いわゆる元込式のスナイドル銃で、弾丸と薬莢が一隊となっており、雨天時でも利用できる。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだ。四等巡査という下級職である剛介は、普段はせいぜい警棒くらいしか持たせてもらえない。だが、体は昔習ったことをしっかり覚えているらしい。据銃姿勢を整え撃鉄を引く感覚を思い出しながら、剛介は遊底の蓋をぱちりと開き銃身を傾け、薬莢を捨てた。
「ほう、遠藤。随分と撃ち方が様になっているじゃないか」
菅原は、感心したように剛介の動作を見つめていた。そう言う菅原の手にも、銃はしっくり馴染んでいる。きっと、この男も戊辰の役では銃を手にして駆け回ったのだろう。
菅原の問いに、剛介ははにかんだ。
「子供の頃に、師匠に随分と鍛えられました」
「ちょっと待て。子供の頃と言ったら、お前……」
隣で、関が指を折り始めた。三人の中では、剛介が一番若い。菅原や関は三十路に近い歳である。戊辰の役の時には、成人していたはずだ。
会津はあの頃、二本松よりも時代遅れのゲベール銃が主流だったと、義兄から聞いたことがある。会津が旧弊の軍備だった事は仙台も知っていたらしい。関の中では、色々と計算が合わないのだろう。
「細かいことはいいではないですか」
剛介は、軽くいなした。
それにしても奥羽出身者と一括りにされても、その性質は様々だ。会津出身を装いながらも、本来は中藩である二本松出身の剛介。その怯懦ぶりが密かに笑いものであった、仙台出身の関。財政力を武器に、西軍と互角に渡り合った庄内藩出身の菅原。いずれも、戊辰の役のときには「賊軍」との札を貼られたが、今度は官軍として九州に赴く。
その因縁に、つい考えざるを得なかった。
ふと隣を見ると、色の浅黒い、背の高い男がいた。年回りからすると、剛介より若干年上か。一人、黙々と銃を銃を撃っている。視線が合うと、ついと目を逸らした。見るからに南国出身のその男は、どこか陰鬱な影を帯びていた。
習志野での訓練が終わると、一同は直ちに汽車で横浜に向かわされた。そこで生まれて初めて船に乗り、九州へ向かうことになっている。航路の途中では船酔いに悩まされたこともあったが、横浜を出てから八日あまりで佐賀に上陸した。
陸奥はまだまだ寒いというのに、博多では早くも梅が咲いていた。
(九州は、本当に南国なのだな)
それをしみじみと感じた。だが、梅を愛でている暇はない。熊本の少し北にある高瀬というところに、現在の本営が置かれているらしい。
剛介が配属されたのは、植木口警視隊である。三月五日に、剛介たちは高瀬に到着した。
この頃は既に田原坂で連日激戦が繰り広げられており、第一旅団や第二旅団が、二俣口などで薩摩軍の精鋭と戦っていた。
当初の政府軍の心積もりでは、とうに熊本城に入場して戦っている鎮台の救援に向かっているはずだった。だが、福岡方面から先発して救援に向かったはずの第一旅団や第二旅団は、田原坂で薩摩軍に行く手を阻まれているのである。
田原坂は曲がりくねった道が続いていて、両脇が崖になっている。薩摩軍はそこに胸壁を設け、また、塹壕を掘って身を潜めているのだった。
何でも、薩摩軍は抜刀兵なるものを繰り出して、官軍の行く手を阻んでいるという。
「立って進むと、狙い撃ちにされるからな。数人が一組となって、地上を匍匐するか、木や石の影に隠れて接近してくる」
指揮官の言葉に、剛介は眉を顰めた。エンピエール銃を使用することが多い薩軍は、天候に左右される銃よりも刀で果敢に斬り込んでくる。だが、確かに厄介である。自然の障害物に事欠かないこの土地においては、なおさらだろう。
三日から九日間も攻めているが、なかなかこの峠を抜くことが出来ない。剛介達も、本来は熊本鎮台の救援に向かうはずだった。だが、同じ目的で熊本に向かっていた第一旅団や第二旅団がここで足止めをされていて、歩兵だけでは限界があると、救援を求められたのである。早く前へ進まないと、二月二十二日から籠城している熊本城の食糧や弾薬が尽きてしまう懸念が出始めていた。
田原坂で連日戦っている兵の中には、塁壁に寄りかかり眠る者すら出始めているとの話だった。最前線では昼夜を問わずに弾丸が飛び交っているというが、呑気なものだと最初は思った。だが、それだけ疲労が蓄積されているのだろう。
「集合」
上官である田辺の号令に、剛介は、はっとした。三〇〇人程の巡査が、狭い陣地に集まる。巡査の制服を纏った者たちがこれだけ揃うと、なかなかの壮観であった。
「本日の成果。第一旅団が横平山の塁のうち、二つを占拠した。だが、後続部隊がまだ到着していない。そのため、側面から賊の攻撃を受け、奪い返された」
田辺は心底無念そうに告げた。官軍は薩摩軍と戦うと、第一陣は勝つのだが、その後、必ず白刃をきらめかす抜刀兵が集団で現れる。薩摩兵には、戊辰の戦いで実戦慣れした者が多く含まれていた。全国から徴兵した兵を中心に編成された政府軍とは、戦闘力においては格段の差があった。
もっとも、政府軍も手をこまねいていたわけではない。大阪鎮台の砲兵などから狙撃隊を編成し、抜刀兵を狙撃して進路を確保しようとしているのだが、抜刀兵は身を隠すのが上手かった。障害物の間に巧みに身を隠しながら、此方側に接近してくる。ふと気がつくと、政府軍の砲兵は膾のように斬られていた。
まずは、この抜刀兵をどうにかしないことには、前に進めないのである。
「そこでだ。剣の腕に覚えのある者は前へ出よ」
剛介は、菅原や関と顔を見合わせた。武功を上げる絶好の機会ではある。だが、死と背中合わせの役割だった。
(恐れるな)
すっと気を鎮めた。
一歩、前へ出た。他に前へ出たのは、合わせて一〇〇名ほどだろうか。
前に出た者たちの前を、田辺が一人ひとり確かめるように縫って歩く。その体が、ぴたりと剛介の前で止まった。成長したが、剛介の体は他の者らより一回り小柄である。
「ほう」
田辺は、じろじろと剛介を舐め回すように見ている。負けじと、剛介も一点に視線を固定した。
「小兵だが、良い面構えをしておる。人を斬った経験は」
いくら腕に覚えがあるといっても、実際に人を切れる度胸があるかは、また別物だ。田辺は、そう言いた気であった。
「戊辰の戦で、何人か斬りました」
悪びれず、剛介は答えた。この田辺からすれば、剛介はかつての賊軍なのだろうが、今の賊軍は薩摩兵だ。構うまい。
「なるほど」
田辺は鷹揚に頷いた。
「よろしい。川畑警部の部隊だったな。命令があるまで、待機せよ」
「はい」
剛介はきびきびと返答した。
「遠藤。お主、怖くはないのか」
関が、恐ろしそうに剛介の顔を見た。
「いえ」
剛介は、首を振った。
「それを考えだしたら、一歩も前へ進めませんから」
死に場所を求めて来ているわけではない。だが、怯懦は戦場においては、足かせにしかならない。
かといって、蛮勇もまた間違いである。命のかかる戦いでは、冷静さと度胸を併せ持って臨まなければならない。
「それにしても、お主。戊辰の役の時は幾つだった」
菅原が、呆れたように問う。
「十四です」
咄嗟の嘘は難しい。思わず馬鹿正直に答えてしまった。
「十四……」
「待て。会津でも十四であったならば、白虎隊に入る年齢ではなかったはずだろう」
関は臆病な癖に、頭の回転だけは早い。剛介のささやかな嘘が、思いがけず露呈してしまった。
剛介は、苦笑いを浮かべた。
「本当は、二本松の生まれです」
部隊には、会津出身と報告してある。「内緒にしておいてください」
「ふうむ」
二本松は、どうも会津よりも知名度が低い。「会津の前に、踏み潰された藩」くらいにしか、知られていないのだろう。いずれにせよ、あの戦では敗者となってしまったから、武功を立てたとは言い難い。喧伝することではなかった。
「道理で、年の割には肝が座っているわけだ」
菅原が、唸った。
「あの戦では、どうだった」
菅原の問に答えるのは難しい。命のやり取りをしたのは間違いないが、特別武勇を誇ることでもない気がする。
「ひどいものでした」
ようやく、それだけを伝える。剛介の回答に、二人は、拍子抜けしたようだ。
二本松を守らんとして戦ったことを恥じてはいない。だが、敗者がここで偉そうに語れば、他の者達の反発を買うだけだ。警視隊の中には、薩長を始めとして、あの時奥羽征伐に加わっていた者も多く含まれている。いらぬ諍いを起こさないためにも、できるだけ黙っているに限った。
>「抜刀隊(2)」に続く
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