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直違紋が熱い

Twitterで、福島県観光物産交流協会の中の人がこんな投稿をされて、話題になっていたようです(*^^*)

私自身は、その発想はなかった(笑)。
ですが、確かに盛り上がる気持ちも分かりまして、言われてみれば直違紋にも見えるのです(*^^*)

実は、次作「鬼と天狗」も舞台は二本松藩なので、タイムリーといえばタイムリー。
そして、note限定特典として、トップバナー&マガジンの画像をお願いしているのが、二本松藩に縁の深い方(T様)です。
アイデアを出してくださったH様も、恐らく二本松藩の民間研究者として、関係者の間では広く知られていらっしゃる方で、文字通り「チーム二本松藩」の作品となりそうです。
お名前を出したいのはやまやまですが、妙な営業が行くとご迷惑がかかるので、今はまだイニシャルで。
作品の連載を開始したら、クレジットをしっかり公開いたします。

そして、T様との打ち合わせの兼ね合いもありまして、「鬼と天狗」のマガジンも、一足先に作りました。
少し前に掲載していた「妻の献身」をこちらに収録しています。
鳴海のキャラを作り込む習作も兼ねて書き下ろしましたが、実は「鬼と天狗」のキーパーソンも登場しています。
マガジンの表紙は、今はグレーゾーンになっていますが、いずれここに素敵なイラストが入るので、楽しみにしていてください!

そして、先日ひっそりと掲載していた「冬の訪い」は、「直違の紋に誓って」のスピンオフとして、「直違の紋に誓って」のマガジンに収録してあります
「冬の訪い」では、次作の「鬼と天狗」の主人公の大谷鳴海、番頭仲間&親戚の大谷与兵衛、そして安部井あべい磐根いわね(「鬼と天狗」でも登場させる予定)は、全員「直違の紋に誓って」でも登場しています。

敗戦直後、鳴海や与兵衛が二本松郊外の大平村で謹慎させれていたのも、磐根(当時はまだ清介の名前)が敗戦処理に駆け回っていたのも史実通りで、この3人がその当時の心境を語ったとしたら……という想像から、生まれたエピソードです。
明後日(29日)が落城の日なので、鎮魂・哀悼の意も込めて一足先に書かせていただきました。

「直違の紋に誓って」の連載から1年近くになりますが、再び二本松藩の歴史を紐解いてみると、やはり興味深い点もまだまだ眠っています。
今回は文久2(1862)年~元治元年(1864年)と、戊辰戦争前のエピソードですが、当時の世情を振り返ってみると、やはり動乱の時代です。
→中央政権では、文久の改革(1862年)、下関事件、薩英戦争、8月18日の政変(1863)、禁門の変、第一次長州征討(1864年)などなど、日本史教科書の太字レベルの出来事が、次々と起こっています。

最終的に二本松藩も天狗党征伐に駆り出されるのですが、そのような動乱を目にしてきた二本松藩が、「時流についていけない」わけは無いと思うのですよ。
お金がないのに、幕命で京都に派遣されていますし^^;
(→10万石以上の藩は強制です)

もっとも、鳴海はバリバリの武官(最終的には番頭ばんがしら)ということもあり、どうやって無理のないように話を展開させようか、案外難しいのですが、この時代も面白いので、しばしお待ちいただければと思います。

なお、だいぶ前(直違の紋~の連載前)に、実際に二本松へ足を運んだ時の取材の模様は、こちらからどうぞ!

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#直違の紋に誓って
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