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泪橋~勇将らの最期(4)

「なぜ、見逃した」
 ぎくりと身を強張らせた。恐る恐る振り返ると、どの辺りを駆け巡っていたものやら、牛頭の姿があった。
「男であれば、後の災いの種となりかねぬ。お主は、あの者を斬るべきであったろう」
 図書亮は、黙って首を振った。この言いようから察するに、牛頭もあの若者が誰であるか、見抜いたに違いない。
「……治部は」
 言葉が喉の奥に絡みつく。
「治部大輔は死んだ。あの者は、一介の僧に過ぎぬ。ただの坊主が、治部の首を見参に行くまで」
 辛うじて、小声でそれだけを述べた。その言葉の意味に、牛頭も黙り込む。
「……まだ、城内には屈強の者らが残っている。せいぜい、そのうちの一人でも討ち取ることだな、一色殿●●●
 そう吐き捨てるように言うと、牛頭は西の方へ姿を消した。牛頭の言葉に、図書亮はぞっとした。
 図書亮は、牛頭の前では名乗りを上げていない。いくら和田方の忍びとは言え、本名を知られていることが、恐ろしかった。
 そろそろと息を吐き出して、図書亮は道場町への門を背にし、くるりと体の向きを変えた。その刹那、あの恐ろしい金壺眼武者の姿が視界に飛び込んできた。
「木っ端。まだ生きておったか」
 既に須賀川方の敗北が見えているにも関わらず、武者は勝戦の将であるかのような振る舞いである。
「木っ端ではない。此方こなたは一色図書亮」
 思わずかっとなり、図書亮は名乗りを上げた。相手はひょいと眉を上げると、にやりと口元に笑みを浮かべた。
「一色殿が名乗られたからには、こちらも名を名乗ろう。我こそは、鎌倉権五郎景政の末孫、梶原左衛門景光。永享や結城の戦のために思いがけず牢人しておったが、長年治部大輔殿の恩義を被ってきた者である」
 近くにいた和田の兵らがどよめいた。図書亮も、その名を聞いて震え上がった。この金壺眼武者は、あの梶原一族の者だったのか。
「治部大輔は死んだぞ」
 図書亮は相手の気勢を挫こうと、先程見てきたばかりの事実を告げた。だが、梶原はそれを鼻で笑い飛ばした。
「およそ勇士の本意というのは一切心を変えることなく、義をなすことである。今一度命を捨ててでも治部大輔殿の恩義に報い、誉を後世に伝えるべし。それこそ我が本懐である」
 そう言い放つと、頭上で大薙刀を振り回した。薙刀自体はかなりの長さがあり、あの薙刀が飛来してくる限り、梶原の懐に飛び込めない。
「あの薙刀を、切り落とせ」
 図書亮は、側にいた雑兵に命令を下した。たちまち和田兵の槍が梶原に殺到したが、梶原の薙刀に力負けして、薙ぎ伏せられる。だがここへ来てどうしたわけか、梶原の勢いが徐々に失われていく。夜中からの激闘で、さしもの梶原の腕にも疲労が溜まり、限界を迎えていたのだろう。そのわずかな隙に、和田兵の一人が梶原の懐に飛び込み、梶原の右腕を斬った。梶原は一瞬顔を歪めたが、すぐにその兵を薙ぎ倒して首を取った。薙刀の切先に討ち取った兵の首を刺したまま、本丸との境の土壁の扉を蹴破り、まだ煙を上げている本丸方面へ戻ろうとしている。
 逃がすものか。図書亮は、その背を追った。梶原もまた、傷ついていない左手で城壁の扉を軽々と外し、投げつけてきた。
 慌てて、飛来した重そうな木戸を避ける。黒塗りの木戸は、後ろで大きな音を立てて地面に突き刺さった。背後で、ぎゃっという悲鳴が上がる。誰かに当たり、梶原の目論見通り打倒されたらしい。それに構わず、図書亮は本丸の郭内へ侵入した。眼の前には、治部大輔の首のない体や、血塗れの女人らの体が折り重なった櫓がある。梶原は右腕から鮮血が滴り落ちているのにも構わず、するすると櫓にかかる梯子を登った。
「者共。聞くが良い」
 雷のような大音声に、和田兵らの足はその場に止められた。
「我が先祖は、天喜五年に栗屋川次郎くりやがわじろう安倍貞任あべのさだとう鳥海三郎とりうみさぶろう同兄弟謀叛の折り、頼光よりみつ公の弟河内守頼信よりのぶの嫡子、伊予守頼義よりよしの討手として、当地に下向して参った。鎌倉権五郎景正かげまさは栗屋川の合戦において、鳥海三郎に右のまなこを射られたが、その矢を抜かずに柄を折るのみに留め、三日三晩そのままの姿で戦場を駆け回り、最後に眼を射抜いた矢を抜き敵に射返した」
 櫓の上で話している梶原の姿は、さながら舞台上の役者のようであり、大音声は朗々と響いていた。
「今某は右腕を斬られながらも、敵を討って参った。この姿を見るが良い。我が祖先と同じ地において同じ姿になろうとは、これも我が先祖の導きであろう。この場でそなたらを見下ろし、自らの手で我が首を刎ね投げ捨てられるならば、今は浮世に思い置くことはござらぬ」
 梶原はそう言い終わると、晴れ舞台を踏めたのが嬉しいのだろう、からからと笑い声を上げた。それから腹を十文字に搔き切り、それだけでは死に切れないと思ったのか、さらに心の臓を二度突き刺すと、ようやくその巨大な体躯が倒れるのが見えた。
「梶原殿、天晴なり」
 思わず、心からの称賛の声が漏れる。強敵ながら、見事な最期だった。先刻追い回された恐怖も忘れて櫓に登ると、図書亮は、血溜まりの中に横たわる梶原の首を取った。たちまち草履や足袋に須賀川の者ら血が染み込み、足元が濡れる。首が残されている屍の顔をつとめて見ないようにしながら、図書亮は梶原の首を腰に括り付けて、櫓から地上に下りた。

©k.maru027.2023

>「勇将らの最期(5)」へ続く

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