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泪橋~祝言(2)

 五月十日。岩間館はまだ完成していないため、為氏と三千代姫の婚礼は現在の為氏の仮寓である峯ヶ城で行われた。雨が心配されたが、まだ梅雨には早い時期だったためか、爽やかな気候の中で式が行われた。
 三千代姫も嫁入りが決まったということで、少し前に鬢削ぎの儀式を行い、身を清めて嫁入りを待ったという。須賀川から輿に乗った三千代姫の一行は、和田の原を目指して急勾配の坂道をゆっくりと下ってくる。和田館のところで右手に折れ、逢隈川に沿うように進んで峰ヶ城の門の前で行列が止まった。門前には火が焚かれており、辺りを明る照らしている。ここで花婿の父親代理として須田美濃守が和田衆を代表し、「請取渡し」の儀を行った。花嫁である三千代姫が輿から出てくると、その頭には白い被衣を被っていた。出迎衆の一員として門前で控えていた図書亮のところからは、姫の表情はよく見えなかった。
 館の渡り廊下をしずしずと進み、奥庭に面した祝言の間に姫が進む。先に嫁である三千代姫が上座に座り、次いで花婿である為氏がその座についた。待上臈が祝儀の言葉を述べて両人を合わし、式三献の儀式に映る。
花嫁や花婿の前には御前が三つずつ置かれ、花嫁から盃を始める。三度ずつ注がれた盃を干した後、諸婚式三献の後、為氏と三千代姫だけで初献や雑煮を納め、床入りとなる。
 翌日になって初めて一族に対する花嫁の披露となり、図書亮も三千代姫の艶やかな姿を見ることが許された。この婚礼のきっかけを作ったということで、祝言の様子を特別に下座の端から覗かせてもらっているのだ。
 御簾の内にいてよく見えないが、帳の隙間から噂の御台の容貌をこっそり盗み見ると、金糸で夫婦鶴が刺繍されている鮮やかな緋色の打ち掛けを纏っている。遠目に見る限りでは、確かに十二とは思えない気品があった。為氏の方が一つ二つばかり年上だが、為氏が何か話しかけると、三千代姫がぱっと笑った。その笑顔は漢の麗人だったという李夫人を彷彿とさせる。花も恥じらうとはこのことかという容貌であり、色も白く、唯一年相応に見える口元の笑窪も、可愛らしかった。
 さらに二人の横には、やはり噂に聞いていた民部大輔夫婦の姿もあった。「女に誑かされた」という話を最初に聞かされたためか、民部に対してはあまりいい印象のなかった図書亮だが、なかなかどうして、立派な出で立ちである。その隣に控えているのは、やや切れ長の目元の夫人である。あれが、民部を虜にしたという千歳御前だろう。
 三千代姫と千歳御前は姪と叔母の気安さからか、親しげに談笑している。いずれも美女であることは誰しもが認めるところであり、妻を亡くして久しかったという民部が妻に夢中になるのも、わかる気がした。
 その証拠に、為氏や民部の目尻は下がりっぱなしであり、口元には柔らかな笑みが浮かんでいるではないか。
「お主、全然飲んでいないではないか」
 誰かが、杯に酒を注いだ。手元の主を見ると、倭文半内だった。
「一応、主を守らなければならない立場だからな。あまり飲んではまずいだろう」
 体面というものもある。
「それはそうだが。二階堂家は、おなごは確かに天下一品だな」
 含みを持たせた半内の言葉に、思わず噎せた。遠回しに、りくのことを言われている気がしないでもない。
「御屋形のあの様子を見る限りでは、御台様をお気に召されたようだな」
また、杯に酒を注がれた。今度は、箭部安房守だ。図書亮のところにせっせとりくを通わせている張本人である。
「安房守様。それにしても、よく美濃守様がこの婚姻に納得されましたね」
図書亮は、安房守に確かめてみた。あの時治部大輔の「三年待たれたい」という言葉については、図書亮自身も未だに不信感が拭えない。
「いや、治部殿の言い分に納得していないのは、皆同じだろう。例外は、御屋形様くらいなものだ。後は、民部様もか」
笑みを崩さずに、安房守は小声で答えた。婚姻そのものは賛成しているが、治部大輔の言い分を丸々信用しているわけではないらしい。
 やはりそうか。新参者の図書亮でさえそうなのだ。鎌倉にいたときから治部大輔の悪行に手を焼いていた面々は、婚姻が整ったとはいえ、心の底では治部大輔を信じていないに違いない。
「だが、伊藤殿が述べられていたように、須賀川や岩瀬の地を狙う者共がいる。此度の婚姻は、その者らへの牽制となろう。御屋形もそれについては考えられたようだ」
 どうやら、四天王らは必ずしも手放しでこの婚姻に賛成しているわけではないようだった。だが、二階堂の者同士で血を流すよりも、田村など他の勢力に対して二階堂の結束の固さを見せる方を優先させるべきである。そのような政治的判断を下したということだ。
 まだ十三と十二の夫婦にそのような政治的事情を背負わせるのは、何だか酷な気もした。ひとまず、眼の前の若夫婦は幼いながらも、仲睦まじい様子を見せている。あの分であれば、和子誕生もそう遠くないのかもしれなかった。
「それはそうと、一色殿。りくは御役に立てていますかな?」
不意に自分の方へ話が向けられ、束の間ぽかんとした。男女の事はしたことがないが、家のことを片付けてくれるのは、確かに助かっている。
「ええ。りく殿には、色々と助けられています」
安房守の意図がわかりかねるまま、図書亮はりくの世話を受け入れていた。だが、目の端に入ってくる若夫婦の仲睦まじい様子が、羨ましくもあった。
 そうですか、と安房守も微妙な笑みを崩さずに、主君の杯に酒を注ぐために立ち上がった。
「何だよ。お前、いつの間に通いの女人を見つけたんだよ」
やや妬心を感じさせる声色で、半内が尋ねた。その半内は、身の回りの世話をしてくれる女を探していると、聞きもしないのに勝手に話している。この須賀川に来て、そろそろ三月。為氏の婚姻が成立して戦が小康状態になったとなれば、女に目をやるゆとりも出てきたのかもしれない。
「りく殿は、安房守様の姪御だ。あくまでも、身の回りの世話をしてもらっているだけだからな。気立てはいい人だが」
礼を失さない程度に、半内に答えてやる。図書亮だけが女を世話してもらっているとなると、他の者たちは面白くないだろう。
だが、遠くには祝言を挙げたばかりの主夫婦。そして、年が離れているにも関わらず、こちらも仲睦まじい様子の民部大輔夫妻。
何だか、こう幸福そのものの夫婦の姿ばかり見せられていると、「身の回りの世話をしてくれているだけ」のはずの女人が、急に特別な存在に思え、どぎまぎする
尻の辺りが浮いているような気がして、落ち着こうと半内から注がれた分の酒を飲み干すと、微かに目眩を覚えた。

©k.maru027.2023

>「祝言(3)」へ続く

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