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逆境こそガソリンだ

エンジンがかかるとき。
私にとっては、いくつものパターンがある。
その一つが、「逆境」にあるときだ。

割と昔から「いじめっ子」の標的にされやすいタイプではある。
本人は至って地味なつもりなのだが、実際には、「何だ、コイツ」とカンに障る人もいるのだろう。

だが、それがどうした。

普段はネタにされるのが嫌であまり書かないが、そこそこの苦労人である。

子供のときは、父親の仕事の都合に振り回され(転勤ではない。父の転職が原因である)、実質的に2度の転校をしている。
親戚などいない北国の地への転校は、かなりきついものがあった。
ここで、「学年ぐるみ」の村八分に遭い、職員会議まで開かれたこともある。
それでも、素知らぬ顔をして乗り切った。同級生には、全く会う気がしないけれど。

また、決して裕福ではないので、「私立」は最初から選択肢になかった。いわば公立高校しか選べないので、学校の選択肢も限られる。

だが、ここで良かったのは「余所者だからこそ、実力でのし上がる」ことを覚えたこと。
しかも同級生で優秀な人も多く、遊べる環境でもなかったから、自然と「勉強する」習慣が身についた。

残念ながら「学年トップ」には手が届かなかったけれど、毎回成績優秀者に名前を連ねるくらいには、頑張った。
おかげで、珍しい「高校の編入試験」も、試験を受けた翌日に「合格」の連絡が来るくらいには、ちゃんと学力が身についていたことになる。

その習慣は今でも役立っていて、多かれ少なかれ、仕事先が変わってもそこそこ重宝されるようになった。

「辛い」「同情して」

口に出せば楽だったかもしれないが、それのみが、解決方法ではないだろう。

自分で努力して得たものは、年月を経てもなお、尊く愛おしい。


異国で、手ひどく裏切られたこともあった。
だが、それも国境付近での軍隊出動事件やら、住んでいたアパートの近所で起きた爆弾テロに比べれば、何とちっぽけなことか。

あの船着き場や、粉々に砕けた電話ボックスのガラスの破片。
まさか、自分が足繁く利用していた場所が爆弾で吹っ飛ばされた惨状を、国際ニュースで見る羽目になるとは思わなかったけれど。

それに比べて、意見の食い違いやあの人の裏切りなんて、瑣末なものじゃないか。
無理に喧嘩をする必要はないが、隣人がテロリストである心配は、少なくともなさそうである。

そして、私にはまだまだやるべきことがある。

そう考えるだけで、悲嘆にくれる暇もなく、歯を食いしばるくらいの役には立った。

年月が過ぎ去り、今ではすっかり過去の1ページ程度でしかない。そんなことを振り返るより、やりたいことは、もっとたくさんある。


大地が揺れた、あの日から。
しばらく、物が入ってこない日が続いた。

仕事の見通しなんか、立つ術もない。
ホーシャノーが、ゲンパツが。

外部で騒いでいるようだけれど、それよりも「水が出ない」「食料が来ない」「灯油が手に入らない」。
当時の私にとっては、そちらのほうがよほど堪えた。
まさか、21世紀になって「餓死」の心配をする羽目になるとは、思わなかったな。

「福島からです」
そう言うと、好奇心の目に晒された。
幸い、私はそれで「サベツ」に遭ったことはない。
だが、いつまで「十字架を背負い続けなければならないのか」。
そう感じた日々もあった。

そのような無責任な「好奇心」に負けて、たまるものか。
今でもそれは、3月のあの日が近づく度に、感じていることでもある。
だから、私自身は「被災者です」とは、滅多に名乗らない。


傷ついて、去っていった人がいた。
その背中に、私がかけられる言葉などあるだろうか。
どうやっても、今は傷つけるだけだ。

だが、私が出来るとすれば。
彼らが残していった魂の切片を。
そっと受け止めることだと思う。

今ここで私までが背を見せたら、今までと同じことが繰り返されるだろう。

同じ土俵に上がらなくても良い。
でも、自身の怒りを「さらに高みを目指す」エネルギーに変換することは、いくらでも出来る。
それは、私の得意とするところだ。

誰かと比較するのではなく、さらに大勢の人に楽しんでもらい、喜んでもらえる作品を。

シンプルだけれど、そのやり方が、私には一番合っていると思う。


やはり私にとって、「逆境」は、エンジン始動の合図である。



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