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【企画】#はなまる読書会~希望の地図/重松清
新しくフォローして頂いたチェーンナー様ご紹介の、「猪狩はな」先生の企画に、私も乗ります。
たまたま、近々noteで読書感想文をあげようと思っていたこともあり、幾冊か図書館から本を借りてきていました。
借りる際に気になったのは、「重松清」さんの作品。
最近、地元紙で(福井ではないです)重松氏が連載している「はるか、ブレーメン」を読み耽っていることもあり、以前から気になっていた作家の一人です。
こちらはまだ連載中ということもあり、主人公の「はるちゃん」がどのような結末を迎えるかも気になっているのですが、この作品をきっかけに、図書館から借りてきたのは、「希望の地図」。
小説という体裁を取ってはいますが、実際には「小説の体裁を取ったルポルタージュ」という方が、近いかもしれません。
そして、題材は「3.11」。ルポライターである「田村章」と、その相方役である「光司」の視線から描いた作品です。
私も被災者と言えば被災者の一人なのですけれど、とりわけ、第四章の「福島からの手紙」と第五章の「にぎわいを、ふたたび」は、涙なしには読めませんでした。
内容の重さに、返却期限ギリギリまで読み進めるのがためらわれるほど。
書かれている内容は、決してキレイゴトだけではありません。
義援金を遊興費に充てて豪遊する被災者もいた、負の側面もしっかり書かれています。
それは、被災民同士の軋轢や分断を招いたものでもありました。
ですが、決して被災民を嘲笑するものではなく、ひたすら「実際にあったことを、できるだけありのままに伝えよう」とする、ライター「田村章」としての信念が読み取れる作品です。
※「田村章」は、重松氏のライターでのペンネームです。
私事になりますが、今年の春に再び福島を襲った、3.16のあの日。
noteで、いくつもの「被災地の人の身を案じる声」を頂きました。
がその半面、Twitterでは不快感を感じるような書き込みも見かけたのも、また事実です。
「野次馬根性にならないように気をつけないとな・・・・・・」
同書でこの言葉に出会ったとき、頭をガツンと殴られた気がしました。
私が目の当たりにした不快な書き込みは、正に「野次馬根性」「心配をネタに、耳目を集めたい」という願望の現れだと、感じましたから。
だから、あんな状況下でありながら、私は怒りを感じたのか。
この作品には、思いがけず、あの日の私の怒りの正体がありました。
被災地の人が、被災していない人からの「野次馬根性」を嫌い、それを「自分の宣伝ネタや政治的利用」にされるのを嫌うのを、福島に住む私はよく知っています。
その感覚がよくわからない人や、「じゃあ被災地の人への正しい接し方はどうすればいいのか?」
そんな悩みに直面した人達にこそ、この本を読んでほしい。
あの日から11年目を迎えても尚、痛みから立ち直れない人もいます。そして、やっとふさがったかのように見えた傷口を、さらに広げるような地震もありました。
今改めて読むと、当時の悲惨な状況を思い出します。それと同時に、「言葉にするのが得意な人ができることは、何だろう」と直面させられる。
最後に出てくる、エピローグの「石巻からの手紙」。
そこに、重松氏の表現者としての苦悩も書き綴られていました。
きっと、被災地に入る側も苦しかったでしょうし、それを多くの人に伝えようとする作業も、本当に苦しかったと思う。
それでも、私は重松氏を始め多くの文筆家から受け取った「リレーのバトン」を、私なりのやり方で、多くの人々に伝えていきたい。
そう感じた作品です。
※多分、はな先生の仰る「過激」な作品という分類ではないと思うのですが、どうでしょう?
#はなまる読書会
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#エッセイ
#3 .11
#重松清
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