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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~下長折(2)

 その夜、「せめて一晩泊まっていけ」という家族の願いを無下にするわけには行かず、剛介は母の料理に舌鼓を打った。
 汁は、剛介の好物である「ざくざく」だった。時折妻の伊都が作ってくれる「こづゆ」に似ているが、単純に野菜の旨味を味わう、二本松ならではの汁物だ。すっかりこの土地に馴染み、半左衛門の人柄を慕って野菜を届けてくれる者も多いのだという。
 贅沢な暮らしではないが、これはこれで楽しいものだと、半左衛門は肩を揺すった。家督は正式に達に譲ったため、ご隠居として作詩に勤しんだり、時には近くの子供に読み書きを教えたりしている。その御礼にと、幾ばくかの収入も確保しているようだった。
「それにしても、剛介。お前、どこで酒の味を覚えた」
 気を利かせたのか、男三人だけにして早々と床についた襖の向こうの紫久に聞こえぬように、達が剛介に杯を渡した。そう言えば、二人とも家では余り酒を飲まなかったのに、どこから持ってきたのだろう。
「会津の義兄に教わりました」
 くすりと、剛介は笑った。まさか、兄と差しで酒を交わす日がくるなど、あの頃は思いもよらなかった。
「私より強いではないか」
 呆れたように、達がさらに酒を注ぐ。
 そんな兄弟を、半左衛門はしばらく見守っていたが、やがて姿勢を正した。
「剛介。もう、二本松には戻るつもりはないのか」
「父上」
 嗜めるように、達が半左衛門を見た。既に、武谷の家は達が継いでいる。今の武谷の当主は、達であった。
「私とて、剛介が近くにいれば心強い。ですが、会津に根を下ろしてしまっているのでは」
 進の言う事は、道理である。
「何も、手ぶらで戻ってこいというのではない」
 半左衛門がかぶりを振った。
「そなたにも話しておかねばならぬと思っていた。かねてより今村の家から、跡継ぎが欲しいとの相談を受けていた」
「今村の家ですか……」
 達が、顎に手を当てた。今村の家とは、武谷の分家である。なかなか男子に恵まれない家系なのか、半左衛門の弟が一旦婿に入っていた。だが、叔父は残念ながら男子に恵まれず、今は大伯母と義理の叔母らと三人で今村の家を守っていたはずである。
「剛介が生きているとは思わなかったからな。今村は、諦めるしかあるまいと思っていたのだが」
 剛介は、昨晩の水野の話を思い出していた。確かに、魅力的な条件ではある。今村の分家を継がせてもらえるならば、武谷の氏にこだわることはない。次男坊としては、破格の待遇に違いなかった。
 だが……。
「会津の遠藤の家についてですが、惣領の敬司殿は会津に戻る気配がありません。残された妻と義父が会津を離れるのは難しいかと」
 剛介がそう言うと、半左衛門はあからさまに落胆した。だが、剛介の言う事も、また道理だった。
「母上のお気持ちも、推し量ってみよ」
 半左衛門が嘆息した。
 長らく、死んだものとばかり思っていた息子が、生きて帰ってきた。その息子が近くに住むのは難しいという。それを知ったら、母はどれほど悲しむだろう。
 だが、会津への恩義を忘れるのも、人としての道を外れるのではないか。
「実は」
 剛介は迷った末に、水野からの申し出を二人に話して聞かせた。それを聞くと、達は大きく頷いた。
「水野殿の申し出は、私も悪い話ではないと思う。二本松では、教員のなり手が足りぬと聞く」
 小浜の分署に勤務している達は、水野の働きぶりもよく知っているようだった。何でも、二本松の竹田町に作られた竹根小学校の代表になっていて、学校管理も任されているとのことだった。
 言われてみればあの戊辰の戦いで、知識人の担い手となるはずの若者も、大勢死んだ。子供たちの教育の担い手が、足りないのは当然の成り行きであった。まだ若い水野が代表となったのは、そのような事情もある。
 それにな、と半左衛門は続けた。
「近頃の空気は、あの頃と似ている」
「あの頃とは?」
 兄が訊ねる。だが、剛介は何となく察していた。
「幕府が倒れる前だ。国の在り方が歪められ、それを憂う者が反乱を企てていると聞く。特に薩摩がな」
 木戸孝允や大久保利通による、ある種の独裁政治を指しているのだろう。それに対して、不平を持つ者が、このところ騒がしい。
「薩摩……」
 その言葉を聞くと、今でも剛介の血が沸騰する。長州や薩摩は、今でも剛介の怒りを掻き立てた。もはや、条件反射のようなものである。
「剛介が、また戦に加わる可能性があるということですか?」
 達が複雑そうな顔をした。
「わしはあり得ると思う。あの戊辰の時とて……」
 半左衛門は、口元を歪めた。本来は、剛介まで戦に出るはずではなかった、と言いたいのだろう。だが、剛介はもう子供ではない。自分で決めなければならなかった。
 熟考の末、剛介は二人に告げた。
「一度、会津に戻り義父や妻とも相談いたします。その上で返事を差し上げてもよろしいでしょうか」
「分かった」
 拒絶ではない。剛介の決断に、特に半左衛門はほっとしたようだった。もっとも、その胸中は複雑である。もしも会津への恩義を忘れ、簡単に二本松へ帰ってくると言ったのならば、それはそれで軽蔑し、息子を叱り飛ばしたであろう。
「それにしても」
 改めて、自分より大きくなった息子を見上げる。
「その遠藤様には、礼を尽くしても足りぬな」
 ここまで息子を養育してくれた見知らぬ恩人には、いくら感謝してもしきれない。


 できることならば、このまま二本松に留まりたかった。だが、休暇も折り返しを過ぎた。若松では、妻子と義父が待っている。
 一日下長折にいただけで、剛介は再び若松へ戻ることにした。
「とにかく、これからはせめて手紙くらいは寄越しなさい」
 家長らしく、達が言い渡した。やはり、弟の行く末が案じられるのであろう。
「そうです。もう、行方の知れぬことは許しませんよ」
 紫久が、きつく剛介を睨む。それはそうだ。子供の頃に叱られたように、思わず首を竦めた。
「お言葉、しかと胸に刻みます」
 もう、二本松に戻っても一人ではない。
 そのことが、剛介の足取りを軽くしていた。

途中、二本松では幾つかの寺院に立ち寄った。そこには、多くの仲間が眠っている。長いこと訪れなかった不義理を詫びたが、手を合わせていると、悲しみだけでなく懐かしさが蘇ってくる。
 きっと、ここが二本松だからなのだろう。会津では感じたことのない、不思議な感覚だった。
 最後に、武谷家の菩提寺である心安寺で先祖の霊に手を合わせると、雪が舞い始めた。
 会津の雪は、既に深くなっているかもしれない。
 一人微笑むと、剛介は二本松を後にした。
 その背を、見つめている影があるとも、知らずに。

>「不穏(1)」に続く

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©k.maru027.2022

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