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泪橋~暮谷沢の惨劇(1)

 御台の一行が須賀川へ向けて出立したのを見送ると、図書亮はしばらくぼんやりとしていた。
 和田から須賀川までは、わずか半里ほど。普段ならば気軽に行けるはずの距離が、果てしなく遠く感じる。見上げれば、須賀川の丘の天辺に須賀川城の堅固な城郭がぼんやりと見えた。
 りくは、まださめざめと涙を流している。妻の涙と同じように、空からぽつぽつと雨が落ちてきた。その雨粒はたちまち勢いを増し、俄かに風も強まってきた。のみならず、天には稲妻が光って雷鳴が轟く。
(天が怒っている……)
 図書亮ですら、そう感じずにはいられなかった。
 そこへ、再び玄関の木戸が乱暴に叩く音がした。緊急事態に違いない。風雨に構わず、図書亮が戸を開けると、血走った顔の藤兵衛と安藤左馬助の顔があった。
「図書亮!」
「どうした」
 ただ事ではない二人の様子に、図書亮の声も緊張した。
「すぐに具足を身に着けろ。暮谷沢くれやさわで、和田の者たちが須賀川勢に討ち取られた」
「馬鹿な!」
 この家に三千代姫の一行を迎え入れて見送ってから、半刻も経っていない。
 だが、俄かには信じられない事態ではありながらも、図書亮は手早く具足櫃から武具を取り出し、てきぱきと身に着けた。
「雅楽守さまや箭部伊予守殿は、既に暮谷沢に向かわれている。お主も急げ」
「分かった」
 藤兵衛の言葉に肯く間にも、りくに手伝ってもらいながら、太腿に佩楯はいだてを、脛には脛当てを結んでいく。決拾ゆがけ籠手こてを着用して、ずっしりと重量感が増したところで、具足を被る。その上から陣羽織を羽織った。
 図書亮が具足を身に着けている間にも、藤兵衛は素早く状況を説明してくれた――。
 
 三千代姫を須賀川に送り返す使者となったのは、宗像越中守だった。三千代姫の離縁を決めた和田方からは、予め須賀川城に使者が送られ、受け渡しの場所と日時が指定されていた。須賀川と和田の領地の境には、暮谷沢という小さな沢が流れている。その沢の側に立つ岩間不動のところで、姫の受け渡しが行われる手筈になっていた。
 宗像越中守は、須田一族に近い国人である。だが、この地に長くあり須賀川の者たちとも顔見知りである。そんなわけで、彼が姫を送る使者に選ばれたのだった。
 だが、和田衆の中では比較的姫に親しんでいたのだろうか。彼の心情としては泣く泣く離縁に応じた三千代姫に同情的であり、岩間のたもとで輿の中の姫に、慰めの言葉をかけたという。
「姫。比翼連理の契りは長いものではございませんでしたが、姫とお別れするのは私の心も枯れるようでございます。御縁はここで尽きてしまいましたが、姫のことを忘れることは決してないでしょう」
 そういえば、宗像越中守はあの花の宴で伺候していた一人だったと、図書亮は思い出した。あの時の幸せが続いていればどれほど良かったかと、思わず唇を噛みしめる。
 岩間不動のところで和田の一行が待っていると、受け取り手である須賀川勢が姿を見せた。さすがに戦になってはまずいということで、須賀川勢を刺激しないために、和田勢は平衣で約束の場所に向かったのだった。だが姫の離縁を聞いて怒り狂った治部大輔から、須賀川勢は「和田勢を一人残らず討ち取れ」という命令が密かに下されていた。行列の一行は姫の輿入れに付き従ってきた者たちが主であり、和田の者は、宗像や倭文半内、そして宍草与一郎などほんの僅かだった。
 須賀川方の使者として現れたのは多珂八郎たがわはちろうという者で、宗像とも顔見知りだった。そのため、宗像に油断もあったのは否めない。
「須賀川の方でござるな。姫の輿をお受け取り願いたい」
 宗像がそう口上を述べた途端に、山の木立の陰に身を隠していた須賀川勢が四方八方から、矢を射掛けてきたという。
「騙された!」
 半内の叫び声も、折からの風雨に掻き消された。半内や宍草与一郎はせめて御台を守ろうと一歩も引かなかったが、多勢に無勢である。たちまち須賀川勢の弓矢の餌食になり、絶命した。それを見ていた雑兵は輿を見捨てて逃げ出したという――。

©k.maru027.2023

>「暮谷沢の惨劇(2)へ続く

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