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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~会津の種子(1)

 十一月。会津では既に初冬の気配を見せ始めていた。この頃になると、剛介の腹は既に決められていた。 
 剛介は、思い切って水野に手紙を書いた。竹根小学校の教員をしている水野ならば、新しい教育についての情報も知っているだろう。
 半月ほど経って、水野から返答が来た。県内にある師範伝習校を福島に統合し、教員を養成するという。募集する給費生の数は、百名。狭き門ではあるが、負ける気はしなかった。
 今度は、武ではなく文を以て、奥羽の叡智を世間に広く認めさせる。
 だが、それを納得させなければならない相手がいた。 

 一八七八年、正月。
「話があります」
 剛介は、正月の酒膳を片付けさせて、義父の清尚、帰郷してきた義兄、そしてようやく正座が出来るようになった貞信を脇に座らせた伊都を目の前に、姿勢を正した。
「春に福島にできるという、師範学校を受験しようと思います」
 剛介の宣言に、義父と義兄は顔を見合わせた。
「それは、巡査を辞めるということですな」
「はい」
 清尚の言葉に、剛介は頷いた。
「どれくらいの期間がかかるのです?」
 伊都は、それが気にかかるようだった。
「二年間と聞いている」
 剛介の言葉に、伊都はがっくりとうなだれた。数ヶ月家を明けていただけなのに、息子はもう父の顔を忘れてしまっている。あれほど、剛介は貞信を可愛がっていたというのに。また家を空けるとなれば、さらに他人となっているだろう。
 清尚も、複雑な思いだった。義理の息子が、自分たちへの恩義を感じているために会津にとどまっているのは、薄々感づいていた。だが、昨年の二本松への帰郷と九州での戦が、義理の息子を大きく動かしてしまっている。剛介は、そこで自分なりの戦い方を見つけてきたのだろう。
 会津への義理立ては十分にしてもらったと思うが、やはり血の気が多い男だ。
「貞信」
 剛介は、幼い子にも分かるように、できるだけ易しい言葉を選ぼうとした。
「お前は、会津にずっといたいか?」
 伊都の目が、大きく開かれた。
「はい、父上」
 貞信が、何を言っているのか、という面持ちで頷いた。
「それは、遠藤の家と離縁するということか」
 敬司が鋭く聞いた。まさか、剛介がそこまで思い詰めていたとは。二本松にある分家を継ぐかもしれないということは聞いていたものの、伊都や貞信を置いていくつもりだというのは、さすがに予想外だったのだ。
「そうです」
 どうして。そう言いたげに呆然とする伊都を、ちらりと横目で見ながら、剛介は言葉を続けた。
「師範学校を卒業して、教員になったとしましょう。ですが、その後どこへ行くことになるのかは、分かりません。伊都と貞信を、あちこち放浪させたくはないのです」
 もう一つの理由を明かさずに、剛介は、淡々と説明した。
 惣領の敬司にも、どうやら引き抜きの話が来ているらしい。仙台にある、国立銀行の役職に就かないかというのだ。結局、遠藤家の惣領敬司も、仕事との兼ね合いで会津に戻ることは難しそうであった。
 となれば、貞信を清尚の養子にして、遠藤の家を継がせるのが万事丸く収まるのではないか。今一つの理由については、剛介自身が胸に秘めておくことで遠藤家の人を傷つけずに済む。
「我が子を、捨てるか」
 日頃、温厚な義父にしては珍しく、厳しい口調で剛介に問いかけた。
 剛介は、目を閉じた。
 義父の言う通りだ。自分の我儘のために、我が子を捨てるも同然である。それは、剛介自身がよく分かっていた。
「貞信は、会津の御子ですから」
 剛介が絞り出すように告げた言葉に、三人は黙り込んだ。
 貞信は、会津の御子。
 九年前、剛介は「二本松の御子」として、会津に保護された。その子は、長じて再び戦の場に赴き、何を見てきたのだろう。
 剛介自身も、我が子を会津に残すと決めた時点で、思い出されることがあった。
 猪苗代で、自分は、あれ以上皆の足かせとならないようにするため、会津に保護されることを望んだ。
 当時は、二本松の大人たちの思いを知ろうともしなかった。だが、「御子を大切にする」二本松人の気質において、それがどれほどの苦渋の決断であったことか。
 自分は二本松の大人にも、会津の大人にも、「二本松の種子」として大切にされたのだ。せめて、「会津の種子」をこの地に残して、次の苗木として育ててもらいたい。
 それが、剛介なりの、会津への恩義の返し方だった。貞信は、二本松武士と会津武士の血を引く子供だ。今なお、会津を始めとする「逆賊」扱いされる世にあっても、誇り高く、強く生きていってくれるだろう。
「剛介様」
 伊都が、静かに言葉を発した。
「貞信を、本当に会津の子にしてしまって良いのですか」
「伊都」
 敬司が妹をたしなめた。 
「剛介が迷うようなことを、言うな」
「ですが」
 伊都も、夫の事を理解しようと務めてきた。だがどうしても、自分と我が子を見捨てようとしているとしか、感じられない。夫にとって、自分の九年は、何だったのだろう。
「伊都」
 剛介の言葉に、伊都ははっと顔を上げた。
「私も、伊都や貞信を連れていけるものなら連れていきたい。だが、それは会津の種子を私することだ」
 貞信は、会津の種子。
 二本松の種子としてこの地にやってきた、夫らしい考え方かもしれない。
「分かりました」
 遂に、家長たる清尚が決断を下した。
「貞信を、私の世嗣としましょう。剛介殿は、離縁と致します」
 剛介は、三人に向かって頭を下げた。
「ここまで育てて頂き、さらには貞信を育ててもらう御恩。これ以上報いる術がありませぬ。本当に申し訳ない」
 清尚は、首を振った。
「男子たるもの、大義のために私を捨てなければならぬこともあります。剛介殿は、我々のために私して良い方ではありません。そのようなお方を迎えられたことは、遠藤の家にとっても誇りでした」
 父の言葉に、伊都は涙を浮かべた。
 もちろん妻の本音としては、側にいてほしい。もしかしたら、もう二度と剛介に会うことがないのかもしれない。だが、夫が自分と息子を会津に残していくのは、決して二人が邪魔だからではない。会津の種子とその守り役として、この地に残していくのだ。
 自分たちは会津に残ることになるけれど、そうしてでも、夫はこれから先多くの種子を育てようとしているのだろう。武を以て世の中を平らげるのではなく、文や仁義の心を以て世の中を平らげるような、そんな種子たちを。
 ならば、夫に未練がないように、気持ち良く送りだそうではないか。それが、会津武士の娘として育てられた、自分なりの誇りだ。

 敬司もまた、剛介の決断に複雑な思いを抱いた。義弟は紛れもなく、本質は奥州の武士だ。十四で戊辰の役で戦い、多くの仲間を失った。そして、西南の役で、戦の酷さという本質を知って戻ってきた。
 戦では、どれほど大義名分を掲げようとも、多くの人が犠牲となり人々の安寧を脅かす。敬司も義弟も、それを戊辰や西南の役で、身を以て知っていた。これから先、あのような愚行を止めるには、徒に人を憎むのではなく、知を以て制さなければならない。敬司自身は、経済面からそれを実現しようとしているのであり、剛介は、知のある者を育てることによって、奥羽の叡智を広く知らしめようとしている。
 確かに義弟は、遠藤家の事情のために、会津にとどめておいて良い人物ではない。義弟が育てた子弟を、ぜひ見てみたいものだ。
 敬司は、そう感じた。

>「会津の種子(2)」に続く

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