見出し画像

【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~薩摩隼人(3)

 宇都隼人は、鹿児島城下の生まれではない。肥後との境にある、出水いずみの出だった。それだけで、城下士からは一段低く見られる、郷士だった。薩摩藩では鹿児島城下とは別の「外城士」の身分である。戊辰の役の際には、越後戦線から若松に進軍したという。
 戊辰の役の後、薩摩の藩政はかつての城下士のうち、下士の者たちが中心となって改革に当たった。他の藩の手前もあり、鹿児島城下の下士たちは、旧弊の藩の体制を変えようと試みた。大久保や西郷は、その筆頭だった。だが、両者は国家の在り方の方針を巡って徐々に道を違え、西郷は遂に下野した。そして、三年前には、鹿児島に私学校が設立された。当初は漢学なども学んでいたが、次第に軍隊組織としての色合いが強くなっていった。私学校は鹿児島市内だけでなく、出水など外城の地にも設立された。
 城下士に対して劣等感を抱いていた宇都は、当初は漢学を学べるということで喜んで私学校に入学した。だが、軍事色の強くなっていく私学校の在り方に疑問を抱き、退学を申し出た。

「退学?」
 窪田が眉を潜めた。確か、私学校では「退学」を認めないのではなかったか。その疑問に答えるかのように、宇都は肩を竦めた。
「認められもはんでしたよ、当然。東京への遊学も禁止されていもしたし」
「それで、出水を出たのか」
 関が、小声で呟いた。宇都が頷く。
「どしてん、家族けね村八分むらはずしになったじゃんそ。あてかあ連絡を絶ったため、今はどうなっちょっか、分かりもはんが」
 宇都は淡々と語っているが、なかなか凄絶な話である。このような事情を抱えていたのならば、宇都が薩摩の者とも距離を置いていたのも頷けた。
「もしかして、昨日の若者は……」
 剛介は、はたと思い当たった。昨日、剛介を斬ろうとしたあの若者は、宇都の同郷の者だったのではないか。
「弟のように可愛がっちょった、こん村邑の者じゃった」
 それだけ言うと、宇都は顔を伏せた。
 掛ける言葉が見当たらない。剛介も、戊辰の役では多くの知己を失った。だが、自らの手でかつての同胞を殺めるとは、さらに酷い状況ではないか。
 見ると、窪田も視線を落としている。まさか、これほど宇都が重い事情を背負っているとは思わなかったのだろう。
「薩摩の罪は、薩摩の人間の手で雪ぎたかった」
 宇都が、そっと言葉を吐き出した。剛介のためというよりも、彼自身の為にあの若者を斬ったのかもしれない。
 関が、そっと鼻を啜り上げる音が聞こえた。
「そうか……」
 剛介も、それだけ言うのが精一杯である。
「戦が絡むと、人が人でなくなるのは容易だからな」
 会津城下の激戦をくぐり抜けたであろう窪田が呟いた。その言葉には、剛介も同意である。
「そういえば、遠藤。お主も訳有りだったな」
 菅原が思い出したように言った。剛介は、思わず渋い顔になった。
「今、その話を持ち出しますか?」
 現在の剛介は会津出身ということになっている以上、余計なことは言わないでもらいたかった。だが、時既に遅しで、窪田や関はもちろん、つい先程まで悲嘆にくれていたかに見えた宇都まで、興味津津といった体でこちらを見ている。
 仕方なしに、剛介は今までの経緯をかいつまんで話した。
 十四の歳に砲術を習い、大壇口の激戦に加わっていたこと。その際、目の前で恩師が落命し、続けて霞ヶ城の落城を目撃し、そして山入村や母成での戦い。そこから猪苗代で会津の丸山家に保護され、その縁で遠藤家の養子になった、等など。
「二本松は、城を枕にして最後まで戦ったのだったな」
 窪田は、感慨深そうに述べた。会津の場合も総力戦だったが、首脳陣はほとんど生き残って、城も激しい損傷を受けたものの、火を掛けるには至らなかった。
「お主が抜刀隊に願い出たのも、分かる気がする」
 関は、今までの剛介の言動にようやく納得したらしい。
「立ち入ったことをっが、生き延びてろなかったか?」
 宇都が静かに訊ねた。その問いに、剛介は首を横に振った。
 全く辛くなかったか、と言われれば嘘だ。だが、それ以上に、当時の大人たちの願いを大切にしたかった。
「二本松や会津の大人達に、『二本松の種子であることを忘れるな』と言われたからな」
 剛介は、当時のことを思い出していた。あの時、確かに「生き延びろ」と諭された。大人になった今になって、西南の地で再び戦場に立っているから、あの言葉を守れているかどうかはやや疑問だが。
「二本松の種子、か……」
 宇都はその言葉を、噛み締めているらしい。ひょっとすると、剛介の過去の話に、一人薩摩を脱出した時分の身を重ねているのかもしれなかった。
「なるほど」
 窪田も深く頷いた。
「二本松の方々は、本当に皆で藩の子供を大切にしていたのだな」
「はい」
 剛介も、会津で暮らすようになって改めて気付いたことだった。二本松は、家中の子であれば身分の分け隔てなく「藩の御子」として扱い、藩全体で子を大切にする藩だった。その当たり前に感じていたことは、かつての二本松の者として、誇りに思う。
 気がつくと、外は大雨になっていた。だが、この雨が、宇都の悲しみを洗い流してくれればいい。戊辰の戦以来、剛介は、初めて薩摩の人間の為に祈った。

>「雨の田原坂(1)」に続く

<マガジン>

https://note.com/k_maru027/m/mf5f1b24dc620

©k.maru027.2022

#小説
#歴史小説
#二本松少年隊
#戊辰戦争
#二本松藩
#武谷剛介
#直違の紋に誓って
#私の作品紹介

この記事が参加している募集

これまで数々のサポートをいただきまして、誠にありがとうございます。 いただきましたサポートは、書籍購入及び地元での取材費に充てさせていただいております。 皆様のご厚情に感謝するとともに、さらに精進していく所存でございます。