「田舎館」という地名
やんさんの記事を拝読して、最近私の中ではちょっとした「青森&函館ブーム」が到来しております。
何度か書いているように、私も中学校3年間は青森で過ごしていたのですが、住んでいたのが南部地方だったため、津軽地方の文化については実はよくわかっていません^^;
言葉だけは、母方の実家である秋田とよく似ているので、ヒアリングは出来るのですが……。
そんな中で、中学生のときから気になっていた「田舎館村」。
特に知り合いがいるわけではないのですが、昔、青森県の公立中学校共通?のものとして配られていた生徒手帳に、青森県全市町村の地図が掲載されていまして、その中で見つけた地名でした。
※ちなみに私が住んでいたのは、某戦国大名の発祥の地と言われるところです。
やんさんが突っ込まれる気持ちも、よく分かるんです(笑)。中学生だった私も、「田舎だからそのままつけたんでしょう?」と、小馬鹿にしていましたから^^;
ですが、今回気になって調べたところ、どうもそうではないようです。
「田舎」の語源
まず、「田舎」という言葉の定義についてです。
ふむふむ、なるほど。この説明によると、田舎というのは田んぼと縁が深い土地、ということですね。
そして最近は歴史小説を書いている関係上、昔の文献などもよく触れるのですが、その経験を踏まえて思ったこと。
元は田舎館=稲ヶ舘だったのではないだろうか?
「田」という言葉自体、象形文字(物体などの形から文字に転じたもの)の一種ですが、いずれにせよ、稲作文化と縁の深い地域だった名残から、「田舎館」の字を当てたのではないでしょうか。
かつては先進地域だった
さらに、「田舎館」という地名から、「館」、すなわち有力豪族の居城があったことが伺えます。
また、田舎館村の公式PDFの情報によると、「蝦夷」の中央地」だった説や、大和言葉の「稲家」による説などがあるそう。
http://www.vill.inakadate.lg.jp/docs/2017121500010/files/yoran-color.pdf
前者の説を取った場合に、この辺りを支配していたとすれば、安倍一族?(前九年の役・後三年の役などで有名。蝦夷の一族だったという説あり)や蠣崎氏、安東氏の祖先が館を構えていた、ということでしょうか……。
地理の関係からしても、梅雨時に「やませ(夏の東北地方太平洋側に吹く北東季節風)」の影響を受けにくく、同じ青森県内でも南部地方よりも「稲作」文化・農業が早くから発達していたのも、肯けるところです。
川もありますし、農業が経済の重要な指標だった頃には、間違いなく住みやすい土地だったのでしょう。
まとめ
いずれにせよ、「田舎」という言葉は現代と昔では、大きくその意味が異なります。
現在の田舎館村については、私も「田んぼアート発祥の地ね」くらいの知識しかありませんが、古代は津軽地方の中核の一角を担い、栄えていた時代もあったのでしょう。
そう捉え直すと、現代とはまったく違った光景が広がりますね(^^)
©k.maru027.2023
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