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【俳句幼稚園企画】~私のふるさと自慢、福島人物編

ラベンダー様の企画、始まりました!
割と得意、というかむしろ看板とも言えるジャンルであります😄
おかわりも投句するかもな~と思いつつ、あれこれ考えてみました。
そんなわけで、まずは人物編から。
人物について詳しく知ることの出来る場所も載せているので、やはり訪問してみてほしいです。

円谷英二監督

星雲の彼方巡りて夢遥か
(無季語)

この方を語るのならば、むしろ季語無しの方が似合う気がします。
ゴジラやウルトラマンでおなじみの、円谷英二監督です。

彼の功績については、多くの人が認めるところでしょう。特撮に興味がなかった私でも、その精神スピリッツを受け継いだ「須賀川特撮アーカイブセンター」や1月に開かれた「円谷英二展」へ足を運んでしまうほど、精巧かつロマンに溢れた作品が多いのです。

やや宣伝になりますが、その模様はこちらからどうぞ!

二本松少年隊

二つ目は、現在取り組んでいる題材より。

安達野あだちの数多あまた種子たねよひこばえよ
【季語】ひこばゆ

「安達野」でおわかりになったかもしれませんが、二本松少年隊を詠んだ句です。
もうすぐ落城の日(7/29)を迎えるということもあり、再度句にしたためてみました。

二本松少年隊は、2013年に大河ドラマ「八重の桜」で取り上げられたこともあり、知っている人は知っている、といったところでしょうか。
ただ、長い間、生存者が多くを語り残さなかったこともあって(ここが、白虎隊と違う)、実態がよく分かっていない部分が多い幻の少年隊でもあります。
ざっくり説明すると、

  • 概ね、13~17歳の少年たち(軍役に就く前の少年)が藩命によって出陣

  • このとき、二本松の主力部隊は須賀川・本宮方面に足止めされており、帰藩が叶わず、城下の留守部隊やぎりぎり帰藩できた部隊、少年たちなどを中心に、総力戦となった。

  • 出j陣した少年たちの人数は、現時点で62名が判明している。中でも、8番隊丹羽右近にわうこん隊の砲隊として大壇おおだん口で激戦を演じた、「木村銃太郎」隊が有名。

  • 木村隊として大壇口で戦ったのは25名。このうち、8名が戦死。(少年隊全体では14名が戦死)

  • 実は、「二本松少年隊」というのは正式名称ではない。生き残りの一人である水野進氏の「二本松戊辰少年隊記」に由来し、戊辰戦争で戦った二本松藩の少年たちをこのように呼んでいる。

といったものです。
私が主人公に据えたのは、二本松少年隊最後の生き残りの人物なのですが、その主人公が、繰り返し言われた(これは私のオリジナル)言葉ワードを盛り込んでみました。
どうしても、戦死した人たちの悲劇性に注目が集まりがちですが、その後生き残った少年たちにも、それぞれの苦悩があったと思うのですよ。

なお、二本松少年隊については今年、新しく歴史観光施設である「にほんまつ城報館」がオープンしました。

旧施設の時には、私も訪問してきたので、また訪れてみたいです😄
小説執筆の構想は以前からあり、その取材を兼ねて二本松を訪れたときの模様は、こちらからどうぞ!

円谷幸吉

3句目は、再度須賀川に戻って、「もう一人の円谷」より。

幸吉こうきちたすきつなぐや緋衣草ひごろもそう
【季語】:緋衣草(サルビア)

昨年の東京オリンピックの際に、須賀川では多くのサルビアが用意されました。
これは、1967年の東京オリンピックの際に、円谷幸吉選手の母校である須賀川高校(現須賀川創英館高校)の生徒たちが、沿道にサルビアの花を飾って応援した、という経緯に基づくものです。
地元には、メモリアルホールもありますよ。

昨年の東京オリンピックでは、円谷幸吉の精神を受け継ぐかのように(実際に、円谷メモリアルマラソンなどで割と早くから実績を残していました)、相澤晃選手が活躍しました。
さて、次に須賀川からオリンピアンが誕生するのはいつでしょうか(笑)。


そんなわけで、まずは3句、上げてみます(*^^*)!

※追記
重大ミスをしていました🙏
季語が「夏」ではない……。
おかわりのときは、夏で揃えます!


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