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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~九州へ(1)

 それからひと月あまり経って、若松にも「草牟田そうむたの弾薬庫が襲われた」という知らせがもたらされた。
 御一新の際の立役者である西郷隆盛が、ついに私学校や薩摩の人々を巻き込んで、兵を上げそうだという。
 廃藩置県後も、まだ藩兵制度がしっかり生きている土地もあった。奇妙なことに、その最もたるものが薩摩だった。そのため薩摩では、大久保ら新政府の息のかかった者たちと、戊辰の役に参加した士族の生き残りの薩摩の者同士が、敵味方に分かれているという。薩摩に戻れば、西郷は英雄であり、県令の大山などよりも遥かに人気がある。薩摩軍の西郷を慕って挙兵に参加したのは薩摩だけではない。熊本や隣県の宮崎などからも、薩摩軍に合流した。
(馬鹿らしい)
 そう思いつつも、剛介の胸中には冷たい怒りが広がった。
 二本松は、そのような愚者たちに蹂躙され、死んでいった。士卒の多くの者が死に絶えたのは、そのような愚者らの私怨のためではなかったのか。
 戊辰の役で散々血を流しながら、まだ戦い足りぬらしい。そう思うと、やりきれなさが残った。

 二月十五日。会津ではまだまだ冬である。若松警察署内で、ささやかな酒宴が開かれた。日頃の労をねぎらうという名目なのだが、このところ、署内の上役である白井と篠原の仲が険悪なのである。その荒肝をなだめようというのが、言い出しっぺの齋藤の言い分だった。
 それというのも、昨日、とうとう西郷隆盛が兵を上げたという連絡がもたらされた。白井は長州出身、篠原は薩摩出身である。階級は同じ一等巡査なのだが、どちらにも次の署長の座を巡って功を立てたいという焦りが、あるようだった。薩摩出身の篠原としては、西郷に対して忸怩たる思いがあるのだろう。さらに本音を言えば、両名とも出来るものならば、居心地の悪い会津からとっとと逃げ出したいのかもしれない。
 西郷の挙兵に対して「肥後・佐賀・筑前・土佐・備前・因習・彦根・桑名・会津・庄内などは挙兵をするに違いない」と、木戸孝允は岩倉具視に対して書翰を送ったという。その話を、白井が今朝の朝礼で「訓話」として披露していた。
(あんな話を堂々と朝礼の席で訓示するから、いらぬ火種を蒔くのだ)
 剛介は、内心そう思っていた。もっとも、事ある毎に茶々を入れたがる白井も白井だ。剛介にとっては、両名ともどうでも良い相手ではあるが。
 そんな白井と篠原に酒を注いでやろうという地元の人間は、少ない。仕方なしに、春に就職したばかりの剛介に面倒な役回りが押し付けられた。
「頼む、遠藤」
 先輩格の齋藤が、手を合わせる。
「あのお二方は、酔い潰してしまえ」
「そこまでする必要がありますか」
 剛介は、苦笑いした。
 署内の下級職員は、その多くが地元の人々である。表立って反抗すればどのような処罰が待っているか分からないため、逆らう者はいない。だが、自ずと白井も篠原も部下からは嫌われていた。
 白井はともかく、幼少の頃より薩摩の芋焼酎で鍛えられている篠原を酔い潰せるだろうかと内心訝しみながら、剛介は二人に酒を注いだ。
 二人の口は、酒が進むほどに止まらなくなっていった。多くは、会津への悪口である。会津の者は、馬鹿正直すぎる。要領というものを知らぬ。早くから我らに恭順しておけば、多くの者を死なせずに済んだものを。
 そんな二人を、周りの部下たちは諂うでもなく、冷ややかに酒を注いでやりながら、一刻も早く酔い潰そうとしていた。
「……それで、二本松の戦の折には……」
 篠原の口から、「二本松」という言葉が滑り出て、剛介は思わず手を止めた。
「私は、正法寺という村邑から二本松に入りましてな」
 すると、この男はあの戦いの時には剛介たちと対峙していたのか。いつもにも増して、むかつきが、胸を覆う。顔色に出ていないであろうかと思いながら、黙って篠原の杯に注いでやった。
「ほう」
 白井が、目を細めた。
「長州は、竹田とかいう所から入った。どこよりも早かったな」
 白井は、篠原を侮蔑するように言った。
 それで、真っ先に城下で狼藉を働いたというわけか。剛介にしてみれば、どちらも大して変わりがない。
「大壇は、軍目付の隊が手強くての。斃した後に、その生き肝を食っていた者もおったようだが……」
 篠原は苦笑した。当時は若かったが、とても他の者の真似をする気にはならなかったという。
(小川先生のことだ)
 もちろん、剛介は平助を知っていた。当時の武士の慣習とは言え、改めて生々しい話を聞かされると、きついものがある。
「何よりも、砲兵どもが強かった。砲も小銃もすこぶる射撃が正確でな。おまけに、地の利は完全に二本松にある。あの指揮官は若かったようだが、見事な采配ぶりであったよ。お陰で、薩摩も随分と被害を被った」
 篠原の言葉に、剛介はさらに胸が詰まった。
「どうした、遠藤」
 いつの間にか顔色が変わっていたのか、白井が怪訝そうに剛介を見つめる。
「いえ、どうということはありません」
 剛介は、慌てて首を振った。「少々酒に、当てられたようです」
「まあ、お主も飲め」
 昔日の武功で舌が滑らかになっているのか、白井が側にあった杯を剛介に押し付けた。
「それでどうなった」
 平然と白井は篠原に訊ねる。
「儂の幼な友など、あの者たちの砲で吹き飛ばされ、二度と剣を握れぬ体になった。だがな、先へ進もうとして、もっとぞっとした」
 篠原が、唇を歪めた。
「死体が転がっていたが、子供の死体であったよ。せいぜい、十三、四といったところではないか」
 奥田午之助だろうか。
「農民が巻き込まれたということか?」
 眉を顰めた白井の問いに、篠原は首を振った。
「いや、身なりは武士だったな。腰の物があった。それにしても、二本松は、子供でも鬼に仕立て上げる。恐ろしいところだと思った」
 剛介は、手が震えた。決して、酒のせいではない。
「そうか。私が戦ったのは、年老いた鬼たちだった」
 白井はせせら笑った。確か、竹田門は老人組が守っていたはずである。だがあの時、老いも若きも、男子たる者は皆戦った。どうして笑えるのだろう。
「子供の鬼にしてやられるとは、薩摩も情けないの」
 明らかに、白井は篠原を挑発している。
 元々、薩長の間では反目し合うことも珍しくなかったというが、乱暴狼藉の具合においては、五十歩百歩ではないか。
 白井の言葉に、座は、一気に白けた。その白けた空気に気付いていないのは、すっかり酔いが回った白井と篠原だけである。
「もう、それくらいにされては……」
 さすがに、二人が言い過ぎだと感じたのだろう。一つ年嵩の佐野が止めに入った。だが、酔いの勢いに任せた二人の言い合いは、止まらない。
「何だと?」
 篠原が、白井の胸ぐらを掴んだ。

>「九州へ(2)」に続く

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