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直違の紋に誓って~Spin Off ~掌中の珠玉(4)

 伊都の身に変化が生じたのは、それから三月程経った頃だった。
 月のものが止まり、食が進まない。食べた物もすぐに吐いてしまうし、間違いないのではないか。
医者に見せると、「三ヶ月ですな」とあっさり言われた。
 もちろん、伊都が真っ先に告げたのは剛介だった。
「本当に?」
剛介は伊都を抱きしめながら、囁いた。
「正月頃に生まれるそうです」
伊都の声は、はずんだ。剛介の子供が、自分の胎内に宿っている。そう思うと、天にも昇る心地だった。
「あの、東山の出湯のときか」
「いや。仰っしゃらないで」
 思わず、剛介に激しく抱かれたあの時の事を思い出し、伊都は俯いた。
 ふと顔を上げると、剛介の目が潤んでいた。あのとき、子供を持つことを剛介は戸惑っていたが、これは、喜んでいると思って良いのだろうか。
「剛介さま?」
「父や母に、武谷の血がつながった事を報告できたらどれほど嬉しかったか……」
夫の言葉に、胸が詰まった。きっと、夫は二本松の事を忘れたことはなかったのだろう。だが、激しい城下戦の中で、剛介の家族は死に絶えたに違いないと、いつだったか漏らしたことがあった。
 もう、二本松には戻らない。そう決めているようだった。
「義父上にも、報告しなくてはな」
 剛介は、柔らかく微笑んだ。
 その日の夕餉の席で剛介と伊都が子供が出来たことを報告すると、清尚の顔にもぱっと笑みが浮かんだ。生まれてみるまでは男か女かわからないが、清尚にとっても初孫である。喜ばないわけがなかった。
 それからの剛介は、妊娠した妻の体を労り、学校が休みの時は小間問屋の商いの手伝いに出かけるなど、精力的に働いた。学業もあるのだから相当な負担だったはずだが、「学生の身で子を持つのだから、少しでも遠藤家の負担を減らすのが当然」と言い切り、労を惜しまなかった。
 またある時は、一足先に子供が誕生した星家に顔を出し、赤ん坊の抱き方を教わっていた。普段は学業に勤しんでいる夫が、不器用ながらも父親になろうとしている光景は、心が温まった。
伊都も赤子のための襁褓を縫っている時などには、母になる喜びを噛み締めた。

 正月。敬司も里帰りして新年の祝賀の浮かれた雰囲気の中で、伊都は陣痛に見舞われた。
出産という慶事は遠藤家でも久しぶりのことであり、男たちはおろおろとうろたえるばかりであった。かろうじて清尚が産婆を呼びに行き、隣家からは既に夏に出産を済ませていた登美子が手伝いにやってきて、陣痛に苦しむ伊都の世話を焼いてくれていた。
「剛介。少しは落ち着け」
義兄の敬司が、剛介の袖を引いた。そういう敬司の顔にも、疲労の色が隠せない。
「義兄上こそ、落ち着いたらどうです」
言い返す剛介の額には、汗が浮かんでいた。生まれてくる赤ん坊のために家中が温められており、襖の向こうからは絶え間なく伊都の悲鳴が聴こえてくるのである。
「出立まで生まれてくれないかな」
敬司が東京へ戻る時刻も、そろそろ迫っているのである。日頃の彼に似合わず、妹の出産に立ち会いたいらしかった。
「無茶なことを」
 剛介は、軽く義兄を睨んだ。
 その時である。一際伊都の高い悲鳴が上がったと同時に、小さな産声が聞こえてきた。
 襖のこちら側で、男三人は顔を見合わせた。
「産まれた……」
 剛介の頬を、涙が伝っていた。そんな義理の息子の背中を、清尚が叩く。程なくして、付き添っていた登美子が襖を少しだけ開けて、にっこりと微笑んだ。
「おめでとうございます。立派な息子さんですよ」
「息子……」
 遠藤家待望の、跡取りだった。剛介は、ついと立ち上がると、自室へ戻って墨を擦り始めた。
 そんな義弟の後を、敬司は慌てて追った。
このめでたい瞬間に、義弟は何をやっているのかと敬司は訝しんでいる敬司をよそに、剛介は文机の前に座って、堂々とした美しい筆跡で、一つの名前を認めた。
 貞信。
 半紙には、そう記されていた。
「剛介殿。もしかして、それは……」
二人の後を追って剛介の自室にやってきた清尚が、尋ねた。
「義父上を於いて、差し出がましいかもしれませんが」
 本来なら家長である清尚が息子の名前を決めるのだろうが、剛介は早々に息子の名前を決めてしまったらしい。
「何か謂われが?」
気の早い義弟に苦笑を浮かべながら、敬司が尋ねた。
「大壇口で亡くなった、恩師の名を頂きました。諸学に通じ、子供たちを思う本当に立派な方でしたから」
「そうですか」
清尚は、深く肯いた。
義理の息子は、あの戊辰の役で十四で大壇口で死闘を演じた。その義理の息子が慕っていたというならば、本当に立派な人物だったのだろう。
「いい名前だな」
 敬司も、それを認めざるを得ない。これで、遠藤家に誕生した男児の名前は貞信と決まった。
「いたいた」
 向こうから、トタトタと足音を立てて登美子が男たちを呼びに来た。
「産後の処理も済んだから、剛介さん、伊都ちゃんと息子さんに会ってやって」
 登美子の声に、男たちは微笑んだ。
 剛介がそっと襖を開けると、ぐったりとした、だが幸福そうな様子で伊都が布団に寝かされていた。部屋の片隅には血のついた布が積み上げられており、出産の苦労を物語っていた。
「伊都、頑張ったな」
 剛介は、そっと妻に囁いた。
「痛かったです」
 伊都も、柔らかく微笑んだ。あれだけ血が流れたのだ。その言葉は、たった今息子を産み落としたばかりの伊都の実感だろう。
「男には真似できない」
 剛介は、心底そう思った。そして、伊都の傍らで、今はぱっちりと目を開けている自分の息子を見つめた。
 産まれたばかりでどちらに似ているとも言い難いが、できることならば自分に似てほしいと願った。
「抱いてやってください」
 伊都に促され、剛介は両腕にそっと息子を抱き取った。
 軽いような、重いような。目元は、何となく自分に似ているような気もした。まだ赤い顔をしているが、いずれはどちらかに似てくるのだろう。
 紛れもなく、自分の血を引く息子。
 どうか、亡くなった恩師や同胞たちの分まで、この世を精一杯生きてほしい。
 そして、この世に生まれ出たばかりの赤子が、これほど愛おしいとは思わなかった。
「貞信。健やかに育てよ」
 剛介が呟いた言葉に、伊都は目を見開いたが、そのまま微笑するにとどめた。夫は、早くも息子の名前を決めたらしい。
「貞信……」
「いい名前だろう」
 伊都のつぶやきに、剛介がにこりと笑った。
 これから先、夫との息子はどんな風に育っていくのだろう。そして、父となった剛介は、息子をどのように可愛がってくれるのだろう。伊都は、確かに剛介の愛情を感じながら、目を細めるのだった――。

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