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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~出水(2)

「私などはもう、とうに楽隠居をして、日がな不知火の海を眺めて暮らすつもいじゃった。そいがどうだ。出水は鹿児島かごっまと政府のいさけにまたしてもっ込まれた。戊辰の役の時とひとっこちな」
 剛介は、伊藤の言葉に驚いた。そういえば以前に、宇都は越後から会津に入ったと述べていた。その時も、出水の者は犠牲になったのだろうか。剛介の疑問に答えるように、宇都がぽつりぽつりと話し出した。
「新潟から、会津に入ったあのときは、十七じゃったな。伊藤様に連れられて、会津までた。あの頃は、雪がっ前に一刻もよ出水にもどろごちゃっと、そいばっかいを願っちょったかな」
 束の間懐かしそうな表情を見せたが、それも一瞬のことだった。今の宇都には、かつての官軍として誇る素振りが見られない。それは、出会った当初から一貫していた。何か、会津でやらかしたのか。
わても、会津では酷いことをしっきたとも。王師ちゅう言葉に痴れて、若松の倉から正々堂々と分捕りもしっきた。みしけ滞在の間に、女も犯した。そん女は、目の前で自刃した」
(やはり)
 この男も、戊辰の戦いを綺麗事だけでは乗り切れなかった。あの頃の薩軍は、あちこちで蛮行を働いていた。「王師」という言葉は、彼らの蛮行の免罪符となったに違いない。
「女を犯したそん瞬間は、快楽しか感じなかったがな。眼の前で喉を突かれたあの瞬間は、今でも夢に出てくるこっがある」
 宇都の顔が、苦しげに歪む。だとしたら、宇都はずっとその業を背負い続けていくのだろう。それだけではない。かつて可愛がっていたという同郷の者も、剛介を助ける為に斬った。その瞬間も、きっと脳裏に焼き付けたまま生きていくのではないか。
「だが、郷士は所詮郷士。我等は牛馬とおんなしとしか、城下士の者たちからは思われておらんかった。そん証拠に、郷士の者が死のうと負傷しようと、薩摩本土からの恩賞は一切支給されなかった」
 伊藤が吐き捨てるように述べた。それどころか、先の戦いで鹿児島の城下士があらかた戦死してしまって薩軍の人数が足りなくなると、他国の者や郷士に目をつけた。
 そもそも、いくら薩摩隼人が勇猛だとはいっても、政府軍に本気で潰しにかかられたら、数ではかなわない。敗けるに決まっている。このままでは無闇に若者の命が失われるだけだ。その償いを、薩軍がしてくれるとは思えない。既に、戊辰の例があるのだから。
「虚心坦懐に戦う、というわけにはいかないものなのですね」
 思わず、そんな言葉が口をついて出た。
「こっちんお人は?」
 伊藤が、不思議そうに剛介の紹介を促した。そういえば、何の紹介もされないままに上がり込んでしまったと、今更ながらに思う。宇都は「同じ隊の者です」と答えるに止めたが、剛介は改めて名乗った。
「会津の遠藤剛介と申します。二本松の生まれで、戊辰では薩摩と戦いました」
 剛介の言葉に、伊藤は黙って頭を下げた。きっと、薩摩の者として奥州に色々と思うところがあるに違いない。実際には、会津を朝敵と見做した薩摩の人間はほんの一部で、多くの者は、特に会津を憎んでいるわけではなかったのだろう。ただ、「会津は朝敵である」と叫ぶ城下士には逆らえなかった。そして、絶対的な固陋の概念に、明治になった今でも囚われている。
 そんな薩摩の人間に対して、ふと憐れみを覚えた。結局、従来の武士の在り方を否定しながら最後まで武士の因習に捕われていたのは、薩摩の人間に他ならないのではないか。そんな一部の薩摩人のために、多くの者が犠牲になった。
 しばらく伊藤と宇都の四方山話が続き、その中で、話は田原坂の戦いに及んだ。伊藤が「三郎が犠牲になった」と言うと、宇都は瞑目した。
「伊藤様。申し訳ござんさん。三郎を斬ったのはあてです」
 宇都が、振り絞るように述べる。だが、その義弟となるはずだった男を斬らせたのは、剛介だった。あの瞬間、宇都の胸に去来したものは何だったのか。
 伊藤は、黙って首を横に振った。
「まだ、戦いは終わっちょらん。薩軍、官軍どっちでんよか。一人ひといでも多く出水の若者わけもんが生っ残っくるれあ」
 伊藤の言葉は、胸を抉った。きっと、剛介も伊藤と同じ立場に立ったのならば、一人でも多くの若者の生還を願うだろう。宇都を初めとして、この地から戦場に発った者の多くは、薩摩の大切な未来だったはずなのだから。 

>「出水(3)」に続く

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