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泪橋~回向(1)

 図書亮が明沢に依頼したのは、かつて鎌倉にいたはずの一色家の家人を探し出してもらうことだった。佐野彦之助げんのすけがそれである。佐野は図書亮の傅役だったが、鎌倉の屋敷が焼き討ちに遭った際に、離れ離れになっていたのだ。明沢に払う銭を用意するのは一苦労だったが、幸いにしてこの年は、豊作だった。領民らも素直に税の徴収に応じてくれたこともあり、それらの中から少しだけ、明沢に支払ったのだった。
 再び曇天に風花が舞う頃、明沢は佐野を連れて一色家の門前に現れた。
「図書亮様。奥方までお迎えになっているとは……。ご立派になられましたな」
 かつて一色家の郎党であった佐野は、そう言って涙を浮かべた。永享の乱以降は、互いに行方が分からなくなっていたこともあり、図書亮も感慨深いものがあった。
 佐野によると、風の便りに、図書亮が鎌倉の近所に住んでいた安藤の伝手を頼り、二階堂氏の須賀川下向の一団に加わったと聞いた。そこから図書亮の行方を追うのがまた大変で、二階堂氏を追うにも地方に下向してしまっている。もしやと思い、都の一色本家の伝手を頼り、ようやく図書亮の無事を確認したというのだ。だがその頃には、岩瀬の二階堂家は和田勢と須賀川勢が一触即発の事態にあった。主が戦乱に巻き込まれたのではないかと、佐野はずっと気を揉み続けていた。そこへ現れたのが、明沢である。
 ただ須賀川の図書亮を訪れただけではなく、彼は一通の書状を手にしていた。
 佐野によると、上杉憲実からは一刻も早く図書亮に鎌倉に戻ってきてほしいと言われているという。憲実自身は幕府に近い立場であり、かつては仇敵として一色家と対立したこともあった。だが、関東や奥州の安定のためには、どうしても成氏を中心とした鎌倉府という組織が欠かせない。また、各所の豪族の権力争いが繰り広げられており、その調整役を担う人間が必要だということだった。
「心配をかけたな」
 やはり、家の子の郎党の情は深い。りくの前で見せる「主君」としての図書亮の姿は、りくの目にも新鮮に映ったらしかった。
 佐野から奥方様、と呼びかけられたりくは、気恥ずかしそうに顔を俯かせた。今まで箭部の娘として扱われることはあっても、貴人扱いを受ける日が来るとは思ってもみなかったのだろう。
 佐野が持ってきた書状を広げると、冒頭には「一色図書亮に引付衆ひきつけしゅうを命じる」とあった。さらに続く文面には、一色家の旧領である富田郷の所領安堵の文言、そして末尾には、足利成氏の署名もある。紛れもなく、鎌倉府からの正式な復帰要請だった。
「上杉殿は何と?」
「図書亮様には、期待しておられるとのこと。二階堂一族の争いで、和議を持ち込まれたことや武勇を振るわれたことも、評価されている由」
「引付衆か……」
 武勇を頼み、それで身を立てようと考えてきた図書亮には、意外な人事だった。引付衆は、現代でいうのならば訴訟を扱う役職である。だが、決して図書亮を軽く見ている風ではない。この数年鎌倉と縁遠かったことを考慮すれば、大抜擢と言っても良いだろう。
 図書亮の心は、鎌倉へ戻る方向へ傾いていた。だが、それをりくに告げて良いものかどうか。
 三の丸近くにある千用寺に泊まっているという佐野を送っていくと、図書亮は物思いに沈んだ。悩んでいる図書亮の気配を察したか、りくが岩魚の焼き物を運んできた。その膳には、酒器も載せられている。
「図書亮さま。鎌倉にお戻りになりたいのでしょう?」
 盃に熱い酒を注ぎながら、りくは静かに微笑んだ。その傍らでは、さとが軽い寝息を立てて眠っている。娘の寝顔は、図書亮にそっくりだった。
「いつぞや私が申したことを、覚えていらっしゃいます?」
 図書亮は、首を傾げた。
「私は、図書亮さまと一緒にいられるだけで十分幸せなのです。そう申したことがございましたでしょう?」
「そうだったな」
 まだ、三千代姫が生きていた頃の話だ。この地の地祇について話した折に、主夫婦についての四方山話をしたのだった。あの時、りくは「ただの武人の妻で十分だ」と言ってくれた。
 鎌倉では既に新しい公方が擁立され、図書亮の意志とは関係なく、宮内一色家はその府閣の一員となるよう取り計らわれている。都の幕府と鎌倉の因縁は既に根深く、此度の和解も、ひょっとしたら一時的に過ぎないかもしれない。鎌倉に戻るとなれば、その微妙な綱を日々渡っていくことになるだろう。己にそれが出来るだろうか。
 だが、二階堂家に身を置いたとしても、恐らくこれ以上の立身は望めない。箭部氏の娘であるりくを妻としているとはいえ、先の戦での功績は、取木村を分け与えられたに過ぎなかった。武功の割に恩賞が少なすぎるのは、図書亮が為氏に三千代姫との婚姻を勧め、そのために為氏に災いをもたらしたと考える者が、四天王らに対して讒言を行ったのかもしれなかった。
「りくは、須賀川の外に出ても構わないのか」
 思い切った図書亮の問い掛けに、りくはあっさりと頷いた。
「私は女ですもの。夫についていくのは当然のことです」
 それに、と言いかけてりくが飲み込んだその先の言葉を、図書亮は察した。
 図書亮の傍らには、りくと愛娘がいる。それは、為氏と三千代姫が叶えたくとも叶えられなかった、夢の姿だった。その夢の姿が保てるのならば、この地を離れることに未練などあろうか。りくは、そう言いたげだった。
「……鎌倉は、海の魚が豊かなところだ」
 図書亮は懐かしむように言い、りくを抱き寄せた。その仕草にりくが微笑む。
「では、図書亮さまのお好きな魚の団子汁も、今度は海の魚で作れますね」
 魚の団子汁は、りくと結婚してから、彼女が度々作ってくれる図書亮の好物だった。今までは川魚で作っていたその味も、鎌倉に移ったら変わるだろう。りくに釣られて、図書亮も笑顔を浮かべた。
「父上や伯父上には、まだ黙っておきましょう」
 りくの言葉に、図書亮は頷いた。どうやらりくも、内心では戦後の処遇に不満があったとみえる。
 また、あの姫宮神社建立から後、怨霊騒動は一旦落ち着いたかに見える。だが、ようやく起き出せるようになった為氏の顔には、まだ陰が残されていた。やはり、三千代姫の怨霊が現れたというのが心に引っかかっているのだろう。いつしか為氏に対しては、年の離れた弟を見守るような、そんな情を抱いていた。

©k.maru027.2023

>「回向(2)へ続く

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