見出し画像

サイコロきっぷで行く尾道・福山【後編】

本記事は「サイコロきっぷで行く尾道・福山【前編】」の後編である。

2日目

二日目は宿で簡単な朝食を済ませた後、尾道駅前の港から船に乗って鞆の浦へと向かう。船は瀬戸内海の渡船にありがちな三人がけのシートが両壁にならぶもので、道中いろいろと案内をしてくれるらしい。

しかしながらにして、ただでさえ船に弱いのにそこにかすかな二日酔いの風味が入るとなるとしんどいらしく、若干苦しい思いをさせてしまったのは気の毒だった。

道中では干潮で湾内の殆どが干上がっている松永湾や、途中で湾曲した珍しい形状をしている内海大橋、西国霊場である阿伏兎観音などを会場から見学することが出来る。波の高い冬季以外は運行しているらしく、時間短縮にもなるため、尾道を観光した後に鞆の浦に行くのであれば非常に良い手段であろう。この日は天気が良かったものあり、かすかな二日酔いが晴れるような景色をいろいろと眺められた。
また、瀬戸内海の航路は浅瀬が多いので難しい、などという話を小耳に挟んだことはあったが、干潮時に移動したことでひょっこり頭を表している岩礁をほうぼうに眺めることでそれを実感することも出来た。航路に寄っては瀬戸内海経由のほうが近そうなのに太平洋へ大回りするものがあるが、あれだけ船が走っていてなおかつ航路が限られているとなると、納得できるものもある。

内海大橋
阿伏兎観音

鞆の浦は古くは北前船の風待港と知られ、近世の港湾における特徴をよく残した歴史的に価値のある場所として知られる。この日はよく晴れていたのもあり、近代的な漁港とはまた違った港の雰囲気を楽しむことが出来た。私は港町が好きなので色々と行っているつもりだが、もう少しゆっくりと来たほうが楽しめるかな、と言った具合にはいいところであった。

昼食に美味しい鯛めしを食べた後に、トモテツバスで福山へと移動する。福山駅から15分ほど歩き、福山自動車時計博物館を訪問する。ここは様々なレトロカーを展示している施設で、一部を除いて中に座ったりすることができる。博物館の創設者が復活させた終戦直後の3輪タクシーのレプリカ、かなり古いトヨペット・クラウン、スバル360など、自動車工業の歴史を肌で感じることができる施設だ。
似たような博物館として愛知のトヨタ博物館があり、規模としてはあちらが勝る。こちらは手作り感のある展示で雑然さは否めないものの、スバル360に乗って『この車思いの外狭いんだな』なんて体感できるところなどそうないだろうから、稀有な施設の一つであろう。

また、おそらく創設者(この博物館は地元企業家の方が創設されている)の意図だと思うのだが、「GHQが四輪自動車の生産を制限していた時期」の前後に作られた三輪自動車が多く展示されており、様々な制約がある中で製造されたそれらの車両も大変興味深く拝見することが出来た。英国では税制の都合で三輪自動車の製造が続けられたという話を読んだことがあったが、日本においては「そもそも四輪車の製造が禁止されていた」という点は盲点であり、また昭和四〇年代以降に衰退していくのも納得できる話であった。

スバル360
トヨペット・クラウン

また、来訪したときに外の車庫で偶然ボンネットバスの整備をしており、担当者さんのご厚意でエンジンの調整を見学させてもらうことが出来た。なんでもここの博物館は数台可動車のボンネットバスを所有しており、団体で来場する際はそのバスで福山駅まで迎えに来てくれるそうだ。全国的にボンネットバスの運行は年々減ってきているため、ちゃんと専門の担当者さんによって整備された形での動態保存に力を入れていらっしゃるのは流石、としか言いようがないだろう。屋外展示もバスや古い消防車など充実しており、こちらも満足できる内容であった。

整備中のボンネットバス

徒歩で帰る途中に福山城に寄ったが、どうも事前申込みが必要だったそうで、入場は出来なかった。新幹線から石垣だけ見える城として認識していたが、立派な復興天守閣があることをちゃんと認めた。

この後は福山駅前にある大阪の平均的な串カツやよりよっぽどうまい立ち飲み屋の串カツを頬張って新幹線までの時間を潰し、「さくら」で帰路へとついた。

さいごに

今回の経路は私が組んだのだが、コンパクトに尾道・鞆の浦・福山と組み込むことが出来て、5000円+船代とバス代という交通費にしてはいい旅ができた。 ……まあ、『尾道をサイコロで当てる』という運の要素がかなりでかいのだが。

ちなみに、もう2回めのサイコロを振っており、次は一人旅の予定だ。
次はどこへ行くのだろうか……?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?