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サイコロきっぷで行く尾道・福山【前編】

学生の時分、たまに安いレンタカー屋で車を借りてきては当日の朝にサイコロで行き先を決めるような旅をよくやっていた。これは言わずもがな、「水曜どうでしょう」の「サイコロの旅」に倣ったものだ。
あまり思いつかないような面白いところに行けたり、数年前のサークルの合宿の行き先に再び行く羽目になったり、深夜2時になっても依然京都に帰れず名神高速を走る羽目になったりと、いろいろな経験をした記憶がある。カネがなく頻繁に一般道を使うものだから、ずいぶんと時間がかかったように記憶している。京都に帰ってくる頃にはヘトヘトで、車中も水を打ったように静かだったように記憶している。

そのようなサイコロまかせの旅というものが、このたび鉄道でもできるようになった。なんでも「サイコロきっぷ」といい、大阪市内からサイコロで出たランダムな行き先に連れて行かれるきっぷで価格は5000円。行き先は近場で東舞鶴、遠方だとなんと博多まで行けるというきっぷだ。

ちょうど、学生時代に先述のような遊びをしていた人たちとこの話をしていると意気投合、Google Meetsのテレビ会議を通して一緒にサイコロを振ったところ、なんと『尾道』を当てることが出来た。これは大当たりだ。尾道まで新幹線となると、本来5000円では片道の運賃すら支払えない。

これはいい機会だ、と、いうことで我々は尾道へと行くことになった。

1日目

この日の天気は曇り、すこしどんよりとした空気である一方で、比較的涼しい日であった。遠くは東京、近くは大阪市内からめいめいの経路を辿って、新大阪駅にメンツが集合する。途中先輩が「のぞみ」の発車15分前に着く御堂筋線に乗ってやってくるというトラブルもあったが、無事に予定した列車に乗ることが出来た。

初日は山陽新幹線「のぞみ」に乗って一路福山へと向かう。尾道には山陽新幹線の「新尾道駅」もあるのだが、停車列車が少なく市街地からも離れている関係か、この「サイコロきっぷ」では福山で降り、そこから山陽線の普通電車に乗って尾道へ向かうこととなっている。

車中では「なんとなく酒が飲みたい」との後輩くんの一言で、まあいいかと朝っぱらから酒を飲むことになった。写真を撮り忘れてしまったが、私は新大阪駅の21番線寄りの売店でのみ販売されている京都・志津屋のビーフカツサンドを片手に、今日はもう美術館には入れんな、と思いながらビールを飲んでいた。そうだ。酒を飲んで美術館や博物館に入ってはいけない。

いまだ活躍を続ける113系

福山で乗り換え、普通列車で尾道へと向かう。部活関係の学生さんや、恐らく同じきっぷで尾道を目指しているのであろう旅客で列車は存外混雑していた。途中でスライドした列車は227系、一昔前まで山陽線は下関から姫路まで延々と国鉄型のモータの響きを聞かされるものであったが、それも昔話になりつつあるのだなと実感していると、尾道駅に着いた。

尾道へ着くと、同行していた建築趣味の友人の案内で、ひとまず山側を目指すとになった。ちょっと前の尾道駅で降りたことのある人ならご存知だろうが、山の中腹にあるお城の跡地に行こうという話になったのだ。

しかし、坂の街尾道の洗礼は厳しかった。

このような坂や階段が続く

道中は知恩院もびっくりの急な階段で、職業柄よく歩くメンツはスタスタと、そうでない人々はゼイゼイと登る羽目になる。
このルートを選択した建築趣味の友人は前者であるから、あれよという間に目前から消え、げんこつほどの大きさになってしまった。それを私が必死に追いかけていると、新幹線での飲酒が効いてきた組が後ろの方でiPhoneほどの大きさになってしまった。途中から一本道になるので迷いようはないので心配はいらない。しかし、学生の頃は付いていくことが出来たはずなのに、こうも体力差を見せつけられると歳というもの、そして日頃の積み重ねの大切さを感じさせらる ――もっともその友人は浪人しているので私より歳上なのだが。

建築趣味の友人を追いながら登った結果、大汗をかきながらもお城の跡地にある展望台へとたどり着いた。長崎、神戸といろいろな坂の街があるが、少なくとも勾配の急峻さに関して尾道は我が国の観光地随一であろう。個人的にはゴミ収集をどうしているのか少し気になるくらいだ。

城跡のすがた

お城は記憶が正しければ数年前まで建っていて、3年ほど前に広島へ行く途中で降りたときには存在した記憶がある。
ちなみに、中近世において尾道に天守閣を伴うような『本物の』お城というものはない。あの城はあくまで観光施設として建てられたものらしく、今は解体されている。何かの本で『ホテルだ』と読んだ記憶もあったのだが、銘板を見ると博物館のような施設だったらしい。
個人的には後述する展望台より眺めが良いようにも思え、割合空いていることもあり息を整えて休憩するにはちょうどいいスペースであった。

城跡の展望台から対岸の向島の造船所を望む

そこからは比較的なだらかな道を辿って展望台へ向かう。先程までの坂は何だったのかといった道だ。

最近オープンという展望台はBlenderを初めて3週間目くらいの人が設計したような、瀟洒でありながらシンプルな作りとなっていた。
(ここでも展望台の写真を撮るのを失念しているので、掲載された記事のリンクをここに貼っておく)

私のような素人にはデザイン性に優れている一方でどことなく手抜きに見えたのだが、建築趣味の友人などは『ここまでスッキリした作りにしようとすると、特注品だらけになってカネがかかる』などと言っていたので、かなりこだわりを持って作られたもののようだ。
ここの展望台からは山陽本線もよく見えて、望遠レンズ次第では通過する貨物列車もはっきりと撮れそうだ。

展望台の端からは山陽本線と尾道大橋が望める

その後はお寺と神社の上を通過するという若干バチあたり感のあるロープウェイに乗って下山をした。あれだけシャツを濡らして登ってきたのは何だったのかというくらいのあっという間の乗車で、へばりつくような坂をガイドさんの案内片耳にさっと降りさって、下界へと戻る。

一気に降りる

降りた頃にはちょうど昼飯時、新幹線でとった食事もこなれてきたくらいになったので、尾道の名物であるラーメンを食べることとなった。

尾道ラーメンは醤油ベースのラーメンだ

ラーメン屋はおそろしく並んでいたが、割合回転も早く、程なくしてうまいラーメンとうまいビールを飲むことが出来た。

ラーメンを食べながら先程展望台絡みた光景を思い出すと、たしかに上から見た造船工場、海運の要衝、漁業も盛んとラーメンが流行りそうな要素を一通り揃えた地であろう。一方で、先月行った岡山は倉敷という一大工業地帯を抱えながらも、道路沿いにはセルフうどん店だらけでラーメン屋をあまり見なかったのを麺をすすりながら思い出す。

福山市が何県だったかよく失念するほど広島県と岡山県の県境というのは曖昧だと個人的には思っているのだが、こういうところでお国どころの差、というものが出ているのかもしれない―― と思案していると、笠岡もラーメンで有名だったな、なんて思い出してしまってやっぱり岡山と広島の境目が曖昧であることを再認識してしまった。

その後は商店街を散策、間を覗く山陽線などをスナップする。坂の街はよくスナップが映えるものだ。

鉄道雑誌でこの踏切をご覧になられた方もいるのではないだろうか
はこぶもの

ラーメンを食べるとちょうどチェックインによい時間になっていたので、歩いて宿へと向かった。たどり着いた部屋では少し休憩、テレビジョンを見ながら汗を鎮める。旅行先で見るテレビジョンというもの面白いもので、見慣れないマンションのCM、メーカのCMなどを見るのも一つの旅行の楽しみだ。少なくとも、広島では分譲マンションにおいて完全無料自走式駐車場が一つのステータスとして認識されていることがよくわかった。2台分あるとなお良いらしい。

その後は後輩くんと一緒に港沿いをいろいろとスナップして過ごす。坂の景色を振り向くと海の景色、この尾道水道にはシーソを思わせるくらいの頻度でひっきりなしに渡船が走っていて、その暮らしの風景もまたスナップの題材として興味深い。料金も旅客数十円、自動車数百円と非常に安く、住民の足として活躍しているようだ。

渡船は通勤電車の如く乗り降りが終わればすぐに出発する

帰りしなには目に入った銭湯を改装した中華料理屋で小籠包に舌鼓を打ち、ジャスミンハイで喉を鳴らす。ホテルの風呂が若干心もとなかったので、近くの銭湯へ行き、汗を流した。非常にこじんまりとした銭湯だったが、必要にして十分、なおかつ清潔感のある銭湯であった。

夜は一緒に来たメンツで居酒屋にて簡単な会をして、部屋に戻ってスーパーで売っていたシャインマスカットをつまんだり、アニメーションをちらりと見たりして、その日は終わった。

後編につづく


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