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オープンダイアローグ(開かれた対話)は男性相談にも有効な手法か?|体験談より

オープンダイアローグとは

オープンダイアローグとは、フィンランド発祥の統合失調症に対する医療の手法の一つです。フィンランドの病院の実践例を2013年に知った齋藤環氏が日本での普及に努めています。
※今回の後半のコンテンツは「専門家による医療の手法を実践した体験談」とは異なります。以下の教科書的な紹介の仕方は、今回私の体験談の背景にある、一般的な語彙「オープンダイアローグ」の意味を把握いただくことを目的として書いています。

オープンダイアローグは、ときに「急性機精神病における開かれた対話によるアプローチ」と呼ばれるように、主な治療対象を発祥初期の精神病としています。治療の対象は統合失調症に限定されず、うつ病、PTSD、家庭内暴力などさまざまな応用例が知られています。
家族療法を専門とする臨床心理士であり大学教授のセイックラ氏が中心人物で、著作や論文が齋藤環氏によって紹介されています(齋藤, 2015)。
精神療法としてのオープンダイアローグの非常に大まかな流れは下記です。

斎藤環、2015、『オープンダイアローグとは何か』
  • 相談依頼に対し、チームで会いに行く

参加者は本人にかかわる重要な人物なら誰でもよいです。治療チームのスタッフは家族療法のトレーニングを受けており、相談に対して数名の専門家チームをつくり、即座にクライアントに会いに行きます。

  • 本人なしでは何も決めない

スタッフ限定のミーティングなどはいっさいなく、本人と家族、関係者ら全員の意向が表明されたのちに、治療の問題が話し合われます。

オープンダイアローグのやり方・ルール

齋藤環氏がセイックラ教授の著作や論文をまとめたところによると、4点がポイントです。

  • 電話を受けたスタッフが責任者

最初に相談を受けたスタッフが責任をもってメンバーを召集します。

  • 全ての参加者は平等だが専門性は必要

相互理解に向けて、議論を広げたり深めたりするような役割のファシリテーターはいます。原則、スタッフとクライアントの間にはっきりした区別は設けません。重要なことは「専門性」とは家族療法などの知見であって、「専門家が指示し、患者が従う」という上下関係は存在しないということです。

  • 薬物は「保険」

オープンダイアローグは「反薬物治療」でも「反精神医学」でもありません。急性期の統合失調症をはじめ、重篤な精神疾患にかかわる以上、万が一のバックアップとしての薬物や入院病棟は、いわば「保険」として必要とされています。

  • 「リフレクティング」〜自分についての噂話を聞く仕掛け〜

リフレクティング(映し返し)の手法は、たとえるなら「自分の目の前で自分の噂話をされる」という状況に近いです。人は往々にして、自分に直接向けられた評価よりも、誰か他人の評価を間接的に聞かされるほうが信憑性が高いと感じられがちです。説得や押しつけ抜きで、こちらの見解をしっかり聞いてもらう手法として、リフレクディングのステップは重要です。

以降の体験談で紹介するオープンダイアローグでは、ややアレンジを加えた形で進行されました。
ですので、精神医療を目的とした専門家による取り組みとは一線引いて、以降のコンテンツを読んでいただけると誤解がないです。

  • 相談者・参加者・観察者(オブザーバー)の自己紹介(匿名)

  • 「批判・助言の禁止」「話したい時だけ話す」ルールの周知

  • 相談者がモノローグ(独白)する

  • 相談者が離席しリフレクティングをする

  • 相談者のリフレクティング中、参加者がダイアローグをする

  • リフレクティングを受けて相談者が2度目のモノローグを追加する

  • 再び相談者が離席しリフレクティングをする

  • 参加者がダイアローグをする

  • 相談者のコメント、感想の交流

性や愛のもやもやを抱える人のためのオープンダイアローグ

見出しにリンクをつけていますが、リンク先で紹介されているイベントに、私は参加しました。土曜日の夕方に主催者の方のご自宅にて、合計3時間程度でした。参加者は15名程度で、容姿から窺える男女比は6:4ぐらいです。
参加費については、夕食でファミリーレストランで飲食するぐらいの金額をお支払いしました。
相談者はお二人でした。モノローグ/ダイアローグの内容は書き込み禁止のため書きません。

オープンダイアローグの体験談

体験を一言で振り返ると、新鮮な思考ができ、自分の「あたりまえ」を疑うことができた点で、非常に貴重な体験でした。
新鮮な思考ができたという感想を2つに分解します。
1つは、オープンダイアローグだからこそ選ばれる、性や愛のトピックを通じて、自他が悩みを感じるポイントや違いに気づけることです。
もう1つは、知識に依存しない/解決を志向しないというルールが共有される場だからこそ、過去の自分や相談者・参加者を歪曲せずダイレクトに向き合えることです。

次に、自分の「あたりまえ」を疑うことができた、というポイントを2つに整理します。
1つは、相談者が困っている問題を自分が何気なく乗り越えていると気づき、自分が乗り越えている理由・感覚を深掘り、自分が「あたりまえ」に乗り越えている不思議に向き合うことができることです。
もう1つは、傾聴してくれる他者のありがたさに気づけたことです。
前提、私は感情表現・意見表明の両方を好む「エクスプレッシブ(expressive)」なタイプです。自分の感情・意見を表現する話し相手をいつでも確保していて、自分が「家族となら話せる/友人となら話せる/バーなど社交の場だから話せる・・・」といった形でどんなトピックもタブーにしないように暮らしています。こんな私ですので、コミュニケーションの相手を選べる自分の幸せに、今まで無自覚に「あたりまえ」と思って生きてきました。
集まっていた相談者・参加者の方々の様子を見て、家族やパートナーや常連客と話せるのが当然ではないことに気づけました。

普段は考えない他者の悩みを聞き、解決を目指さない率直な感想・経験談を語り合うことは、いつもと違う脳の使い方をします。

批判しない・結論を出さない対話

批判しないこと、結論を出さないことは、私が直近でよくするコミュニケーションには馴染んでいません。
状況を批判的に捉えて改善に向けて助言をする、結論を導くために事実を積み重ね、論理的にプレゼンテーションする。こうしたことをビジネスの場で取り組んでいる私にとって、批判しない・結論を出さないで対話するオープンダイアローグは、最初は制約の多いものに感じられました。

伝えたい結論なしに、どうやって相手と話をするのか?そんな疑問が浮かんでも不思議ではありません。しかし、実際にオープンダイアローグのルールに従ってみると、批判や結論と縁の遠いところで思ったことを話せばよいという空間からは、むしろ自由な経験談、普段疑問に思わなかった謎などがポンポン出てきます。そして、相手は初対面の人たちで、しかも2度と会わないであろう人たち。知的で魅力的な人間に見えるよう振る舞う必要はなく、恥をかいたところで実害はありません。伝えたい結論がなく、今後の関係にも響かないところでこそ、心底で思っていることや、語ってこなかった経験が交わされることになるのでしょう。

"男性"にとって性・愛の悩みに向き合う経験とは

一般論で「男性」「女性」と区別して性・愛の悩みへの向き合い方がまるっきり違うということは言い切れないでしょう。ここでは、男性メンバーが多数を占める集団/女性メンバーが多数を占める集団、の一般的な特徴を念頭に、性・愛の悩みに対する向き合い方・逃げ方の傾向を記述してみます。
限界として、異性愛男性で社交的なタイプの私の視点から行う記述なので、男性メンバーが多数を占める集団でのイメージを軸とした、やや偏った理解になります。

"男性"にとって性・愛の悩みに向き合う経験を、相手・シチュエーション・トーンの3観点から考えてみます。
まず、相手について。男性の傾向の1つが、自分やインターネット上の不特定の他者を相手に、悩みつつ整理しているパターンです。トピックにタブーを設けない私ですら、相手からの評価や評判を気にして、ニーズがあっても悩みを話さない段階のことはあります。自分の話し方が拙いうち、自信をもって話せないうちは、友人や家族にあえて悩みを打ち明けることは稀です。私自身、なんらかの相談を同性から受けるとき、「言語化に困るはずの性や愛の悩みのはずなのに、他の悩みよりよく考えられた形で聞かれているなぁ」と感じることがしばしばあります。つまり、自分やインターネット上を相手に壁打ちする段階が、他のトピックの場合や女性の場合より長く、
男性が性や愛の悩みを打ち明ける相手についてのもう1つの傾向は、同様の悩みを乗り越えた(であろう)男性に打ち明ける、ということではないかと考えます。

次に、シチュエーションについて。偏見かもしれませんが、男性は飲食を伴いながら、自分がいくらか高揚するようなシチュエーションで性や愛の話をしがちです。分かりやすいのが、スナックや居酒屋やバーなど、男性がお酒やフードを口にしながら大声で話しやすい社交場です。前項の「相手」とも絡みますが、男性同士の会話というのは何か目に見えるトピックについて会話が弾む「横並び型」(side by side)が高い割合を占めるそうです。逆に、女性同士によくみられる、自分たち自身の気持ちについて話し合う「顔合わせ型」(face to face)のコミュニケーションは、あまり選ばれないそうです。
男性たちがお酒やフードを交えた場で性や愛の話をするメリットは、得意ではない「顔合わせ型」の会話をする際に、食べ物や店員やテレビのある空間で別のトピックに話をずらしやすいからかもしれません。
ともかく、自分が気分を高めやすいシチュエーションであるほど、男性たちは性や愛、プライベートな悩みを話したがる傾向にありそうです。

最後に、トーンについて。これが一番人それぞれだとは思うのですが、私の周囲の男性たちの性や愛の悩みを語るモードについてです。一言で言えば
、悩み自体を笑いに消化して矮小化させがち、となるでしょうか。この背景ですが、小中学生以来の少年集団には、性や愛のトピックを「下ネタ」としてコミュニケーションの道具にする文化があります。この文化の是非はともかく、性や愛をシリアスに語ることは「かっこ悪い」「面白くない」と評されがちです。ですからその延長として、成人男性ですら、性や愛の悩みを笑いに転化したり、「大した問題じゃない」と矮小化したりするのです。
もちろん、トピックを拡大すれば、男性ジェンダーのステレオタイプにある「自分に自信があり、クヨクヨしない」という男性観から外れないように、プライベートな悩みをシリアスに話さないよう育っているのかもしれません。
繰り返しになりますが、トーンについては人それぞれですし、同じ男性であっても上記の相手やシチュエーション次第でトーンは変化します。ただ、ここで抑えたかったのは、オープンダイアローグで目指されているような対話とは遠いトーンで、男性たちは性や愛の悩みをトピックにしているのではないか、というものです。

※※分かりにくいようであれば、具体例で書いてもよいかも。

男性相談とは

「男性相談」というと語彙そのままなので、実際に一般社団法人や男女共同参画センターがどのような取り組みをしているか、ざっとリンクで紹介しておきます。

一般社団法人日本男性相談フォーラムは、独自の電話相談事業としての『男』悩みのホットラインを設置し、多数の自治体からの依頼を受けて、男性相談(電話・面接)の現場に携わっています。
全国の男女共同参画センターを中心に、男性を対象とした相談窓口が設けられています。

都道府県別の相談窓口を一覧化したこちらのページでは、多数の都道府県で男性相談がされていることが分かります。

唐突に男性相談のトピックを出してしまいましたが、男性相談は、現状男性の悩みに寄り添うために設置されている1対1のスタイルです。個人の悩みに個別に対応する手厚さが重宝される一方、相談窓口の対応工数の問題、すなわち人手不足の問題が心配されます。
加えて、個人的な問題として対応が継続されるうちは、なかなか集合知として男性の悩みを消化したり解決したりするプロセスを見出しにくいといった、限界もあるかもしれません。

オープンダイアローグと男性相談のシナジー

仮説/理想の域を超えてはいないのですが、オープンダイアローグの手法を男性相談の場に取り入れることで、複数の男性参加者が抱える問題を整理し、ときには治癒させ、ときには周囲との関係改善に役立てるという効果が得られるのではないか、と考えています。
目的は、男性に起こりやすい諸問題を男性たち自身で共助的・持続可能的に解決していく仕組みを整えることです。目的をかなえるための目標は、自分のセックス/ジェンダーゆえに起こりがちな問題を自分たち自身で消化し、しなやかに解決していくことができる男性を増やすことです。つまり、日常に起こるモヤモヤする問題 〜特に性や愛やジェンダーといった男性がこれまで向き合うのが苦手だった問題〜 に、心理的安全性が保たれた場で耳を傾け合い、自分たちの悩みに気づいていく共助的・持続可能的なサイクルを生み出したいのです。
目的をかなえなければならない理由はシンプルです。この目的をかなえないことで男性たち自身を含め多くの人の「負」が残り続けますし、目的を達成すれば、男性に起こりやすい諸問題が今後どのように変化しても、乗り越えていくための文化・基盤が整うことになります。
現状とのギャップはどうでしょうか。男性たちに起こりがちな悩みのおそらく多くを、男性たちは個人的に・強硬的に・暴力的に解決しようとして、ときに失敗してきました。失敗のために起こってしまう負の事象として例えば、個人的に悩んだ末の自傷/自殺、強硬的に自らを高めようとした結果の(否定的な意味での)マッチョ化・パワハラ化、悩みの矛先を周囲に向けた結果の家庭内暴力(DV)やいじめ、といった問題が考えられます。
自分のセックス/ジェンダーゆえに起こりがちなこうした問題に、間違ったアプローチをとるまえに、集団的に・柔軟に・非暴力的に対話しようとする場があることで、悲惨な事態は1つでも減らせるのではないでしょうか。

手法の一つとしてのオープンダイアローグによって、面識のない男性たちが集まり、オープンに対話することで自他の悩みに気付いていくことが期待でsきます。ときには、それが悩みの昇華になったり、解決に導かれたり、友達ができたりするかもしれません。クローズドな場に閉じられることの多い男性相談を、心理的安全性の高い集団の場に移すことによって、男性相談に従事する方々の工数削減・専門性のハードルの引き下げなども図れるかもしれません。
こうしたシナジーを期待して、私はオープンダイアローグを取り入れた複数の男性たちによる男性相談を提案・企画します。

実は、「当事者研究」の文脈で、既に「ぼくらの非モテ研究会」は類似の実践を行っていると言えそうです。性や愛のトピックをタブーなくトピックにして、臨床心理の専門家を中心とした主催で少人数のメンバーを集めて、継続的に活動されています。その実践をまとめたエッセイ兼研究成果が、本にまとめられているのもすごいところです。

私自身、当事者研究には並ではない関心があります。
実際、当事者研究の公開イベントと、非モテ研の『モテないけど生きてます 苦悩する男たちの当事者研究』の読書会に1度ずつ参加しました。
オープンダイアローグと当事者研究のトーンの違いを1点指摘します。
オープンダイアローグが習熟度や思考の型をほとんど必要としない場であるのに対して、当事者研究は思考法に習熟していて、問題解決に向けたアプローチを探っていく傾向があります。実践としては似通っているものの、集まる参加者の層としては、オープンダイアローグの方が参入障壁は低いように感じています。

余談:映画「ドライブ・マイ・カー」の感想から

4/15、Netflixにて映画『ドライブ・マイ・カー』を見ました。
雑な感想をFilmarksにまとめていますが、そちらは末尾につけるのみです。

男性相談の問題に引きつけてみると、主人公の家福は、妻・音の死後の喪失感と、打ち明けられることのなかった秘密に苛まれていました。ドライバーのみさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたことに気づかされていきます(公式サイトのあらすじを抜粋。一部改変)。
最愛の妻を失った中年の男が、1ヶ月前は面識すらなかった23歳のドライバーの女性との対話をきっかけに、「自分はもっと正しく傷つくべきだった」などと内省するに至ります。良いことばかりのストーリーではないですが、性や愛の悩みを打ち明ける機会の乏しい男性にとって、いかにそれが難しいことなのか、この映画から教わった気がします。


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