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びっくりのインド ● 34 ● 貧乏を憐れむべき?

私が生まれたのは 1964年、東京オリンピックが開催された年だ。
高度経済成長の真っ只中、それを象徴したのが大阪万博だった。
とにかく物価の上昇が激しく、例えば、小学校1年生の時に 15 円か 20 円だった学習ノートが、卒業する時には 70 円になった。

1970 年代の初めころ
1 冊 15 円 か 20 円 だった学習ノート。
調べてみると、これは 神戸ノート  といって、
地域限定のものだったようだ。
高学年になると 1 冊 70 円になった。

街も瞬く間に変わっていった。
舗装されていなかった路地にアスファルトが敷かれて、駅で警手さんが手動で開け閉めしていた踏切が自動になったことは、いまでも強烈に記憶に残っている。

神戸に路面電車が走っていた頃
すまタイムトラベル より引用)
写真中央あたりに手動の踏切があった
すまタイムトラベル より引用)

その頃はまだ浮浪者がいた地域もあって、冬になるとドラム缶で焚き火をして暖を取っていた。
私が小学校の 2 ~ 3 年の頃には彼らを見なくなった。

小学校の低学年に見た景色が、私にとって まだ金持ちではない日本 の記憶だ。

その頃の 粗末な家 で私が思い出すのは掘っ立て小屋やバラックだが、インドの貧しいところ では、それを  と呼んでよいかどうかも分からないところで生活していた。
柱のようなものを4つ立てて、その上にテント生地をかぶせて十数人が暮らしていたのに衝撃を受けた。
びっくりのインド ● 15 ● 極楽の気候と洗濯 で紹介したように、バンガロールの天気は温暖で湿気もないから寒さに凍えることはなく、日陰なら彼らが住んでいるところは快適だとしても、私が思う 住まい の定義を覆すものだった。

これが日本なら、極度の 貧しい暮らし である。
しかし、私の中に憐れむ気持ちは沸いてこなかった。
そこで暮らす子供たちがとても 幸せそうだった からだ。

テントの下をちらっと覗いてみると、飢えに苦しんだり病気に苦しんだりしている人はいない。
私が見たバンガロールは食べる物に溢れていて、市場や屋台では野菜や果物が山積みで、ストリートでもブルーシートのようなものを敷いて、その上に野菜を並べて売っていた。
テントの下で暮らす彼らが何らかの方法で食料を手に入れていて、雨風をしのげているのは確かだ。

貧しい かどうかを判断するには 平均的な暮らし が基準になると思う。
けれど、平均的 が何かは社会に刷り込まれるものだ。

奇しくも、この記事を書いているとき、夜の 10 時頃に自転車で帰宅する途中、或るビルから大勢の子供たちが出てくるのを見た。
夜の 10 時と言えば、昔の小学生なら寝ていた時間だ。
「 こんな遅くに何をしているのだろう? 」 と思って、ビルの看板を見ると、そこは塾だった。

学校が終わって…?
そのあとに塾へ行って…?
しかも夜の 10 時まで!

塾から出てくる子供たちは笑顔だ。
しかしそれは、インドで見た子供たちの楽しそうな顔とは何となく違う。

私が 5 ~ 6 歳までは電話器にダイアルはなく、横に付いていたハンドルをグルグル回して交換手を呼び電話番号を伝えて繋いでもらっていた。
あるときダイアル回線が登場して、1 家に 1 台だった電話が親子電話になり、プッシュ回線になり、それが今では スマホがあるから固定電話は要らない 時代になった。
こんなにあっという間に日本を豊かな国にした先人たちには、ただただ頭が下がる。
それがどうだろう、今は 『 シンプルライフ 』 『 持たない暮らし 』 『 捨てて整える 』 『 ミニマリズム 』 など、持つことを否定 する動きが見られる。
たったの 50 年で大量生産・大量消費の時代が終わろうとしている。

アメリカでは学校で銃を乱射する事件が後を絶たず、日本でも放火したり車で人をはねたり、自分の不幸を関係のない他人のせいにする事件が度々起こる。
彼らの言う 「お前らのせいで」 の お前 が、本当は何を意味するのかを真剣に考える時期が来ている。

いまは生き方が多様で、それ故に、自分の選択が正しいかどうかに自信が持てず、「 選ばなかったもの が実は選ぶべきものだったのではないか 」 と、つい考えてしまう。
これを 自由 と表現すると 豊かさ に聞こえるが、実は 辛いこと でもある。

ミニマリズムの基本は 「 自分が選ばなかったこと (もの) は、自分に必要がないものだ! 」 という宣言だと私は思っている。

不幸を他人のせいにするのは 「 選ばされた 」 と思っているから、という気がしてならない。

テントの下から出てきて 5 ~ 6 人で楽しそうに遊んでいた子供たちは、2030 年までに GDP が日本を超えると予想されるインドで、どんな大人になるのか。
塾が終わって嬉しそうにしていた子供たちは、「 お前らのせいで 」 という人たちがいる社会で、どんな風に生きていくのか。

大切なのは、「 あなたはこれを持っているから幸せですよ 」 とか 「 あなたはこんなことをしているから平均以上の幸せを手にしてますよ 」 とか、社会が私たちに囁きかける幸せの基準ではなく、自分にはこれがあれば十分 というものが分かることではないだろうか。
だから私は、他の社会で暮らす人たちに対して 「 あなたは貧乏だ。だから不幸だ 」 など言わない。

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