"瞬間湯沸かしのような怒り"の冷まし方

戦争の始まりは「瞬間湯沸かし」と似ている、これは、古から使われる表現。欧米の植民地政策による経済規模拡大を学んだ日本が "同様" にアジアに侵略し植民地経営を始めた途端、欧米の怒りが湯を沸かすように沸騰した。

経済制裁を始めた欧米に、今度は日本が湯沸かし器と化した。憎しみが憎しみを生み、相手も自身も人が鬼畜に代わっていく。支配の利権をめぐり、新興工業国や第一次世界大戦の敗戦国は追い詰められ、沸騰する世論の熱に "客観" は煮詰められて姿を変え蒸発していく。

結局、熱を冷ますのには一気に蒸発させる飛び抜けた熱量を投入するしかない。それが、原爆だった。追い詰められた国々も最後の起死回生の兵器として、米国と同様に研究開発が進んでいた。手にしたのが米国であったということだ。

米国はその熱量投入の前に、無差別焦土作戦を展開していた。目的は、工業都市の焼却と戦意の消失。だが、日本では次から次に 戦意の"焼け木杭には火が付く" 現象に手を焼く。一気に吹き飛ばす熱量が必要と決断し、原爆を二発投入。日本の戦争指導部に精神的な変化が現れ、終戦を迎える。

事実である。原爆投入で世界戦争が終わった。だが、因果関係はよくわかっていない。日本は玉砕を軸にした戦争遂行に凝り固まろうとしていた。原爆の現状を詳細に知っていたのにもかかわらず。

「二度と繰り返しません」。それが、戦後日本の選択となった。この意味を世界は理解し共有できているか。

利権のために繰り返し拡大していった植民地支配。二度と繰り返しません。
怒りに我を忘れて、鬼畜に化けること。二度と繰り返しません。
現状解決に原爆(核兵器)を使用すること。二度と繰り返させません。

これだけは、二度と繰り返しません。

それが、戦後の日本の選択肢。一択である。それを、世界に伝えきれているか。世界はそれを理解しているか。そして、具体的に行動しているか。自問自答を繰り返すのは、日本だけなのか。では、どうあるべきか。コタエは見つからない。

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これは、原爆と世界大戦終戦を妄想した、わたしの頭の中の文字列です。経済的植民地支配は、まだ、続いていて、それゆえの怒りの炎は燃え盛っている。これも、私の妄想です。これから先、怒りに我を忘れるときがくる。これも、私の妄想です。そして・・・。

#日経COMEMO #NIKKEI

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