過疎地は、新時代の開拓地となるか、自然に返すべき土地とするか

日経新聞さんの記事「87市区町村、人工減脱す」は、にわかに信じられない思いで読みました。

なるほど、やはり、産業が人口増加をリードしているということでしょうか。「次世代が安心できる生活環境には、ゆるぎない生産:報酬と利便性の高い消費環境が必須」でしょうから、人口増には納得できました。

ゆるぎない生産:報酬。これ、その他の過疎地にどうすれば導入できるか。

新時代の生産と報酬:人の就労とデジタル化は、相容れないものなのか、補完しあえる関係なのか。第一次産業に適用するとすれば、7割デジタル化:自動化で生産効率を図り、きめ細かなサービスに "雇用" をもとめれば、補完しあえるのかもしれません。人が行う質の高いサービスであれば、それなりの利益を生み、それなりの報酬分配ができそうです。

新時代の生産とエネルギー:これは、言うまでもなく "脱炭素" ですから、過疎地でエネルギー生産を任せていただけるのなら、アイディアはたくさんあります。まずは、重力由来系(川上中下・海にやさしいダムなど)で電力供給。同時に水素関連の媒体精製。そして、地熱活用。もちろん、太陽由来で人工光合成。こちらはギ酸精製などが期待できます。データセンター基地の構築と運営も候補に挙がることでしょう。

上記のような方向に投資が向けば、過疎地は一大産業地域に化ける可能性がなくもない。

そうでないのなら、私の記事(note で「k.gotou 過疎」と検索していただければ・・・)のように「きちんと後片付け」をしたうえで「自然に返す」ことになるのだろうと思うのです。その際にもある程度の投資は必要。けれども、「だらだらと過疎対策をつづける」コストを考えると、一気呵成に過疎対策を行ったほうが、後々、次世代が苦しまなくて済む。

その中に、都市部への「過疎市民大移動」が含まれます。平成大合併より規模の大きな国策です。けれど、このくらいのコストをかけなければ「一気呵成の過疎対策」とはならない。

過疎市民の「生活している土地」に対する思いは、過疎地に住んでいるわたしも同じで理解しているつもりです。ですが、次世代を考えたとき、このまま、だらだらと過疎地対策を行ってよいのか、自問自答が止まらないのです。

過疎地の50代60代が活発に動ける間に、"一気呵成" に大きく動くか、次世代が "フロンティア" として、あらたに開拓に汗を流すのか。どちらにしても、"だらだら" は避けなければならないと思っています。

#日経COMEMO #NIKKEI

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