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「普通の結婚」に中指を立てる

白石足立区議の発言が波紋を広げています。LGBT云々はともかくとして、「普通の結婚をして普通に子供を育てるのが、いかに大切であるか、いかに素晴らしいかということを、教育の場でしっかり教えないと」というのは私にとっても非常に胸糞悪いものだったので急遽取り上げることにします。

「普通の結婚」なんて何も素晴らしいことはない

前回から言っていることですが、普通の結婚が最大限保障されたからと言って、男性(特に非モテ)の不遇が解決するわけではありません。親権や財産が妻に握られてしまうのがその「普通の結婚」の中身なんですからね。ここを白石氏はきっちり分かっているのでしょうか?

残念ながら今でも、LGBT批判にしろフェミニズム批判にしろ、その側の論客にはこの白石氏と同じように、単に結婚する人が少なくなったという観点で批判している人が多いです。しかし現実は、そんな簡単な話で収まるわけではない。

彼らはおそらく、この二つの記事の真の意味を理解することはできないでしょう。非モテ問題に押されてこれらについては殆ど語られなくなりましたが(あるいは彼らがこれらの存在をできるだけ隠すために非モテを扇動していたのでしょうか)、これらもまたデータが示す現実です。

「親権や財産が妻に握られてしまう」、この状態が解決されない限り、普通の恋愛ないし結婚の機会を増やそうという提案には私は全く賛同することができません。

子供を3人以上産む代わりに…

似たような発言として、昨年はこのようなものもありました。

もう、ふざけんじゃねえと思いましたよ。どう考えても、女に3人以上産ませる代わりに女をどんどん優遇して持て囃す、そういう政策に一直線じゃないですか!事実、この桜田氏の発言自体には、女性蔑視であるという声はそれほど挙がりませんでした。むしろフェミニスト含め女性たちからは、「なんで3人以上産めないのか考えてくれ」「3人以上産めるようにするのが先だ」とかいう声のほうが多かったわけです。

結局、非婚化ないし少子化という観点からしかフェミニズムやジェンダー解放を批判できないのでは、マスキュリズムとしてあまり同調はできないのです。

もし男性差別を感じたり、その当事者になったりしても、「復古主義者たち」にはならないでほしい。フェミニズムを批判すると復古主義者に吸収されたり、同調してしまったりする人が結構いる。しかしそれでは男性差別はなくならないし、解決しない。時計の針を元に戻すことなど不可能だし、性差別の根本的な解決にはまるでならない。日本ではマスキュリズムを担う「男性差別撤廃派」が貧弱なので、男性差別に疑問を持った当事者は復古主義に流されてしまうが、それでは何の解決にもならない。

余談

ところで「普通の結婚」というと、こんな本があるようです。

これは主に結婚を望んではいるけれどいい相手に巡り合えない女性に向けて書かれたものですが、希望年収が500万だの600万だの言う女が多いといったことなどにも言及されています。このいわゆる上昇婚の実態についてはここでは詳しく取り上げませんが、いつか時機が来た時に書くので、一応は覚えておいてください。