見出し画像

成功より、失敗した方が面白い。

寝起きから、頭痛いけど洗濯物を処理したいので、布団から蘇ってきた
DAISUKEです。

はい、昨日なんですがYouTubeを見ていて、ケーキというヤツを急に作りたくなってしまって、もうその衝動は誰にも止められないとおもったので、材料を買いに走り、トライしてみたんですよ。

こう見えても普通の料理はたまに作ったりするので全然軽い気持ちでチャレンジしてみたんですが、見事に・・・


『失敗した\(^o^)/』


正しくは別に食べれたから失敗では無いと思うけど、ガトーショコラ作ろうと思ったら、なんとなく表面がカリカリに焼けたババロアみたいになった。
それでは、ご覧いただこう。

画像1

お分かり頂けただろうか。
もう一度ご覧頂こう。。。

画像2

びくりするくらい、不味そうである( *'ω'* )

はい。
大人になって、卒なくこなせる事をしていたのか失敗という失敗はなんとなく久しぶりにやった感があってめっちゃ楽しかったw
ここで思ったのは、成功って話しても面白くないし、それで終わりだけど失敗した時って話のネタにもなるし、自分も羞恥心さえ取っ払えば一番楽しい瞬間なんじゃないかな?とか思ったりする。

失敗するとやたらとお堪える風潮があるから、失敗=悪い事って潜在意識に刻まれているのかもしれないけど、失敗したら、笑いに変える方がエネルギー的にエコであるし、人生的にも面白いんじゃないかなと思ったりする。
だから、成功の法則とか自分ってあまり興味ないのかな?とか思ったりもした。

今更ではあるが、チャレンジの本当に大事なのは成功ではなく、失敗なんだと思う。成功法則なんて、時と場合と人相と時代によっても変わっていくんだから多分変動する物だけど、失敗ってコレしたら失敗ってのがわかっているからわかりやすい。

そして、大人になると大体の事は出来る様になるし、失敗しない様な生活をする様になるし、失敗のリスクを抑えようとする。だから面白く無くなっていくし、毎日が退屈になるのではないかと感じた。
私も失敗して他人から何か言われるのが苦手な方であるが、自分1人で完結する失敗というのは、逆に快楽に似た物を感じる。さらに、同じ馬鹿を共有できる友だったり家族なんかがいるともっと人生は豊になるだろう。

だから、思考的に馬鹿というか、心をもっと馬鹿にするべきなのかもしれないし、自分の気持ちを馬鹿に出来る環境に身を置く事で実は、本来の自分の在るべき形が見えてくる人もいるのかもしれない。
人目というのは、物理的でないにしろ意外と精神的ダメージが大きいと思っている。
そういうモノに敏感な人ほど、人との拘りをもっと精密にする必要があるのかもしれない。

そんな事を思ったので、書き留めておこうと思ったのでござる。
もう、頭が爆裂しそうなのでこの辺で・・・


失敗は人生の素


D-desingというブログも運営しています。
人生を楽しむ為の自分のインプットした物を排出していますので、気になる方はどうぞ。



よければサポートしてくれると嬉しいです! 働かないで生きていく事が出来たら最高に幸せだと思います!!