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夕虹は晴れ

#1 雨催い


「人気バンドのボーカル急逝に衝撃」というタイトルに釣られ、俺はそのネットニュース記事を開いた。

「5月27日、都内で人気音楽バンド、『レインボーレクイエム』のボーカルを務める虹駆そら(20)が亡くなっていたことが分かった。同バンドは昨今の大学バンドブームを牽引する存在である一方、同メンバーは約半年ほど前から『数万年に一度のかわいさ』と称され、音楽活動だけでなくラジオやYoutubeなどでも活躍していた。
葬儀は近親者のみで行われ、後日お別れの会等を開く予定もないとしている。突然の訃報にファンからは悲しみの声が多数あがっている。」

電車に揺られながら、俺は目を丸くした。虹駆そらが亡くなったこともそうだが、同い年の人間が亡くなったという事実に、俺は恐怖をおぼえた。

虹駆そらはバンド界隈において確かに有名である。しかし、世間一般の知名度はまだまだであろう。彼女の訃報がニュース番組で取り上げられるかと言うと微妙だし、取り上げられたとしても大々的に報じられることはないだろう。実際ネットニュースのトップは昨今世間を騒がせている、マスコミの過激な取材を疑問視する記事だった。

俺は虹駆そらについて調べ始めていた。複数のネット記事がこの訃報を取り上げていたが、いずれも死因を報じていない。詮索してはいけないということは重々承知している。だが今は探求心が抑えられなかった。


電車に揺られること1時間弱、電車は大学の最寄り駅に到着した。大学は駅から5分もかからないくらいの場所に位置しているため、通学ではほとんど体力を消費しない。昼時の登校が常なので、満員電車であることもほとんどない。

大学に着いたのはちょうど2限終了の時刻であった。大学の食堂はこの時間から混み始める。せっかく満員電車を回避しているというのに、大学で人に揉まれるのはまっぴらごめんだ。俺はキャンパスの隅にある食堂へ向かう。ここの食堂は利用する人が少ない。それもそのはず、この食堂は少し値段が高いのにも関わらず量が少ないというのが学生の間での共通認識となっている。メインの食堂ではカレーが大盛でも500円。しかしこちらでは通常500円。しかも米の量が少ない気がする。

でも俺にとってはメニューの値段より人が少ない方が嬉しい。落ち着いて食べられる。いつものように俺はキャンパスの隅の食堂に入る。なんだかいつもより学生が多い気がするが、メインの食堂に比べればだいぶ少ない。

いつも通り俺はカレーライスを注文する。5秒ほどで提供されたカレーライスをお盆にのせ、食堂の隅に移動する。隅の食堂の一番隅にいるということは、俺は大学の一番端っこにいるのだろうか。俺はどんだけ端っこが好きなんだよ。そんなことを考えながらカレーライスを口にする。カレーを食べながら、頭の中では先ほどのニュースについて考えていた。

食べながらスマホを開くと、SNSでは彼女の訃報について盛り上がりを見せていた。
「ショックすぎる…」「ご冥福をお祈りします」「死因公表されてないけどなんだろ…」「たぶん自殺だよね?」「自殺はショックすぎるって」「最近自殺多くね?」

彼女の死を悔やむ声から、死因を勝手に考察するツイートと様々な声が上がっていた。SNSのいい所と悪い所が顕著に表れているような気がした。

――まったく、好き勝手言いやがって。

聞くつもりはなかったが、すぐ後ろで食事をしていた2人組の会話が聞こえてしまった。
「虹駆そらって自殺…なのかな?」
「まあそうじゃね?公表してないってことはそうだと思うよ」

SNSでは虹駆そらの死因について、自殺だという説が有力視されていた。そのうち自殺だと断言する者が現れ、あっというまにデマが広まるだろう。
確かに本当に自殺の可能性もある。その可能性を後押しする要因も知っている。

しかし、俺は自殺なんかじゃないと思う。自殺だと信じたくないだけかもしれない。ただ、もしほんとうに自殺でないのならば、デマが広がることは彼女にとって辛いことだろう。ならばせめて俺一人だけでも、自殺ではないと信じてあげなければ。俺は約一カ月前のことを思い出した。



俺は4月末、友人の後藤の誘いで、うちの大学の軽音部ライブに行った。新歓ライブと題されたこのライブは、今年度から入学した1年生をターゲットとしたライブだが、俺のようにただ単に知り合いに誘われたという人も多く来ているらしい。一般客は入場不可であるため、この狭いライブハウスを埋めているのはうちの大学関係者ということになる。
ライブハウスを貸し切りするにはかなりの金額が必要だったと思う。身内のライブであるため入場料こそなかったが、千円くらい払ってあげたかった。俺一人が払ったところでどうこうなる問題ではないが。

俺はライブハウスでも右端のほうを陣取った。
後藤が組んでいるバンドが最初に出てきて、会場を盛り上げる。バスドラムがスピーカーを伝って俺の内臓に響いた。爆音のせいで既に耳はイカれていた。
何組かのバンドが有名アーティストの曲をコピーして披露していく中、次に出てくるバンドはオリジナルバンド、つまり自分たちで曲を作っているバンドらしい。この『レインボーレクイエム』というバンド、名前をどこかで聞いたことがあるようなないような…。

転換が終わり、いよいよ『レインボーレクイエム』の出番だ。
バンドメンバーが順々に登場していく中、ボーカルがステージに上がると、ライブハウスはこの日一番の盛り上がりを見せた。そして俺は彼女の姿を見て、レインボーレクイエムというバンドが何者か分かった。

―――あ、虹駆そらがいるバンドか。

そういえば同じ大学の軽音部所属だった。
虹駆そら、半年ほど前からSNSでプチバズりしていた。バンドとしての活動もそうだが、それよりも端麗な容姿に注目が集まった。
一部のファンからは「数万年に一度の可愛さ」なんて言われていただろうか。世間一般の知名度としてはまだまだかもしれないが、同年代のバンドファンの間で彼女は有名人だ。

虹駆そらの歌声は圧倒的であった。比べるのは良くないかもしれないが、さきほど歌っていたバンドボーカルとはレベルが違う。彼女を見て挫折し、バンドの道を諦める物もいるだろう。

レインボーレクイエムの出番はあっという間に感じた。
レインボーレクイエムが終わると、観客の人数が一割ほど減った気がする。きっと虹駆そら目当てで来た客たちが、目的を達成したため帰ったのだろう。

俺はそういうやつらとは一緒にされたくないし、他のバンドメンバーの気持ちを思うととても帰れなかった。というかもともと最後までいるつもりだったし。

約2時間ほどで今日の公演は終わった。また明日、明後日と新歓ライブは続くらしいが、俺を誘ってくれた後藤の出番は今日で終わりのようだ。

公演終わり、俺はまずお手洗いを探した。公演中ずっと我慢していたので、早くトイレに行きたかった。最初トイレに先客がおり、なかなか出てこなかったため、他にトイレが無いか探してみたが、どうやらトイレはこの一カ所だけだった。3分ぐらい待って、ようやく難を乗り越えた。

会場内のお客さんはほとんど退場しており、残っているのは軽音部くらいだった。一人で会場を後にする。会場出口を出てすぐ脇にある自動販売機の前で、一人の女性が頭を抱えていた。自動販売機の照明に照らされた彼女の姿は、まさに数万年に一度と称される可愛さだった。

彼女――虹駆そらは、自分がちょっとした有名人だという自覚が無いのか、特に顔も隠していなかった。ただ顔を覗くと、困惑の表情を浮かべていた。小銭を入れては、上手く認識されないのか小銭が戻され、戻された小銭を入れては戻されるを繰り返している。

有名人に話しかけるのは気が引けた。キモいファンとか思われないだろうか。それと同時に、困っている人を見て見ぬふりするのはどうなのかとも思う。
俺は迷った挙句、話しかけることにした。
「…どうかしました?」
やばい。初対面にしては暗いトーンで話しかけてしまった。キモめのオタクみたいではないか。
虹駆は最初目を丸くしていたが、すぐに天使のような笑顔を見せた。
「あ、えっと、硬貨が入らないんですよね…」
「硬貨が?」
「ええ、この自販機なんですけど」
「なるほど、何回入れてもだめなんですか?」
「はい…」
俺は少し緊張していたらしい。終始暗いトーンである。
対して虹駆は明るい表情に明るい声。油断したら好きになってしまいそうだ。
「あ、その硬貨、旧五百円じゃないですか!」
「キュウゴヒャクエン?」
「あ、えっとその五百円は少し古くて、今の自動販売機では使えないんですよね」
「なるほど!それじゃ何回入れても使えないわけですね」
「他に硬貨あります?」
「他は…現金が無くて…」
「交通ICとかは?」
「あーっと、カバンの中ですね、中に置いてきてしまいました…取りに戻らなきゃ」
「…そしたら俺百円玉あるんで…買いましょうか?」
しまった、調子に乗った。俺からしたらこんなにかわいい有名人に飲み物を奢るなんてむしろ嬉しいのだが、向こうからしたら初対面の人に奢られるのは怖いだろう。びっくりさせてしまったかもしれない。
「えぇ悪いですよ」
虹駆は遠慮がちにそう言った。よかった、引かれてはなさそうだ。
「いえ、百円くらいいいですよ」
「えー、じゃあ…お言葉に甘えてもいいですか?」
俺は財布から百円玉を取り出す。
「何飲みます?」
「えっと、このサイダーで」
「はい、甘いやつ飲むんですね。意外です」
「…どんな偏見ですか?」
虹駆はニヤニヤしながらそう言ってきた。虹駆は「別にアイドルではないんで」と呟いた。
その後虹駆に同じ大学であることを伝えると、学部やサークルのことを聞かれた。
「文芸部ですか」
文芸部というサークルに所属していることを伝えると、だいたいこんなリアクションを取られる。ピンとこないのだろう。
その後何を話したっけか。ほんとうに他愛もない、当たり障りのない話だった。

「ありがとうございます!助かりました!」
彼女は満面の笑みを浮かながら、ぺこりとお辞儀した。彼女の天使のような笑顔は俺の心臓を容赦なく射貫いてきた。
「今度お返ししますね」
「いいですよ別に。というかまた会う機会なんてあるんですかね」
「うーん、生きていればどこかで会うんじゃないんですか?」
「そんなもんですかね」
「…サイダーでいいですか?」
「じゃあそれで。まあ、なんでもいいですよ」

虹駆は先ほどより軽く頭を下げると、その場から立ち去りライブハウスの中に消えていった。

入れ替わりで、後藤がライブハウスから出てきた。背中にはギターケースを背負っている。
「ごめん待った?」
理由をつけて先に帰るつもりだったが、結局変えるタイミングが一緒になってしまった。
「待ってないよ」
「待ってるじゃん」
「そういえば、虹駆そら出てたね」
「え、言ったじゃん俺」
「あれ、聞いてなかったわ」
「レインボーレクイエム来るから誘ったのに!」
「いや、お前自分の歌声聞いてほしいだけだろ」
「…ばれた?」
「ばればれ」
俺は後藤と共に最寄り駅へ歩いた。雨粒が肌に触れた気がした。

この時は、まさか彼女が一か月後に死ぬなんて思っていなかった。
俺は未だに、彼女の死を受け入れられずにいた。
ましてやネットで噂されている自殺説なんて、ありえないことだと思った。
とても思い詰めているようには見えなかったのである。
一カ月の間に、何かあったのだろうか。



続く

※この記事はフィクションです。






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