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怒らない自分の話

なんで怒らないの?

これは僕がよく聞かれる質問です。
なんでか聞かれても、知らないよと思っていたのですが、自分でも不思議に思えてきたので最近よく考えています。

バッサリ結論から言ってしまうと、他の人に期待してないからではないかと考えています。もっとも、他人に興味がないというのは単に人と話さないとか遊ばないとかそういった類のものではなく、もっと本質的な話です。


怒りには何種類かあると思いますが、大きく二つに分けると、
①相手に対して不満があり、それを相手にぶつけることで発散する。
②相手に変化を求める劇薬として怒りを使用する。

これらが考えられるのではないでしょうか。

①は喧嘩のもととなるような怒りで、②は先生や親、信頼できる友人などに怒る状況が想定されますね。こう考えてみると、怒りには必ず対象となる人がいるということがわかります。
もっと細かく言えば、①の「相手に不満を持っている状態」というのは相手に何かしらの期待をしているということになります。こうしてくれるだろう、これをやってくれるだろうという期待があるからこそ、それが達成されずに不満を持つのです。
②では真剣に相手のことを想っていることがうかがえますよね。相手のことを考えた結果、嫌われる覚悟でものを言うということです。これも相手に変わってくれるだろう、という期待の下で行われるものです。

少し話はそれますが、僕は怒りの9割以上は①によるものだと思っています。「お前のためを思って~」というような”言い訳”がたまに聞かれますが、大体は鬱憤を晴らしたいだけでしょう。


とりあえず、怒りという感情を自分なりに分析してみたところで、他の人に何かしら期待していると怒りが発生するのではないかということがなんとなく見えてきました。これを踏まえると、他の人に期待してないから怒りがわかないのではないか、という冒頭の結論にたどり着くわけです。

たまに怒らない人=優しい人だと認識している人がいます。(僕の周りにも僕のことを優しいと思っている人がいる)しかし、それは大きな間違いだと思います。
怒らない人は他人に期待していない、つまり他人に深く干渉してこないだけであって、優しい人とはむしろ逆なのではないかと思うのです。僕もそうかもしれませんが、「他人に期待しない人」というのは、この人は信用できないなと思ったら何も注意せずにすぐ関係を切ろうとします。
本当に優しい人は、この人ならこれくらいやってくれるだろう!と期待し、その人が何か間違いを犯したら、それを指摘して正しい方向へ導いてくれる人だと思うのです。そこに怒りが伴うとしても。

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