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韓国マスオさん日記 〜ソン・フンミンの父、ソン・ウンジョン監督の体罰について思うこと①〜


語学学校での思い出

 いまから10年以上前、韓国の語学学校に通っていた時のことです。その学校では上級クラスになるとディベートの時間があります。テーマは韓国社会で常に問題になっている体罰についてでした。わたしは体罰について反対という立場で参加することになり、前日には「体罰がいかに子どもの発育に悪影響を及ぼすのか」というデータをせっせと集めておりました。

 いざディベートの時間になり、わたしが発言する番になりました。前日に集めたデータを見せながら、体罰に反対であると主張するわたし。ひととおり話し終えた頃、怖い表情でわたしを睨みつける女性がいました。

 彼女は体罰に賛成という立場でした。体罰を受けることで萎縮した子どもの脳の断面写真まで用意したわたしに対し、彼女の反駁はあくまで主観的なものでした。
「生徒に対して真摯に向き合ってくれる先生がいる。そんな先生からの体罰はむしろいいものだ」。彼女の主張は概ねこんな感じです。最後に彼女はこう言いました。

実際にわたしも先生から体罰を受けたことがある。その時わたしは愛を感じた

 わたしは特に反論しませんでした。正直呆れてものも言えないという感じでした。ちなみに彼女は日本人でした。

体罰に反対する理由

 わたしが体罰に反対するいちばんの理由は、それが「大人VS 子ども」というヒエラルキーのもとで行われるからです。経験と知識、何よりも大きな体と腕力のある大人=教師が、体も小さく自分の感情をうまく言い表せない子どもに対して、暴力や暴言を持っていうことを聞かせようとするわけです。実際にわたしも実の父親からこのような指導を受けていました。父親はわたしに野球をやらせたかったのですが、わたしには運動神経というものがなかった。「なんで言われた通りにできないんだ!」と怒鳴れられるわたし。その時周りにいた友達やその親たちは、父のことを軽蔑するような眼差しで見ていました。
 さすがに外で野球をしている時に殴られることはなかった(と記憶しています)が、家で殴られることは日常茶飯事でした。結果としてわたしは野球のことが嫌いになるし、父の存在が恥ずかしくもあるし、何より大人に対してビビりながら接するようになりました。

 そんな個人的な体験もあることから、わたしは体罰はもちろん高圧的な指導には反対の立場です。子どもを萎縮させ、上からの命令に従うだけの人間に育ててしまう恐れがあります。ただ、先の女性のように「愛情のある体罰もある」と反論する人もいます。わたし自身、教師から体罰を受けた後に「先生だって痛いんだ」と言われたことがありますが、これも綺麗事ですよね。そんなこと言ったらなんでもやりたい放題です。これが50代の上司と20代の部下という関係性だったらできますか。反撃されて大きな怪我を負うのは上司の方です。結局は「大人 VS 子ども」というヒエラルキーを利用して体罰しているに過ぎないのです。大人だったらちゃんと言葉で納得させてほしいですね。

 いまになって子どもの頃を思い返すと、父や教師から怒鳴られたり殴られたことなんか嫌な思い出に過ぎません。「体罰があったから今のわたしがある」と思う人は、自分のトラウマを直視できずにいるのではないでしょうか。かわいそうだと思います。

ソン・フンミンの父が児童虐待で起訴

 さて、なんでいきなりこんな話をしたのかというと、ここ数日韓国で再び体罰が話題に上っているからです。前置きが長くなってしまいごめんなさい。

 6月26日、サッカー韓国代表ソン・フンミン選手の父親であり、「SONサッカーアカデミー」を運営するソン・ウンジョン監督とコーチ2人が、児童虐待の容疑で書類送検され、現在捜査を受けているとの報道がありました。その後の報道で、虐待を行ったとされるコーチのうち1人はソン・フンミンの兄、ソン・フンユン主席コーチであることがわかりました。

 ソン・フンミンはサッカーファンなら誰でも知っているであろう韓国のスーパースターです。2021-22シーズンにはアジア人として初のイングランド・プレミアリーグ得点王に輝いています。彼がこれほどまでに成長したバックグラウンドには、独自の指導を行った父親ウンジョン監督の存在がありました。

 韓国の書店に行くと、ウンジョン監督の著書が平積みにされています。国民的英雄を育てた哲学・指導方法がいま韓国国内で注目されていることの証左といえましょう。それだけに児童虐待容疑のニュースはショッキングでした。

 容疑の内容を補足しましょう。児童虐待が行われたのされるのは今年3月7日〜12日にかけて行われた沖縄合宿においてです。短距離走において制限時間内にゴールできなかったという理由で、のちに告訴することになるA君をはじめ4名の選手がフンユンコーチにコーナーフラッグで殴られたとのこと。さらにA君は合宿期間を通して、ウンジョン監督から暴言を言われ続けたとのことです。
 また選手たちが一緒に生活する合宿所では、別のコーチによる体罰が行われていました。

声明の中で何が語られたか

 最初の報道がなされた26日、ソン・ウンジョン監督はアカデミーのHPを通じて声明を発表しました。

 声明の中でウンジョン監督は以下のように述べています(以下、引用部分はわたしが訳出したものです)。

 まずはじめに心の傷を負った子どもとその家族に深い謝罪の意を表します。また、このような騒ぎを起こしてしまったことについて国民の皆様に申し訳なく思います。

 したことをしていないと、していないことをしたというつもりもありません。時代の変化と法が定めた基準をキャッチできず自分のやり方でのみ子どもたちを指導した点について反省します。

 ウンジョン監督はこのように自身の行動・言動に問題があったことを認めています。

 ただ「告訴人の主張には事実と違う点が多」く、「告訴人側が数億ウォンの示談金を要求し、アカデミーとしては到底受け入れられる金額ではなかったため合意に至らず、現在われわれは正確な事実関係に立った公正な法的判断を待っている」とのことです。

 上の部分だけ見ると一部事実を認め謝罪しているように見えます。しかしそれ以外の部分を読むと、体罰や暴言を正当化するような内容に終始しています。

 わたしが指導する子どもたちは、子どもである以前に将来サッカーボールで生計を立て、家庭を養っていかなければならないプロサッカー選手の卵です。ところがみなさんもご存知の通り、プロの世界は冷たいどころか冷酷です。無数の選手が一瞬のうちに現れては消えていきます。

 わたしも選手として結果を出せず、そんな選手の人生がどんなものであるのか誰よりもよく知っています。プロの世界において「血の滲むような努力」は十分条件ではなく必要条件に過ぎません。

 そのためアカデミーへの入団を希望される保護者の方々には、少なくともわたしがわが子に行ったとおりに指導するとお伝えし、厳しい練習を予告しています。

 「保護者には最初から厳しく指導すると伝えてある。プロ選手を志望する以上、これくらいは我慢しろ」とでも言いたいのでしょうか。そもそも、子どもはサッカー選手である以前に子どもではないのでしょうか。

 ちなみに声明ではコーナーフラッグで子どもを殴ったことについて、制限時間内にゴールできなかった場合は体罰をおこなうと事前に選手たちと「約束」した、と書かれてあります。あらかじめ予告した体罰は許容されるべき、とでも言いたいのでしょうか。

 またこうも綴っています。

 わたしもまたピッチで練習する瞬間だけは、周りに左右されることなく子どもたちの足とボールに全神経を集中し、子どもたちのためにわたしの持てるすべてを注ぎ込みます。そのため、わたしがその都度どんな美辞麗句を使うべきかということに頭を使わないのは事実です。
 しかしわたしが子どもたちに練習させながら、その場を見守る保護者や外部の目に映る自分の姿に気を使った瞬間、それはわたしが子どもたちに100%集中していないということであり、それは子どもの人生に、そしてその家族の歴史に対して無礼だと考えます。

 つまり、練習中暴言を吐くのはそれだけ集中しているから、ということなのでしょうか。

 そして声明の後半部分で、ウンジョン監督はこう述べています。

 すべてをかけて誓います、わがアカデミーの指導者の行動において、子どもたちへの愛情が前提として存在しない言動と行動は決して存在しません。われわれは金を稼ぐために、生計のためにアカデミーを運営しているわけではありません。わたしもまた60歳をゆうにこえ、優雅に過ごしたいのです。

 ここでも「愛」が出てきました。結局は「愛情ゆえの体罰なのだから、許容されるべき」ということなのでしょうか。

 声明文を読んでわたしはがっかりしました。目先の結果よりも基礎を重視する指導方法でソン・フンミンを育て上げたウンジョン監督ですら、悪しき慣習を当然のことと認識していたからです。ウンジョン監督はメディアにも頻繁に登場し、最近も自著が出版されたばかりです。それほど影響力がある人物なだけに、児童虐待のニュースは大きく報道されたのでした。

 さて記事がだいぶ長くなってしまいました。とりあえず今回はここまで。次回はこの事件への反響やその後の報道についてまとめてみたいと思います。

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