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眠れない友へ 【だいたい2000字小説】

紺色のハイソックスにローファーを履いていた頃、私のなかには常に言葉があって、メロディーがあった。
瞬発力のない私は、その場で言いたいことも言うべきことも言えないままたくさんの感情を溜め込んで、弁えたフリした優等生だった。
だから、「眠れないよ」と深夜に届いた君からのメールに一曲書くのは、(完成度はどうあれ)ずいぶん容易いことだった。

タイトルは……なんだったっけな。忘れちゃったんだけど。
 “眠りたいのに 眠れない夜
 そんな夜は カーテン開けちゃダメだよ
 輝く空の星が眩しくて
 ますます涙が 止まらなくなるから”
みたいなことをサビにした気がする。

それまでは言葉を殴り書きしてきただけで、実は、あれが初めて作った唄だったんだよ。君にとっては、意外でしょ?笑
覚えたてのコード進行と、
アコギでの“F”はなかなかマスターできなくて、それを避けるためにカポつけたりして。

初めて、お披露目した。

場所は、別棟の家庭科室前。
モップがけされた後の湿った匂いと、それにもかかわらずまだ埃っぽい廊下に、私たちは対面で座った。
ライトは、私がもたれた壁の窓から差しこむ西陽。
君の額に、うっすら滲む汗が見えた。
観客は、君だけ。
階下からダンス部の賑やかな声が漏れてくる。階段を上がってくる気配は無さそうだった。
50メートル先のガラス扉の向こう、渡り廊下から人の気配が去るのを待つ。
私と君のほかには誰もいないことを何度も確認して、そーっとギターケースを開く。
君は、神妙な面持ちで私の所作を観察していた。
あの視線は、ちょっと、いや、かなり、緊張したな。

その日、私は、人の涙腺が決壊すると、鼻水が容赦しないのだと初めて知った。
君の大きくて丸い漆黒の瞳が溺れているなー、夕陽が反射して綺麗だなーなんて見ながら歌っていたら、ぼろぼろ溢れていくんだもん。ずずずって、鼻の下まで。
そんなつもりじゃなかったから、なんだか恥ずかしかった。
私たちはひとりぼっちで、それをちゃんとわかってて、でもそれが怖くて、時にはトモダチと群れたりコイビトを作ったりして、それでもやっぱりひとりぼっちには変わりなくて、“校舎”や“親”に囲われている安心感と、早く自立したい焦燥感と、どうやって生きていくかわからない漠然とした不安にいつも弄ばれていた。
そうして私のなかで育った言葉たちが君の鼓膜を震わせて、君の涙が頬を伝って、君が「嬉しかった」って言ってくれて、それは私にとっての希望になった。
ちゃんと、君と心が通ったのかなって、ほっとしたの。
ほんの少しでも君に届いたのかなって、涙が「ちゃんと届いているよ」って証明に思えて、ああ、良かったなって、ほっとしたの。
救ったとか、大それたことじゃなくて、こんなに非力で無力でバイトさえできずに(そういう校則だったよね)経済力もなくて、生まれてきてごめんなさいって感じの私でも、ちょっとは人の役に立てるのかなって。


それから私は、両手に数えられるくらいだけどステージに立って、そのうち何度かは歌うこともあった。
観客の表情って、思ってた以上にステージからよく見えるのよ。
ライトに照らされた知らない誰かと、目があったりする。
でも、見えなかった。
あの放課後の廊下で見た、君のみたいな涙は、一度たりとも見えなかった。
アコギで駄目だった“F”も、エレキでは押さえられるようになったのに……

趣味。それで終わらせて、楽になれた。

あの廊下から時が過ぎて、君とも会わなくなったよね。
淋しい、なんて私から言うには烏滸がましい。
最近になって、いろんなことがフラッシュバックして、会えない理由を作ったのは私かもしれないことに気づいたから。
君と、私の、ふたりにとって大事件だったはずの出来事を、私が「忘れちゃった」なんて言ったから。
記憶の扉が開いた今なら、思い出せる。
糊がきいた洗いたてのシーツの匂いも、悲しみで歪んだ苦しそうな君も、私の首元にかけられた君の温度や体重も、君の目から私の頬に落ちてきた涙の冷たさも、私が“生”を手離して目を瞑ったことも。ちゃんと鮮やかに、思い出せる。
ごめんね、なんて、きっと虚しい。
だからといって、ほかに伝えるべき言葉はまだ見つかりそうにない。

ただ。
眠れていますか?
その隣に、誰かがいなくても、私がいなくても、ちゃんと眠れていますか?
寂しがり屋の君だったから、それだけが気がかりです。

「眠れないよ」

そんな夜は、また連絡ください。
いつでも、いつまでも、待っています。

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