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noteが背中を押してくれた話。

書きたいけど、書けない日がつづいていた。

文章を書きたい。でも面白いネタはない。
見た映画やドラマの感想を書きたい。でもなかなかうまい文章にならない。
ふと感じたことを書いてみたい。でも需要なんてない。
スキの数で判断されることに凹み、そもそも貰えるほどの文章ではないことを体感して凹み、以前参加してみたフィールド(タグ)の、常連だけで盛り上がってるような内輪的な空気に疎外感を覚えて凹み。
そうやってぐるぐる考えていくうちに、私、別に書かなくてもいいのかと思うようになっていました。

その積み重ねで、書くことが嫌になったわけじゃないけど、書くことに対してまたハードルをあげてしまい、書けなくなっていました。

難しく考えすぎだというも分かってるし、何度も言い聞かせてきた。
趣味なんだし気にするな、やりたいようにやれというのも言い聞かせた。
でも自分で自分を鼓舞するのにちょっと限界を感じていました。
私がぐったりしているのに、私自身で気持ちを高めないといけないのは結構しんどい。


そんな時、noteのロゴが新しくなるというニュースを目にしました。

https://note.jp/n/n909c0f3ab4b6

その記事に書かれていた言葉は、ここ最近更新する勇気が出なくなっていた私の背中を押してくれたのです。

「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」

その一文を読んだ時、ここで書いてもいいんだよと言ってもらえたようで涙ぐんでしまったのです。


先週までNHKで放送されてたドラマ「作りたい女と食べたい女」で、料理を作ることが好きな主人公がいました。
ただ作ることが好きなだけなのに、男の為、将来いいお母さんになる為と見られることにしんどさを覚えていた彼女に、私は共感を覚えたのです。
好きなことをただしたい。それだけなのにうまくいかなくてしんどい。他人からの目とか色々考えてしまって自分が自分でいることに難しくなってくる。
私事のように見ていた時のことを思い出しました。


ある程度の評価があって、うまくないと書いちゃいけないと思ってた。
正直、今もまだちょっと思ってる。
だからこそ「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」という言葉は、自分であげてしまったハードルを端っこに寄せてくれて、一度ストップしてももう一度走り始められるよう道を耕してくれた。
「文章を書いてもいいんだ」「何度もやり直していいんだ」と背中を押してくれた。
だからこうして、久しぶりに文章を書きたいって気持ちになりました。


これから先、また書くことに対して自信をなくすこともあるだろうし、私が書く理由なんてないなと凹むこともあると思う。
でもきっと、少し時間をあけても結局書くんだろうな。やっぱり私は文を書くことがすきだから。

"書くことがすき"を、ここで主張してもいいと教えてくれたから。


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