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「縛られなくていい、感じたまま自由で」


加藤シゲアキさんの「できることならスティードで」

読み終えた後の素直な感想を書き殴りました。


*


私は本を読むのが遅いです。
そして買ってから開くまで時間がかかります。


読むのがもったいないとか時間がないとか、そういう理由もあるっちゃあるけど、一番はなかなか本を開く気持ちに持っていけなかった。エンジンをかけるまで時間がかかった。
これは加藤さんの本に限らず、舞台のDVDなどでもよくあります。買って一旦満足しちゃうパターン。ここは直したい部分の一つです。

(誤解してほしくないのは、読みたくないとか見たくないわけでは決してないので!)


で、いざ読み始めたのが4月の中旬。
「世界一受けたい授業」の放送前にTwitterのフォロワーさんから、ここの部分は読んだ方がいいとおすすめして頂いたことがきっかけでやっと本を開き始めました。
いやいや遅すぎるでしょ、それでファンと名乗っていいのかと自問自答するけど、読み終えた今は「これでよかった」と思っています。そう思わせてくれました。

加藤さんの「縛られなくていい」という言葉が、そっと背中を撫でてくれました。


*


一気に読み終える時もごくまれにあるけど、今回は(今回も)合間合間で栞を挟み、時間がかかってしまいました。
文字を見るとどうも眠くなってしまいまして…。多分、一つ一つをしっかり理解しようとしすぎて疲労しちゃうのかなと。また文字を見て頭で理解するまでに時間がかかるのかなと自己分析しています。

持久走ですぐバテるのと同じで、読書に対する体力と読解力が多分ないんだと思う。これは訓練しかないなあ。持久力をつけるために練習するのと同じで。

また小説の場合、栞を挟んで時間を置くとどんな話だっけとさかのぼることが大変だから出来る限り一回で読みたいけれど、上記の理由から眠気に襲われて、さかのぼることが面倒になり、結果読書に対する苦手意識が芽生えてしまいます。


けど、今回は一つ一つが短いから正直有難かった。今日はここまで、と区切りやすかった。
そんなところからも「無理せず、ゆっくりと読んでください」と言ってくれたみたいで救われました。勝手にそう受け止めることにします。



話が脱線しましたが、このエッセイも全てを読み終えたのが本日5/6。
GW最終日の18時20分頃。
外は雷が鳴っていて、雨がザーザーと降っていて、換気扇の音だけが響いていて、淹れたコーヒーは温くなっていた。


読み終えた後、私は泣いていました。


それも結構な量の涙が出てしまい、一人なのをいいことに「えー、あー、なんだこの涙は」とぶつぶつ笑いながら泣いていました。
今はその勢いのままこの文を書いています。こんな体験をしたことがなかったから、たとえ文章がしっちゃかめっちゃかでもこの熱量を残しておきたかった。


*


涙が溢れたのは二カ所ありました。
(以下、内容のネタバレが含まれますのでお気を付けください)

一つは「Last Trip/未定」の229ページから。

なかなか最後を締めるに相応しい「始まりの旅」へ行けない加藤さんへ、マネージャーさんからふと、ずっと旅行に行っていないことを言われた後の箇所。

「もう『始まり』に縛られる必要はない」

記事になる”面白い旅”に縛られないで、ただ好奇心に呼ばれるがままの旅へ。行きたい場所、見たいものに呼ばれるがままの旅へ。どこにだって行っていいし、行けるんだ。
このエッセイと加藤さんの旅の原点を改めて思い出させてくれました。

私が縛られているわけではないのに、何故かとても安堵してしまいました。まるで架空の人物に感情移入したときのような感覚。
よかった、この方が自由に旅ができて、と。
振り返るとこのエッセイは小説のようでもあり、不思議な作品だったなあ。


そして、「縛られなくていい」という言葉は読者にも言ってくれたようにも思えたし、私はそう受け止めました。
自分でこうでなきゃいけないと決めなくていい。縛らなくていい。もっと自由でいいんだ。

本を買ったらすぐに読まなきゃいけない。読まないとファンじゃない。
ブログや感想も、こう書かないといけない。こう感じなきゃいけない。

これ以外にも色んな事に対して、ああしなきゃいけないとか、こうじゃなきゃいけないと縛っていた部分がありました。そして大体他人から縛られるのではなく、自分で自分を縛っていることにも気が付きました。


なんだか、糸が解かれるように気持ちがするすると緩められ、涙腺も緩められ、自然に涙がこぼれました。



もう一つはあとがきの部分で。

「激動の日々は今も落ち着くことなく、穏やかな日常の尊さを改めて感じます。しかしそれが生きるということなんでしょう」

ここで一気に涙が溢れました。


このあとがきを加藤さんが書いていたのは2020年1月なので、まさか今のこの時期と重なるなんて、なんて嫌な偶然だ、預言者かと思いながらも泣きながらこの言葉を噛み締めました。

未だ先の見えないこれからのことに、あまり不安になりすぎないよう気を付けていました。考えすぎたって自分の首を自分で絞めるだけだと。
けれどやっぱりこわかった。これからどうなってしまうのか。周りの人たちは元気か。この不慣れに慣れつつある状況も、生活の保障が見えないことも。終わりの見えない今がこわかった。

自分で見ないようにしていた不安を、この言葉が優しく刺激してくれて涙にかえてくれました。
だから泣いた後、少し気持ちが軽くなりました。きっと知らない間に不安が蓄積されていたんだなあ、それもだいぶ重く圧し掛かっていたんだなと思います。


同時に、「生きている」ことを感じました。

笑うことと同じくらい泣くことも大事だと思っているので、久しぶりに泣いて「ああ、自分生きてるなあ」と実感しました。大袈裟化もしれないけど、本当に。


*


このタイミングで、この作品に出会えてよかったです。


きっとこれからまた息が苦しくなったり、ふと読みたい気持ちが湧き上がったりして、何度も読み返すんだろうなと思います。既に今、もう一回頭から読みたくて仕方がないから。


また近いうちに、一番印象に残った話についても喋らせてください。




この落ち着かない激動過ぎる毎日に、少しでも穏やかさが戻ったら、行ってみたいところへどんどん足を運ぼうと決めました。
まずは、なかなか会えていない人たちに会いに行きたい。



もっと、ますます、加藤さんのことを尊敬し大好きになりました。
この気持ちも縛る必要なんてない。大声で叫ぼう。


あーーーーーやっぱり加藤さんがすきだ!!
あーーーーー色んな方に読んでほしいな!!
大好きで格好良い加藤シゲアキさんの魂を見てくれ!!



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