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日本人が忘れてはいけないこと

【日本人が忘れてはいけないこと】-正しい日本の歴史より
「ただ一途に、祖国の危機の前に敢然(かんぜん)と立ち向かった若い特攻隊員たちの悠久の偉功を、決してないがしろにしてはならない」
 戦没海軍飛行予備学生の遺族会 理事長 杉 暁夫
穴沢利夫 少尉
福島県出身 中央大学卒 陸軍特別操縦見習士官1期 陸軍特別攻撃隊 第20振武隊 昭和20年4月12日沖縄周辺洋上にて戦死 23才
穴沢少尉には智恵子さんという婚約者がおられた。二人は昭和16年にそれぞれが学生であったときに知り合い、交際を始めたのです。当時、学生同士の恋愛ははしたないものと言われていました。しかし二人の間は本当に純粋な愛情で強く結ばれていたのです。 (引用:群青)

「婚約者への遺言」

二人で力を合わせてつとめてきたがついに実を結ばずに終わった。

希望を持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていたのだ。 時期を失する といふ事が実現してしまったのである。

去年十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く状況は急転した。発信は当分禁止された。転々と所を変えつつ多忙の毎日を送った。そして今、晴の出撃の日を迎えたのである。

便りを書き度い、書く事はうんとある。

然し、そのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。あなたのご両親、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。至らぬ自分にかけて下さったご親切、全く月並みの御礼の言葉では済み切れぬけれど、「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。

今は従に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれる事を信じる。しかし、それとは別個に婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って征きたい。

「あなたの幸せを望ふ以外に何物もない」 「従らに過去の少義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない」 「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」「あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ、穴沢は現実の世界にはもう存在しない」

極めて抽象的にながれたかも知れぬが、将来に生起する具体的な場面場面に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。純客観的な立場に立って言うのである。今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言ってみたい。

1、読みたい本「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2、観たい画「ラファエル 聖母子像」「芳崖 非母観音」

3、智恵子。会いたい。話したい、無性に。

*特に3 穴沢少尉の智恵子さんへの思い・・・伝わってきます。

九州・知覧女学院の生徒たち。
彼女たちは特攻隊員の出撃前の世話をしていた。 事前の検閲のある中、彼女らは多くの遺書を密かに預かった。

前田笙子(知覧高女三年、十五歳)の手記

昭和二十年四月十一日  晩、二十振武隊、六十九振武隊、三十振武隊のお別れの会が食堂であった。(略) みんな一緒に「空から轟沈」の歌をうたふ。ありったけの声でうたったつもりだったが何故か声がつまって涙があふれ出てきた。森要子さんと「出ませう」と兵舎の外に出て、思ふ存分、泣いた。私たちの涙は決して未練の涙ではなかったのです。明日は敵艦もろともになくなられる身ながら、今夜はにっこりと笑って、酔って戯れていらっしゃる姿を拝見して、ああ、これでこそ日本は強いのだと、あまりにも嬉しく有難い涙だったのです。それなのに、私たちが帰るとき「お世話になった、ありがたう」とお礼をいはれた。なんと立派な方々ばかりでせう。森さんと抱きあって、また、泣いてしまった。

昭和二十年四月十二日  (略)隊長さんは私たちを始動車にのせて、戦闘指揮所まで送ってくださった。出撃なさる直前のあわただしい最中なのに、どこまでやさしい隊長さんでせう。 始動車の上から振り返ると、特攻機の、桜の花にうづまった操縦席から手をふっていらっしゃる。(略)つづいて離陸する二十振武隊の穴沢少尉さんの隼機が、目の前を地上滑走して出発線に向ってゆく。私たちが一生懸命にお別れの桜の枝を振ると、にっこり笑った八巻姿の穴沢さんが、何回も敬礼された。 ・・・特攻機が全部飛びたったあと、私たちはぼんやりと、いつまでも南の空を見上げてゐた。涙が、いつかあふれ出てゐた。抱きあって、しゃがみこみ、みんなで泣いた。

*就寝前に 涙がでてしかたがなかった なんて先人達は純粋な魂を持っていたんだろう また九州・知覧女学院の女学生の”これでこそ日本は強いのだと、あまりにも嬉しく有難い涙だったのです。”の文章を読み 崇高な魂を同じ日本人の血が流れていると思うと嬉しくてしょうがないです。 合掌


昭和20年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」に乗って知覧を出撃する穴沢少尉に手を振る九州・知覧女学院の生徒たち。

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