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The Era of Nexter , Can be called Spring time of life ~はじまりのはじまりのおわり~

何通の手紙を読んで、
幾度となく花束を渡し、
数え切れないほど人を見送ってきましたが、

自分がそっち側に立つ日が来るなんて、考えもしなかったんだ。


■概要 : ……長い間!!! くそお世話になりました!!!

最初に、本記事の主題を述べさせていただきます。

約9年前、2012年に細田と二人で立ち上げた
ネクスター株式会社 を12月末をもって退任する運びとなりました。

学生起業してから、ここまでやってこれたのは
何もわからない若者たちに暖かく手を差し伸べてくださった方々に恵まれていたからだと痛切に感じております。

お礼を伝えたい方々をエンドロールに載せていったら何時間かかるかわかりません。
こんな私にお力添えいただき、心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

ネクスターは次のフェーズを迎え、
強固な組織と柔軟に新しいものを作り続ける組織の両面を持ち、より面白くなっていくだろうと感じています。

これまでのこと、これからのことの詳細は以下に記しますが、
今後も変わらずご指導ご鞭撻を賜れますと幸甚です。

この状況下でご挨拶できていない方が多く、大変恐縮ですが、平穏な日々が戻りましたら、
また、食事を楽しみながらお話しできる日を心待ちにしております。


毎年、ひとつの節目としている11月28日ですが、今年はすでに冬が顔を覗かせています。
暖かくして、季節や災禍に負けず、元気にお過ごしいただけたらと思います。

本当にありがとうございました!!

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9月末のチームビルディング

~~~ te ga mi ~~~

ここからは「手紙」を読んでいるような気持ちで読んでもらえたらと思います

手紙だからこそ、読んで欲しい相手がいます。

それは、きっとあなた(かもしれない)です。

翔也 が描画を共有しました


■近況 : 災禍の中とて

これからの話をする前に、最近の話をしたいと思う。

ネクスター株式会社は2020年10月から10期目に入った。
まだ9年経ったかなってところだが、10年後の生存率が10%にも満たない日本において、
「長いね〜」 と言われても、そんな実感はない。
その時々で必死に生きていたからだと思うけど、「よく生きてたね」と言われた方が『そうだよね〜』と同意できる。

そんなネクスターも昨今のコロナの影響を少なからず受けた。
大学生ターゲットのマーケティング支援はほとんどがなくなったし、
アパレルも生産が止まり、リリースが遅れ、ポップアップイベントはいまだに一度もできていない。

それでも今のネクスターは今までで最も安定した状態にあると思う。

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こんな仕事もしたよ [ソーシャルコミュニティマーケティングの黎明期]

数年前からSNSマーケティングにメインビジネスの軸を移行しており、
ビジネスモデルからして、すぐに影響を受けるものではなかったため、収益が揺れることはそんなになかった。

これはアカウントのみんなの日々ひたむきな努力の積み重ねによって、得られた結果だろう。
みんなに誇って欲しいところだよ。

そして、今年から始めたD2Cの事業は想像をはるかに超える快進撃。
Nexter CreatistのCCOであり、Eméllaのプロデューサーである伊藤実祐の魅せる、巻き込むパワーに驚かされるばかりだ。
またそのパワーを最大化しているチームも、目標に向かって自分たちで突き進めるいいチームとなってきた。

さらに、この成功体験を元にリリースを控えているブランドもいくつかある。
それだけでワクワクしない?

この強固な安定基盤と、チャレンジングなスタンス。
これこそが、今が一番楽しく、面白いと思える理由だ。

自分で勝手にガンガン伸ばして行きたい人からしたら、わりと楽しい環境だと思う。

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自粛期間中だったため、Eméllaのリリースをリモートでお祝いをした

■理由 : ≒ → ≠ →

そんな中、今回の件を伝えると、ほぼ間違いなく聞かれることがある。
「なんで今、ネクスターを離れるのかと」

紆余曲折ありながらもたくさんの何かを乗り越えて
ようやく安定と挑戦の両面フェーズに入ることができた。

なにも、コロナで仕事がなくて大変な時代に〜とかも含めて。
それなのに、なんで今。

この決断をするには、おそらくあなたが想像するよりも長い時間をかかったし、
実際に話してから退任に至るまでもそれなりに時間をかけたため、その間にいろんな変化があり、理由はいくつかあるものの「絶対的これ!」というものはない。
だから、少し長くなることを承知で書いていきたいと思う。

始まりは自分と会社の乖離を感じたからだと思う。
創業者にはよくある話だと思うけど、会社は自分の分身のようだと考えることがある。少なからず、僕もそうだった。
それが会社が安定し、大きくなるにつれて自分の分身という認識から少しずつずれていき、みんなの場所なのかなという風に変わっていった。
無論、いいことでしかない。綺麗に言うならば創業者フェーズを抜けたということだ。
今までは何かあれば、自分でどうにかしなければいけないという状況だったが、それを任せられるようになったのだ。
そうしてネクスターが自分の分身ではなく、みんなのための器となった。
(あくまで感覚の話。)

そんな中、自分自身の実体験から新しく作りたいサービス、世界ができた。
それが 【Cinderella Plan】 だ。
Cinderella Planへの想いにあたってはこちらの記事を読んでいただけたらと思う。
https://note.com/k4408/n/nb6b6ccac9624

久々に自分で作ったサービス。
最初こそ、密かにやっていたものの、もっと時間労力等、全力で挑戦したいという思いは着実に大きくなっていった。

そうしてちょうど一年前ごろ、ウィザード として法人化し、本格化させた。
悠巨にはこの少し前に、退任の話を初めて口にした。

そして、もう一つ。
今なお、先行きのわからない東京オリンピック。
微力ながらも創業期に携わっていた身とすると、それを終えてからがいいかな。そんな話をしていた。

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ここまで書いたが、改めて読んでみると
全てが完全の僕のエゴだ。
新しい挑戦をしていきたいという気持ちから、踏み出すことにしました。

また、もう一つやりたいこととして、
僕はかつて起業したものの、元来はものづくりの方が好きで、
自分の好きなものを存分に作りたい。
ネクスターでの仕事でも、いろんなものを作ってきたが、大半はクライアントワークだ。これに関してはとても、勉強になったし、スキルもついたから物凄く感謝している。
ただ、僕がこれから作りたいのは、僕の作品。誰のものでもなく、僕自身の。これもまた、僕のエゴだ。
自分に時間が100%できた今、存分に駆けたいと思う。

最後に、ネクスターが僕という人間がいなくても問題ない組織がCOOの石橋を中心として出来たこと。
なんなら、僕なんかよりよっぽどしっかりしているし、ビジネスのことを知っている。ネクスターの安定基盤の要と言っても過言じゃないと思う。
これがなければ、まだ延長していた可能性は存分にあったからこそ、ありがたく思う。

こういう過程を辿りながら、悠巨と何度も話し、本件は進めていった。

ある程度時間をかけて、引き継げたとはいえ、
創業者であるにもかかわらず、僕自身の意志を尊重して送り出してもらったことを本当に感謝している。

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昨年の忘年会 オフィスで料理大会


■感想 : あの日の僕に、問いかけられたら

起業して良かった?そんな風に昔の自分に問いかけられたら。
自分で書いておきながらだけど「感想」だなんて2文字で書ききれるわけがない笑
最近、ネクスターでの9年程度の歴史を年表っぽく作ろうと思ったんだが、いろいろありすぎて、写真を見ながらじゃないと思い出せなくて、あまりにも大変なもんだから止まったままでいる。(がんばれ俺)

その歴史の中にはもちろんのことだが、
華々しく上場することもなかったし、どこかの大企業にバイアウトして大金を手にすることもなかった。
テレビに取り上げられることもなければ、Forbesの〇〇人!になることもない。
客観的にみて、起業家として大成功を収めたなんて1mmも言えない。

ただ、総論として間違いなく『良かった』と答える。
とはいえ、失敗と成功の回数、どちらが多いって聞かれたら、
失敗の方が9:1くらい圧倒的に多いわけで、
こんな失敗があった。もうしねえって意気込みのしくじり先生でもやっておく。(全部、個人の主観です)

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赤坂の間借りオフィス時代

学生起業は基本、おすすめしない。
お勧めしないと言っておきながら、学生起業だったわけだが、
自分たちが大変だったからこそ、おすすめしない。
数ヶ月でも企業に入っておけば教わるようなことを自分たちで0から調べなければいけない。これが非常にめんどくさい!
少しでも就職する。なんならインターンでもいいから、
会社の全体の仕組み、流れがわかってからした方がいいと勧める。


優先順位を間違えない。
これは、少し大きくなってきてからの話なんだけど、経営者には大切にすべきとされるものがどんどん増えていく。
取引先だったり、社員だったり、お世話になっている方。家族ができることだってあるだろう。それなのに、時間は減っていく(ように感じる)わけだから、
社員全員!平等に大事!っていうことが不可能なこともある。
そうなったときのため、自分にとって絶対的な優先順位をもっておく。
全員平等にして、全員いなくなるよりも、大切な人にしっかり残ってもらった方が有益だと思う。
大切な人を守るということは、自分自身を守っていることにもなるから。
どうか、それを見失わないでほしい。

自分以外、全員他人。
正直、昔は結構期待を持って他人にパフォーマンスを求めていた。
僕自身、ただの凡人だし、同じようにできるでしょって。
それで出来なかったら、なんでってなっていたんだけど、
当たり前で、出来た人も、出来なかった人も、自分以外は全員他人。
そう割り切れるようになっていった。
こうなれる前は、結構叱ってたもんだから、恐い人なんて思われることもあったけど、恐いに特に有益なことはないよね。ホラー映画嫌いだし。

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羽根木オフィス時代の誕生日会


こんな感じで書いてみたけど、本当に書ききれるかよってほどあります。
スタートアップ、ベンチャーなら良いことも、悪いことも書けないことも多々あるだろうから、
どこかでご飯でも食べながら話したりしたいな〜。

念の為言っておくが、ちゃんといいこともたくさんあった。
若くして自分たちでやっているからこそ、可愛がってくれた方々もいると思う。
サバイブ能力は格段に付いたと思う。(ほとんどこれでしかない)
自分の好きなようにできることは多かった。(最悪、事後報告で、こんなことやったよ!ってのもあったけど、これからはお勧めはしないし、ありがとうって気持ち。)
他人の人生に深く関わることも出来た。

うまくいったことも、いかなかったことも、
全部糧にして、生かすも殺すも自分次第。

この先の人生に活かせるものばかりだ。

あの日のNewDaysの決断は間違ってないよ。

■行方 : これからの旅路

上にも書いた退任の理由とも繋がるが、やりたいことは山ほどある。
作りたいものも数えきれない。
辿り着きたいヴィジョンもある。

退任したら、少しは休んでって思っていたんだけど、そうするのももったいないくらいだ。
ひたすらに自分の心に向き合って生きてみたいと思う。

そして、ウィザード
設立して、1年が経った。
婚礼業界、コロナの影響が大打撃とは言え、自分の中で満足のいく進捗ではない。これからは、もっとスピード感とインパクトを考えながら進んでいきたい。

ただ、昨年公開したからか、嬉しいことに結婚式についての相談をもらうことが増えた。
第三者のプラットホームだから慣例にとらわれず、ふたりらしいものをつくる支援をしていきたいし、それにプランナーさんを紹介している。
それがしっかりと形になった時はものすごく嬉しい。

先日、1年越しのインタビューを行ったのだが、その様子はまた別で出したい。とにかく嬉しくて、心からやって良かったって思える。

そういう世界を作っていくために、僕自身が作りたいものをつくる時間。
大切に、貴重な時間を紡いでいきたいと思います。頑張ります。

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新郎新婦とプランナーさんへのインタビュー《後日公開》


■親友 : 細田悠巨

最後に。この手紙を終えるにあたって、書かずにはいられない人がいる。

出会って、12年。
初めて会った日を、今でも鮮明に覚えている。

起業して、9年。
一緒にやりたいと思えた信頼を、今でも変わらずに持っている。

あのとき、悠巨とだから、内定辞退して学生延長しても
起業しようって思えたんだ。
そんな相手、今まで出会った中でも他にはいなかった。

9年間、正直迷惑をかけたことの方が多い気しかしない。
金がなかった時代も、アプリ開発がうまくいかなかった時も、
メンバーとの軋轢なんてどの時代もあったし、死にたくなるほど苦しい時代もあった。

それでも見捨てず、復帰を待ってくれて、何度も信じてくれて。
第三者から見ると、いやいい加減やめなよって言われそうなくらいにダメダメでも、最後の最後まで信じ切ってくれた。
どんな感謝の言葉を並べても足りる気がしない。

かつての部下(のような、後輩のような) が言ってた言葉がある。

「悠巨さんほど、”リーダー”という概念においてピュアな存在はいない」

上手いこと言ったなって思ったが、すごく同意した。
人と丁寧に向き合い、慮り、大切にする。
話す相手を次々と虜にし、みんなを巻き込んでいく純粋なリーダーシップ。
それが12年前と変わらずに輝いてること、純粋にすごいと思う。

そういう悠巨だからこそ、大切な人には紹介したいと思うし、
そんな悠巨だから、一緒にやってこれたとしか思えない。

ここで一度、ネクスターからは離れるが変わらず親友でいてくれたら嬉しいし、何かあれば誰よりも早く、一番に駆け付けたいと思う。
またそのときに、助けられるよう、恥じぬように頑張らねばと思わせてくれる。

何よりも大切なのは、意志だから。
真っ直ぐな意志をこれからも話そう。

何度でも言う、本当にありがとう。

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2人で浸りに行った草津温泉

■最後 : 思い出 は武器になる。

屋上バーベキューで乾杯した夜、
千葉まで謝りに行って見た蛍、
六本木から新宿まで歌いながら歩いた明け方、
歓喜で泣き叫んだ駒沢公園、
毎年のクリスマスは大人数で、
深夜に頬を拭われた六本木。
初めての自社オフィスはテラスハウスみたいで、
誕生日はいつも賑やか。
三本の矢で泣いた8月31日、
真冬に行く沖縄、からのハワイ。
今では10キロ、語り歩く春宵の散歩。
僕たちは、変わらないために、変わってきた。

起業家として大成功はしなかったけれど、よくがんばったねってはなまるをあげたい時代。

僕にとって、ネクスターは間違いなく青春と呼べる時代でした。

これからの、新しいネクスターを楽しみにしています。

本当に、本当にありがとうございました。

翔也 が描画を共有しました 3


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