古事記神話は偽書でなく真書だった(矢原広喜・著)

<<著者>> 矢原広喜

1965年、愛媛県生まれ。1988年、米国で洗礼を受け、聖書を読み始める。1988年、日ユ同祖論に触れ、研究を開始。2006年より、古事記神話は史実性があり、倭民族のルーツは古代イスラエル及び古代オリエント諸国にあるとの結論に達し、資料を収集。

<<本の概要>>

古事記神話(古事記の編集は712年)の真偽論争に、終止符を打つ!古事記の神代はたんなる「作り話」(偽書)にすぎないのか、それとも、歴史事実をもとに書かれたものなのか。本書は、その真偽を明らかにし、長い論争に終止符を打つものである。倭民族のルーツは、古代オリエントにあった! 正しい第一資料を使って古事記神話を解釈すれば、古事記神話を解読することができるという
ことである。

<<本書からの抜粋>>

:ヨセフ・アイデルバーグしの”大和民族はユダヤ人だった”。ユダヤ系ウクライナ人で京都の護王神社の神官。日本の神道と日本語の起源研究に捧げる。

:天皇(スメラミコト)はサマリア(北イスラエルの首都)の陛下。北イスラエルは紀元前722年にアッシリアに滅ぼされ失われた十部族と呼ばれた。ヘブライ語のシャムライ(侍に類似)は元々天皇家の警護役。神武天皇の在位期間は紀元前660年~582年。

:古事記は天皇家の歴史を綴った書。天武天皇の時代(673~686年)まで日本の国号は倭(やまと)だった。高天原が古代イスラエル、倭朝廷は古代イスラエルの天孫が日本に来て天皇となった、との説。

:弥生時代は紀元前10世紀まで遡る説が浮上している。これまでの理解よりも500年早まる。古代イスラエルではダビデ王ソロモンが黄金時代を築いた時期。

:割礼(皇太子のみ)と菊花十六紋章は古代オリエント諸国の王族に同じ。

:養蚕に秀でた秦氏の渡来は四世紀以降。雄略(ゆうりゃく)天皇は秦氏の民を秦造酒に与え秦酒公は多くの村主を率い朝廷に絹を献上した。秦氏の家紋はイスラエル十部族のゼブルン族の家紋と似ている。応神天皇の在位期間は270~312年。

:スサノオ命はオムリ王朝の子孫。フェニキア系高天原原人。

:オシホミミ命(初代天孫。南ユダ王国第八代王ヨアシュ。父はスサノオ命。高天原の太子)は旧約聖書の南ユダ王国第8代王ヨアシュ(紀元前837~800年)

:高天原は天孫の故郷で古代イスラエル、葦原は高天原の植民地(寄留地)で東の島々、根の国はスサノオの故郷でフェニキア、黄泉の国はイザナミ命の故郷で古代イエメン、常世の国はエジプト、夜の食国は月読命の故郷でメソポタミア。

:葦の海はモーセがエジプトを脱出して歩いた海。古代イスラエル人はエジプトで酷使されていた。葦原は神ヤハウェが天津神と国津神に与えた奇跡の安全な海の島々。”原”を使っているのは葦原にスサノオ命の拠点となる出雲の国、ニニギ命の拠点となる高千穂の国が存在したから。

:シュメール人は最初に海外貿易を手掛けた民族。古代人が石や岩に刻んだ石絵をペテログラフというが、シュメール文字は西日本で多く発見されている。紀元前3200年前にシュメール人国家ウルクで使われていたウルク古拙文字を簡素化したもの。元々1000文字が紀元前2000年頃は200~400文字まで簡素化が進んだ。

:タルシン船団はダビデ王が創業しソロモン王も継承。アカバ湾からアフリカ、アラビア、メソポタミア、インドと盛んに貿易を行った。日本では金が採掘され四方を海に囲まれて妨害されにくかったので理想の国であった。

:イザナギ大神は、天照大御神、建速須佐之男命、月読命の三貴子を産み、アマテラスは高天原、スサノオは海原、ツクヨミは夜の食国を治めさせた。

:アマテラスが石屋戸に籠った際に八百万の神々が神事を行い、三種の神器の鏡(八咫鏡)と勾玉(八尺瓊曲玉。神の御名ヤハウェを表す短縮の文字)が製造された。鏡にも勾玉にも”八”が入っているのはオシホミミ命が南ユダ王国第八代王ヨアシュである事から採用されたのであろう。

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