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結局人は変えられないもの

「結局人は変えられない」、指導を長年していて感じます。
このことは、指導者にとっても、選手にとっても重要な意味を持つことです。

私は運動部の指導に携わってかれこれ15年以上になります。指導者になりたての当初は「自分ならもっと頑張るのに、なんでこの人はこの程度までしかやらないんだ」などと感じることも多かったです。

私自身、競技を行うには体格にもともと恵まれていた方ではなく、それを埋めるためにもとにかく練習をして、日々の食事や睡眠といった生活にも気を使うなどをしていました。小さい頃から運動経験があったわけでもないせいか、ひとつの動作を習得していくのにも他の人よりも時間がかかっていたようにも思います。
だからこそ、同じ練習でも人よりも高い集中力、人よりも多くの練習をこなすことを意識していました。余計な話をしない、練習の前後に必ず自主的にノートをつける、1回の練習で他の部員よりも多くこなすようにする、、など。
結果として、インカレで入賞できるレベルになれました。もちろんたくさんの方に支えていただいた結果ですが、自分の取り組みをみて応援をしてくれる周囲の方も増えた感覚がありますし、「自分が頑張る」ことと「応援してもらう」ことの好循環を産んでいたと思います。

そういった原体験がある分、冒頭に書いた通り、指導者になった頃は、選手に対して「なんでこの人はここまでしかやらないのか」であったり、「せっかく体格が恵まれているのに、なぜこの程度なのか」など、自分と比較して、取り組み方が甘いと感じるところにどうしても苛立ちを隠しきれませんでした。

しかし、そうったときに「もっとやろうよ」であるとか、「自分はもっとやってきた、俺の同期だって一緒に食らいついてきたぜ」、「それじゃ勝てないよ、意識高く持とう」とか言っても、なかなか人は変わりません。

変わらないと余計苛立ちますよね。その気持ちわかります。指導者としては責任もあるし、「なんで自分の言う通りにしないんだ」という気持ちにすらなることもあるかもしれません。

しかし、身も蓋もない言い方ですが、人は無理やり外から変えてやろうと思っても変わらないものなのです。なぜなら、変わると決めるのは本人であり、行動を変えるのも本人だからです。
結局、いくら外から声をかけても、最終的には本人が強い動機をもって取り組むことと、それに基づいて本人が行動として変化を起こせるかどうかなんです。

なので、指導者がやることは、声かけもそうですが、そういった動機づけや行動の変化が起こせるようなきっかけを与えてあげること。
試合に出させて楽しい・悔しいといった思いを経験させる、普段接している指導者以外のOBの話をきかせる、現役の強い人の話を聞かせる、他の学校と一緒に練習をさせる、など。

それで変化が起きるかどうかを見ていくことが大事。それもいきなりの急激な変化を期待するのではなく、小さな変化が出るかどうかです。急に心を入れ替える人も中にはいますが、少しずつ雪が積もるように変化していく人も多いです。気づけばいつの間にか顔つきが大人になっていたりもするものです。

なかなか変わってこなければ「まだ変わらないかあ」くらいの気持ちで見るくらいで良いと思います。自分の思うように動いてくれなくて苛立ちそうになったら、「まぁ、そんなもんだよな」程度に思って、きっかけを与え続けて、暖かい目で見てあげるくらいで良いと思います。それくらいの気持ちの方が指導者として、ストレスも減りますよ。

逆に選手は、指導者がいつまでも導いてくれると思っていてはダメ。
自分の競技成績を決めるのは自分のパフォーマンスであり、そのパフォーマンスは自分の取り組みの結果なわけだから、自分で目標に対しての課題を分析して、自分で行動を変えていかないといけない。この意識をいかに早く持てるかどうかが競技成績を左右するということ。

だから、「結局人は変えられない」ということは、指導者にとっても選手にとっても大事なことなんです。


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