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2/2 「キッカケ」のきっかけ

前の記事からの続きなので、まだそちらを読まれていない方はぜひ併せて読んでみてください。

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日本語パートナーズ時代 - お前の常識は世界の非常識 - 

2017年の8月にフィリピンへと派遣された。派遣先は2箇所だった。1つはフィリピンの首都マニラの隣に位置するケソン市にあるケソン市高校というところだ。もう1つはマカティ市と呼ばれるオフィス街で外国人駐在員や現地のお金持ちが住むエリアにあるサン・アントニオ・ナショナル高校(以下マカティ市高校)というところだ。

大学卒業したての私なんかができることなんてあるのだろうか、しかもフィリピンで。文化も教育観も日本のそれらとは異なる環境で不安もあったが、本活動の目的でもある「日本のファンを増やす」に注力することにした。

登校日初日、生徒や先生たちがウェルカムパーティーを開いてくれた。日本語クラスの生徒たちは、浴衣を着てJ-POPに合わせて踊りを披露してくれた。生徒たちも踊っているクラスメートたちを見て、盛り上がっていた。日本語クラスを担当している長のフィリピン人の先生は、料理を振る舞ってくれた。

”雰囲気も生徒たちも先生たちも、全然ちげー!!”

これが登校日初日の感想だった。私は明るい性格で楽しいことが好きなので、良い思い出ができそうだなと不安が期待へと変わっていった。

フィリピン人の傾向として、おしゃべり好きで友好的な人が多いので、数日も経てばあっという間に生徒や先生たちとも仲良くなることができた。

授業を進めるにつれて、自分が受けてきた日本での教育環境とは異なるシーンに出くわすこともたびたびあった。例えば、

・プリントをもらうのに1ペソ(約2円)を払わなければならない
・ずっと筆記用具を持っていない生徒がいる

まず「プリントをもらうのに1ペソ(約2円)を払わなければならない」について。日本では税金でプリンターも印刷紙も賄われているが、フィリピンはそうではない(地域や学校による)。教師が自腹で用意しているため、その分を生徒たちから回収する必要がある。

そして2つ目の「ずっと筆記用具を持っていない生徒がいる」について。日本でこういう生徒に出くわしたら、多くの先生はきっとこう言うだろう。

”なんで筆記用具をいつも忘れるんだ!?"

だから私も同じことをその生徒に言った。すると、寂しそうな顔をしたまま反応しなかった。後から先生に聞くとこんな事実を打ち明けられた。

”お金がなくて、筆記用具も買えない生徒たちがいるんだよ。あの生徒もそう。プリント配る時も払わない生徒いるでしょ?あれは払わないんじゃなくて、払えないんだよ。”

つまり家庭の経済事情がこんな明らかに、そして日常茶飯事になっているということだ。

私は生徒たちに申し訳なく思った。私は自分の常識を生徒たちに押し付けていたのだ。日本では2円も払えない、あるいは筆記用具を買えない家庭はそうそうないだろう。というか親がなんとかして用意してくれる。しかしフィリピンでもそうとは限らない。本当に経済的に恵まれない人たちがいるということを実感した経験となった。

それから私は自分の「常識」で判断するのではなく、まず「どうしたの?」と聞くようになった。これは今でも体に染み付いている。そんな時にもまた鈴木先生を思い出した。なにかあると鈴木先生もまずは「どうした?」といつも聞いてくれた。私が鈴木先生に心が開けるようになったのも、もしかしたら当時のあんな私にも先生がいつも聴く耳を持っていてくれたからなのかもしれない。

話をさっきの生徒たちに戻そう。筆記用具も買えない生徒たちに私ができることは何かというと、何も無かった。というかルール的にアウトだった。個人にお金や物を渡すことは、他の生徒たちにも不公平になる。当時所属していた機関が、そのようなことを懸念していたのは理解できなくもない。しかし目の前に困っている生徒がいるのに、何もできなかった時は歯痒い思いだった。

この葛藤もあり、将来はそういう子どもたちもサポートしたいなとも思うようになった。それと同時に、できることの中で全力で支援し「キッカケ」を与えていこうとも思った。

自分の派遣校以外にも各地の中学高校大学にもお邪魔させてもらった。どの地域の生徒、学生たちは元気で人懐っこい。毎日が楽しくて本当に幸せだった。

楽しい日々もどんどん過ぎていき、気がつくと帰任日が近づいていた。同期は帰国後どうするか決まってない人もいたが、私はすでに決まっていた。

フィリピンで日本語の先生やる

この決意を無事に実現することができ、現在(2022年3月)も働いているフィリピンの語学学校で働くこととなる。


語学学校@フィリピン - 「キッカケ」と「結果」 - 

2019年10月に語学学校へ入社した。その語学学校はフィリピンで一番のビジネス街と言っても過言ではないマカティ市にある。

その学校で日本語を勉強している学習者は基本的に仕事のためである。みんなそれぞれ目標や夢を持って学習しているので、教え甲斐のある学習者たちだ。国を越えて、そんな彼らと一定期間、私含めクラスみんなで同じ目標に向かって走れることは本当に刺激的である。

そしてどうやったら彼らの目標達成を最大限サポートできるか考えさせられている。ある意味、彼らも私に「キッカケ」を与えてくれる存在なのだ。

しかし入社してたった5ヶ月で学校で指導することができなくなった。その理由はコロナだ。フィリピン全土でロックダウンの規制が敷かれ、スーパーなどの生活必需品を除く、全てのビジネスの通常営業が不可能になった。2020年3月からオンラインでの指導を余儀なくされた。

対面(オフライン)での指導が基本だったので、オンラインへの移行で当初は手間取っていたが、なんとか完全移行することができた。学校として初めてのことがありすぎて忙殺されていたので、リモートワークからあっという間に一年が経とうとしていた。

2021年の2月からまた新しいクラスを持つことになった。日本では大手コンサル会社ではあるが、フィリピンではBPOで有名な会社からの案件である。

日本語が話せる人材を確保するために、内定前に候補者に日本語教育を提供し、クラス修了後に採用を検討するというプログラムであった。

クラスが始まり、私は学習者たちに定番のこの質問をした。

”みんな、仕事は何してるんですか?”

するとほとんどの人からこういう答えが返ってきた。

今、仕事はありません。コロナで失くなってしまいました。

つまり、彼らはこの窮地の中でなんとかチャンスを得るために、このクラスに参加しているのである。

この返事を聞いた瞬間、私は彼らの人生を背負わされた気がした。荷が重くなると同時に、私は「彼らをなんとかしてやりたい」という想いに駆られた。

遅い時では深夜まで教材を準備したり、彼らが中間試験に合格できるようにカリキュラムを練ったりした。日本語教師人生の中で一番と言っても過言ではないほど、彼らのために全力を尽くした。13人の学習者と毎週個人面談をして、「彼らのためになるなら」と思い、学習の進捗や悩みも何でも相談に乗った。

そして、企業が指定した日本語の外部試験にも全員合格することができた。(ちなみに企業曰く、この試験は今まで誰一人も合格したことがなかったようである)

私の想いがみんなにしっかりと届いているかのように、クラス全員が同じ方向を向いて、ともに走り切った。

クラスを修了してから1ヶ月ほど経つと、立て続けに学習者たちからメッセージが来た。

本当に嬉しかった。

残念ながら一人だけ内定まで辿りつくことができなかったが、日本語を活かして無事仕事を見つけることができた。

分かりやすい形で、自分が人の役に立っていると感じることができた。

国を越えて「キッカケ」を与え、そしてその人たちが「結果」を掴んだ。

私がやりたいことは「まさにこれだ!」と再認識することができた。


フリーランス日本語教師 - 「自己実現」に必要な「キッカケ」 - 

コロナ禍により、全ての仕事がリモートなった。在宅勤務の時間も長いので、何か新しいことを始めようと思い、フリーランスとしてもレッスンを提供したいなと考えていた。

ちょうど良いタイミングで、知り合いの先生から学習者を紹介していただいたので、教えることとなった。

その方はマイク(仮名)さんという方である。ヨーロッパのとある国から日本に来て、現在はIT関連の企業で働いている。

仕事では日本語を使うことはないのに、日本語を熱心に学んでいる。

日本語をなぜ学んでいるのか聞いたことがある。すると彼はこう言った。

”日本語を話さなくても日本で仕事できるなら、日本でわざわざ働く理由ないでしょ?しかも日本語が話せないと、仕事以外の生活も満喫できないし。そして同僚のピーター(仮名)がレストランで日本語を話す姿を見て、自分も話せるようになりたいなって思った。”

これを聞いて、日本に住む一市民になるために日本語を勉強しているんだなと感じた。日本語それ自体を学ぶことがゴールなのではなく、日本で充実した生活を送るために学んでいる。あくまでもゴールは「一市民になること」である。

もう一人別の学習者を紹介しよう。

その方の名前はキャサリン(仮名)さん。彼女もヨーロッパのとある国の学習者だが、日本には住んでいない。

幼少期からアニメやJ-POPが好きで、日本に対する憧れを持っていたそうだ。

しかし小学生の時にそれが理由で周りからイジメを受け、好きだったアニメやJ-POPを封印することとなってしまった。

成人になった今はそういったことから解放され、自分が大好きな国の言語、つまり日本語を学んでいる。将来は日本に住みたいとも言っている。

この二人以外にももっと多くの学習者を教えてきた。そのほとんどが、言語はもちろん過去や環境にハンデを背負っている人たちである。しかし彼らの共通点は「自己実現」のために日本語を学んでいるという点である。

正直な話、私は日本語を教えたいから日本語教育業界に入ったのではない。国を越えて「キッカケ」を与えたいと思い、この業界に飛び込んだ。

自己実現」をサポートしたい。
キッカケ」を与えたい。

世界10カ国以上の日本語学習者たちと関わってきて、日に日にその想いが膨れ上がってきた。


起業決意 - Mission/Vision - 

元々、起業することは目指していた。しかしなかなか踏み出せずにいた。

そんな中で高校の同級生が声をかけてくれた。そして起業を決意し、動き始めることにした。彼も私に「キッカケ」を与えてくれて、ようやく「自己実現」の第一歩を踏み出すことができた。

その彼と毎日毎日話し合い、お互いのこれまでの経験を共有したり、深堀りしあったりした。高校時代よりも腹を割って話した気がする。

そこでようやく二人で掲げると決めたMission/Visionがこれである。

背景にとらわれず挑戦できる世の中を。
言語や国籍等に関係なく挑戦できる環境を作る企業を目指す。

すごく気に入っている。このたった2文を考えるだけでも何週間も時間を費やした。このMVが出てきた時は、すでに夜中の1時を回っていた。

絶対に実現する。

このMVが決まった時、自分にそう誓った。

(2023/01/30 追記)
この想いに嘘はないが、
会社としてのMVVを考え直した際に、違った言葉がよく飛び交っていた。
現行のMVV誕生秘話については、また別の記事で後日更新します。


最後に - 小さな「キッカケ」が大きな「キッカケ」に - 

全ての始まりは鈴木先生からである。

地元の中学校の先生がきっかけとなり、私は世界にいる人たちに「キッカケ」を与えようとしている。

こうやって挑戦できるのは、あの時に「キッカケ」をもらえたから。

次は俺の番。

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