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書評『高速道路の謎』 渋滞サ知らずの読了

写真は「泉質:透明 源泉温度:39℃」

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2024/05/29 初稿
2024/05/31 追記修正
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 社会的冷遇を浴び続ける自動二輪車は、高速道路でも抜かりなく雑に扱われ、私のとば口は怒りで満ち、タオルを捻り鉢巻き、腹巻きにダイナマイトを差し、どでかいオイルライター片手に、ワンカップ大酒をもう片方の手。易怒に身を任せた特攻型、呪い溢れる文章を楽しく編んでいたのだが、ふと、思う。「何か間違いはないだろうか」と。念の為に「高速道路 本」と、ネットで検索した処見つかったのが本書。
 自身に起きたことを書く場合、記憶や記録を軸に感情を載せ、勢いの加護の下、形にしていくことは容易だ。しかし、それだけでは直ぐに限界を来す。特に現れやすいのが社会との関わり合いが強い内容の場合、端から社会と密接に接合したことを取り上げるとなると、早々に難物と化す。
 見知った範囲を車なり、船なりで移動しても戻ることはどうにかなるものだが、大海原を渡るとなると、知識と経験を要ることに疑いがないように、身の丈を超えた対象を取り上げる場合、自己の感覚だけではどうしてもずれる。
 批判する側がふんぞり返り、違いはあれど、批判される側と出来高はなんだかんだで似たような処に歩留まることに、様々な場面で「それはどうなの?」と、書いてきた手前もあり、勢いに任せて突き進むことを躊躇する。そんな折、頼りになるのが専門家の意見だ。
 著者は著名な自動車評論家であると同時に「6を始まり。8は悪化。10で一人前。12が末期」V型エンジン依存症の民を救うべく「フェラーリ大乗教」というカルト教団を立ち上げた開祖であり、熱心なアクティビストでもあり、高速道路研究家という肩書きも併せ持つ。
☆メモ:改宗するならこれだな

 しかし「専門家に頼れば万事解決」かというと、否である。何故なら専門家の文章は、面白さに力点がおかれることは稀で、読み慣れない文体や、耳慣れない用語は読者を混乱させ、読む側に最低限の知識を求められることがままあり、それが「教養」というものなのだろうが、御多分に洩れず教養を常に在庫切らせる私には、そうした書物を読むということは大変ハードコアな行為であり、社会性のある面倒臭いことを取り上げようと企図した自己に、タオルを捻り鉢巻き、腹巻きに辞書を差し、どでかいオルタネーターを片手に、ワンアップ大関と、文言と趣旨はずれ始め、混乱を来たし、書く文章は自ずと暴れ出す。
 では「かくも専門家は愉快痛快な文章を書くべきか」というと、否である。面白さを優先した場合、研究対象の本質とは違うところに力点が置かれ、それは次第に数値的な人気を目指し、研究対象よりも自身が前に立つことに至るはずだ。判りやすさと、人気を得ることは近しいものがあるが、読後の着地点は異なる。方や気付きを与え、方や社会を踏み台に極端なことを口にしすればよいのような、勘違いを与えることになる。
 では本書はどうかというと、面白い。ではこれは勢いに任せて書かれた内容か? いいや、違う。寧ろ「現実主義」ではないだろうか。既存の仕組みを否定することだけを目的にされた本ではない。何かに偏らないところにも好感を抱く。研究対象に対し真摯であり、所々におかしみが散りばめられ、取り上げる対象ごとに鞍上塩梅よい湯加減。爛熟した技術と年の功を感じる。また構成の妙は、渋滞することなく1日で本書を読了した。
 そもそも「渋滞」とは何故起きるのか。著者は滞る車列の中に自ら分け入り、自然渋滞の背後に日本の自動車運転技術の根幹ありと紐解く。
 思うに、渋滞とは音楽の「ロック」ではないだろうか。我が儘が革パンを履き、ズドドと奏でるものをロックと受け取るか、スキニージーンズにスニーカー履き、内省に向かった音楽をロックと受け止めるかの違いはあれど、アンプにギターとベース。ドラムが共通し、酒や薬や女に乱痴気騒ぎの革パンと、内に内に籠るスキニージーンズの両者は仲良くなりえないであろうが、革パンも、Gパンもパンツの渡りは細く、そいでもってどっちも渋滞にハマる時はハマるのである。
「自然渋滞(アン・プラグド)」がロックであれば「事故渋滞(イン・プラグド)」もロックである。しかし「自然」と「事故」では同じ渋滞でも、これだけ違うのかということを臨床体験を合わせ著述されている。
 そこからは高速道路の歴史に踏み込み、その始まりはイタリアにあり。同時代にドイツではアウトバーンが拵えられ、時は第二次世界大戦前のこと。角帽とちょび髭、メッタ殺し野郎どもが唯一役に立ったこととは此れくらいだろうか。
 ここで一つ想像してほしい。「イタリア」と「高速道路」のマリーアジュ(フランス語)。この二つのアヴィナメント(イタリア語)がどうなるかを。
 高速道路アウトストライダーに制限速度が存在することを知らないイタリア人は、車線というか、コースとしてこれを最大活用し、路肩アウトから路肩インに目がけ、コーナーフォース限界ギリまで攻める情熱的な走りを見せ、それを目にするイタリア人達は賞賛を送るという著述を読み、私は高揚した。
「ふふ、らしくなって来たな」 
 現実は思いとはしばしば異なるものであるが、イタリアは高速道路でも私の期待を裏切らなかったのだが、日本の高速道路と比較検討したいという私の企図は見事に裏切られた。イタリアは日本と比較する範囲に収まるものではなく、その出鱈目なスピードへの愛に声を出し笑った。
 しかし、古き良き(ダメなんだけど)放埒な時代は終焉を迎えた。あのイタリアでも現在は取り締まりが強化され、欧州のスピードバカ達は約束の地、ドイツはアウトバーンに集いし、加速という自由を謳歌しておられるとのこと。
☆イタリアの高速道路最高速度制限は130kmなんですって。

 日本がイタリアから自動車運転の心得を学ぶことは、無謀でありますが、決まりを守るドイツならば、運転に対する姿勢を学ぶことが出来るのではないか。しかし、イタリア同上、ドイツも私の期待を裏切らない。
 あれだけニュースを賑わせてもなお散発的に起こる「飲酒運転」と「煽り運転」を行うドライバーは、何か頭の具合に不備を備えているのかと思うわけですが、追越車線をごゆるり死守されているドライバーにもどとなく思うことはあり、ドイツ人はそうしたドライバーを見つけるやいなや、攻撃的布陣を敷き「お前は頭がアレか」と遺憾無く伝え、警察への不具合報告に躊躇することはないとのこと。
 アクセルを踏むことを悪とする日本は、加速すべき箇所で踏みとどまり、戒律に限りなく近づきつつある「時間厳守(始まりは厳守。終わり時間はルーズ)」の為には、学童交通往来の激しい時間帯に無謀な運転を選択し、この凶暴なクソ真面目に、サグ出しは出来ないものかと思い至る次第でございます。
⭐︎サグ出しとは、ライダーの体重に合わせたサスペンションのキャリブレーション。

 私はこれまで日本の道路は世界最高の物で、各国を凌ぐと思っておりましたが、読後それは誤り、いや、ただの思い込みであり、欧州の道路は恵まれた地形上速度を出すことに優れ、日本は軟弱地盤上に道路を敷設することに優れた技術を持ち、各々の環境に適応し、字面のとおり「道」が車を鍛えていると、考え方を改めさせられたのも本書のおかげであり、車と運転しかり、道路しかり、自動二輪の運転免許しかり、その国の思想と国民性が凝縮される処にも、やはり乗り物って楽しいな、素敵だなと思う次第であります。
 渋滞知らずの読書、あれよあれよと高速道路に関わる雑学が展開され、これを「ジャズ」と書き表したいのだが、「ロック」と、例えてきた手前、それまでの価値観の次にポスト繋がることを願い、ここは一つ「ポストロック」という音楽ジャンルを選択したい。

 読後、知ってしまった故NEXCOへの呪いの呪文を「ああ、くそう。もう、めんどい」と、私は笑みを浮かべ書き直し、著者からはお叱りを受ける箇所もあるだろうが、次世代育成と、高速道路と、都市一極集中化の問題に接合させたものを書き上げることが出来、そこには2009年に出版された本書の影響があり、2024年にてこうして繋がるとは思いもせず、著者へ感謝申し上げます。
 私にとってこれは差し詰め新東名高速道路だ。

 余談。
『自動二輪車 最適化案』を執筆中、本書を目にし驚くべきものと出くわした。というのも、全3回に渡って書いて来た『自動二輪車最適化案』の写真に関わるのだ。
 第一回は始まりに合わせ気筒数をシングルエンジンの雄、カブ。カブといえばそば屋だ。そば屋の前でカブを張り込むが一向に現れず、空腹は限界。たまらず入店した先にて激写。写真タイトル「伸びる 早く」
 第二回は二気筒から選出。SUZUKI GSX-8R (2024)の写真に時代の変革期を込め、写真タイトル「新機軸 (New Standerd)」と命名。
 第三回は三気筒エンジン搭載YAMAHA XSR900 GP (2024 コンセプトモデル)の排気量888ccに合わせ写真タイトルに「八が三つではちみっつ」とした。GSX-8Rと「8」が繋がるようにと選出。古くて新しい時代に変わっていく予兆に満ちている。
 写真を選択し、呪い型の草稿を編み、その後本書を手にし、氏の考案した『首都高都心環状線・8の字一方通行案』を目にし、本当に「8が三つそろったな……。おお!」と、激烈に個人的な瑞兆が炸裂(GSX-8RとXSR900 GPと8の字一方通行案)。
「だから何だ?」と言われれば「なんでもねえよ」でございますが、心内には無限の末広がりに吉兆を覚え「あーあ、寝て起きたらフェラーリ 12チリンドリンが届いてねえかな。マナカナ」と思う次第でございます。
⭐︎フェラーリ 12チリンドリンとは、12気筒搭載スーパーカー。気筒数は丁度、干支十二支と同じ数だ、つまり1気筒1年で考えると、安い! いや、やっぱ高い! 安いわけがない! V型エンジン依存症を慰める(悪化)であろうスーパーなカー。

『高速道路の謎』
著:清水草一
ISBN: 978-4594060220

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