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ADHDは机に向かわない

中学の頃から、1日30分でもいいから机に向かう習慣をつけてください。

そんなようなことを担任の先生から言われていました。

けれども私はそんな教師や親の思いとは裏腹、机に向かう気が起こることはありませんでした。
唯一あるとしたら、絵を描くときくらい。
今回、勉強方法を振り返ったときに、ほんとうに机に向かった記憶、ないな?
と改めて思ったのでした。

とはいえ、勉強が嫌いなわけではなかったと思います。むしろどちらかといえば好きなのでは?
とすら最近思います。
ただ、単純に机に向って勉強することが嫌いだったんだと大人になって気が付きました。

ADHDと診断された時、
正直自分には多動はないし、
なんなら人からも多動じゃないよね?
と言われるのですが、今ならわかる。
めちゃめちゃ多動です。わたし。

主に頭の中が。
そして好きなものにしか興味が向かない。
学校は着席して大人しく黒板に向かう
っていうルールが明確にあるので、
ルールは守りたい優等生
(というか、他人の目が気になるだけ)
だったわたしはルールにしたがって
大人しくしていただけで常に頭の中は
別のことでいっぱいでした。

前の席の子の肩についてる糸くずとか
時計の秒針のカチカチという音、
カーテンから差し込む光の帯がきれいだとか
窓から見える空が青いのはなんでだろうとか
今日はコソコソ回ってくるお手紙が来ないといいなとか。

そんな机に向えないADHDのわたしは、
いまめちゃくちゃ勉強しています。
人生で最上級に勉強していると思う。

ではどんな風に勉強しているか?
今日はそんなお話です。

前置きがめちゃくちゃ長いので、しゃらくせえ!
勉強方法をとっとと教えろよ!
って方は目次から勉強方法のところにスキップしてね。無駄に長いからね!


勉強する=机に向かうではないということ

これですよ。ほんとにこれ。
あのね、多分ひとって勉強したい欲求がなにかしらあると思うの。
でもそれが成果に現れるひとと、現れないひとがいる。何故か?
勉強方法があってないってこと。
それに最近気が付きました。

日本の義務教育


日本は義務教育として、小学校、中学校があります。
概ね全てのひとが、当たり前に通うことができる環境が整っている。
ということはとても恵まれていると思います。
然しながら、全てのひとに教育を与える=教える人がたくさん必要、ということです。
教える人が教えやすい環境。
それがいまの初等教育のあり方だと感じています。
(あくまでも個人的な意見であって、歴史背景などに基づいた考察ではないということを予めご留意ください。そして特定の誰かや職業を貶める意図も無いということは強く主張したいところです。)

全員が机に向かって、先生の授業を聞く。
それがきっと、都合がいいのです。
だからこそ、個人個人に合った支援ではなく、大人が作った枠組みにはまることを推奨される。
先生方にも葛藤はあるでしょう。
これは教育に限らず、福祉にも、ほかの分野にも言えることですが、人が足りないので個々のニーズに答えることができないのです。
それでも、義務教育なので条件を満たす全てのひとに教育を提供しなければならない。
そんな社会背景によって、机に向かう教授型のカリキュラムになるのだろうと推察します。

ところで教授と教示って意味違うの知ってた?


枠にはまれないわたしたち

そんな中に、あたりまえができないわたしたちが放り込まれたらどうでしょうか。
失いますよね。勉強する意欲。
さして興味もないことを、45分とかじっと聞かされる訳です。楽しいわけないじゃんね。
そんな訳で、わたしは本当に、そこに大人しくすわってこそいるものの、興味があること以外は常に上の空でした。

中学ではテスト前の勉強時間を報告する仕組みがありました。
国語、何時間。数学、何時間。
という具合に。
こういうときに、適当にやったことにして
時間を報告するという手もあったのでしょうけど
わたしは嘘をつくこと、ごまかすことを良しとせず、それに対するこだわりが人一倍強かった。
ので正直に報告するのですが、当然担任に呼び出され、釘をさされることになります。
次のテストでは勉強時間が結果に出るよ、と。

でもところがどっこい。

そこまで悪い結果でもない、というところが
先生方には理解できないようでした。

凸凹の凸は知的好奇心から生まれる

当時、クラスの総合点トップ10を掲示する仕組みがありましたが、ほぼ毎回トップ10には入ることができていました。(中学2年の1度だけ、ランキングから外れたことがあります。)
トップ10と言っても、30余人ほどのクラスなので、
15位くらいで平均と思うと10位はそれほど突出した成績ではない、という前提で続きは読んでね。

総合点の内訳を見ると、上位に食い込んでいるひとたちは概ねどの教科も高得点を取っていて、
一部苦手教科がある。というイメージでした。
全てのひとにヒアリングしたわけではないので実際のところどうかはわからないのですが、体感的にはそんな感じでした。

それに引き換えわたしはどうだったかといえば
数学 満点
社会 平均点※
科学 高得点
生物 平均点※
英語G 高得点
英語R ほどほど
現文 高得点(ただし漢字が書けない)
古典 平均点※
※=平均点以下のときもある
のような感じでものすごく凸凹がありました。

興味のあることには過集中、
興味のないことは全然聞いてない。
という授業態度が完全に出ていました。
聞いてないけど点数が取れているのは当時塾に通わせてもらっていたというのが大きいと思います。
一斉授業は向かないので、個別指導を受けさせてもらっていました。(ありがとう親)

ここから見るに、興味があることであれば
集中して授業を聞くことができ、
さらに集中して授業を受けることができれば、
さほど机に向かわなくても点数が取れるということです。
では、実際に机に向かっていないから勉強していないか?というとそうではないのです。

ADHDのわたしは常に頭が忙しく脳内で様々なことを考えています。
学校からの帰り道、あの〇〇した人は誰だったっけ?
この問題を解くときはどの公式を使うんだったっけ?
公式が思い出せないときはこの方法で解けばいいのか。
など、興味のあることに対しては木が枝葉を伸ばすように、無限に疑問が湧いてくるのです。
そして家に帰ったら、もしくは次の日の授業の準備のタイミングで教科書を開き、そうそうこれを使うんだった。と調べるのです。

自分で調べたことって、覚えてますよね。
ひとから聞いたことより、確実に記憶に残る。
それを日常的にやっていたのでしょう。
だからこそ、あえて机に向かわずとも活用できる知識として定着していったのだと思います。

才能とは、努力を努力と感じないこと


いわゆる才能とは、努力せずともできること。
努力をしていないということではなく、傍から見るとめちゃめちゃ努力してると思われることを、え?別に楽しんでやってるし努力とか思ってないよ?
ってことだと思っています。

たとえば絵が好きで、何時間も楽しんで描いていられる。
ネイルのラウンドを満足するまで無限に削ってられる。
飽きることなく物を作り続けることができる。
学べば学ぶほど、深い理論を知りたくなる。

そういうことなんじゃないかな、って最近すごく感じています。
そういう意味で、興味がある分野を掘り下げていくという探究心はわたしに備わっていた才能だったのでしょう。
ちょっと勉強のはなしからずれちゃったけど。


本題に戻って。

現在の私がたどり着いた勉強方法


勉強方法の話するって言ったのにね。
全然その話しないじゃんね。
すぐ懐古しちゃってほんと。

ここ一年くらいで取得した資格が9、現在進行系の資格が3個あるのですが、実技系の試験も含めて全てに筆記試験がありました。
それらをどんな風に乗り切ったか、振り返ってみます。

前述した義務教育との違いは、
強制されているわけではなく自分が望んで勉強しているという点です。
その時点で前提がそもそも違う、というところはお含みおき頂きたく、よろしくご査収申し上げます(急に何?)
大人になってまでやりたくないことやりたくねーや。

もちろん、興味なくてもお仕事の関連とかで取らないといけないとかもあるかもしれないけど。
そういう場合にも、勉強する方法がひとつじゃないって考えるだけで、ちょっとは気が楽になるんじゃないかな。

自分が望んだとはいえ、苦手な教科ももちろんありました。特に福祉系でチャレンジしている資格があるのですが、そこではホントに暗記系科目に苦しめられた。
それでもなんとかギリギリ取れたというのは、ものすごい進歩でかつ、発見でもありました。
(そもそも興味ないことはやらないスタイルだったからね?)

テキストは辞書

テキストが読めません。
読書は好きなんだけど、昔からとにかく教科書の文章が苦手です。
目が滑ってずっと同じところを読んでしまうし、
図1では、など色んなところに情報が飛び交っているのも苦手なのかもしれません。
図のイメージって、自分の感覚と合わないとよけいに混乱するというところもありますね。

なのでテキストは辞書=調べたいことを調べるためのもの。
として使うようにしています。

どういう時に使うかと言うと、こんな感じ。
・頭の中での復習でわからなかったこと
・問題集を解いてみて、間違えたところ

勉強始めるときはとりあえずテキスト読めみたいなとこあるけど、ほんとに読めないので。
わからないまま問題集といちゃってもいいし、
テキストのかわりに動画みたりしてもいいと思います。そのあたりのツールの使い方も次の章で。

視覚優位なのか、聴覚優位なのかで使うツールは変わる

テキストとの相性って、本当にこれが大きいと思います。
あと文章と動画やイラストどっちが入って来やすいかとかもある。

わたしは、視覚+聴覚の両方から情報を入れるというのがいちばん合っていました。
APDの気もあるので、初めて聞く言葉は言語として聞こえない場合があり、音としては聞こえているけど言葉として認識できないという状態になります。
なので、動画での勉強が性に合っていました。

独学ではなく、すでに授業を受けていておおよその言葉の意味や、内容が入っているのであれば
音声だけでも良いのかもしれません。

ツール類の活用法


ここで、勉強に使いうるツールを思いつく限り上げてみましょう。

①テキスト
②聞き流し系
③動画
④アプリ
⑤問題集
⑥自作ノート
番外編
⑦google検索

もしこの中にまだ試してないものがあったら試してみてね。世の中には有益なツールがたくさんありますので。

わたしの使ってみた感想としては以下の通り。

①テキスト
公式のテキストはほぼ使いません。
本当に辞書としての使い方。

ただ、独学で勉強していたものはどうしても拠り所になるものが必要だったので、自分になるべく合ったものを探しました。
文字が少なく、イラストでの解説が多く
各章ごとに練習問題がついているようなものです。
というかそれくらいしか読めませんでした。
イラストがいっぱいあっても読むの苦労しましたし…。
資格系でいちばんお世話になったのはユーキャンですね。高いだけあって要点がまとまっていて読みやすいです。

2024年版 ユーキャンの保育士 速習テキスト(上)【フルカラー&別冊ポイント集】 (ユーキャンの資格試験シリーズ) 

②聞き流し系
ほどほどに勉強が進んでる状態で聞くのはすごく良かったです。
試験の前日は家事しながらも寝ながらも聞き流しをずっと流していました。
時間を有効活用できるという点も◎

③動画
視覚と聴覚、どちらからもアプローチできるのがメリット。
ただし、見ないといけないし聞かないといけないのでその間ずっと画面にはりついていけないというところがデメリット。
ADHDはながら勉強が向いてる気がするので、あんまり向かないかもしれない。
ただ、イメージ図とかを見ながら解説してくれるのでイメージ重視の方にはオススメ。
動画は合う合わないがめちゃくちゃあるので、ちょうどいい動画を探しだすのが大変というデメリットもありますね。

④アプリ
一問一答アプリ的なやつ。
一時期試してみましたが、あんまり合わなかったかなぁという印象。
クイズ的に解いていけるので楽しいっちゃ楽しいけどすぐ問題覚えちゃって早押しクイズみたいになるので理解が深まるか?と言われると謎。
解説もついてたりするけど、例のごとく解説も目が滑るのでね‥?

⑤問題集
めちゃくちゃ解いた。
そして一個の問題集じゃなくて色々な問題集を解いてみるのがオススメ。
実際の試験をイメージしたものから、もっと深掘りさせるようなものまで様々。
色々解いてみると、自分の理解度もわかるしこの視点から聞かれたらわかんないなー、とか発見がありますよ。

設問のとなりに□を書いて、対角線上に一本線を引いておく。
1回目解けたら上の▲を塗りつぶす
2回目解けたら下の▼を塗りつぶす
とやっていくと、□のまま残ってる問題が毎回間違える所、というのが一目瞭然なので
苦手なところを解き直す際の時短にもなります。

でかい問題集はなんせ重いので、単元ごとに切り取ってクリップで止めて、仕事の休憩時間とかにやっていました。
※ボロボロになるので使い終わったら売りたい人には向きません。

⑥自作ノート
全ての単元でノートを作る、ということはしません。
授業での板書はもちろんしますが、それを改めて整理し直したり、独学の場合であっても苦手な部分の整理のために作ります。

ノートを作る目的は書いて覚えるため、ではなく情報の整理として。
何と何が関連づいているのか、や
文字で分かりづらい部分をイメージや語呂で想像しやすくするためです。

東大生のノートには、矢印や落書きが多い


らしいよ。

エリザベス救貧法 → 新救貧法
↑            
「人口論」でめっちゃ批判される
マルサス「貧困はその人に問題がある!!」

みたいな感じです。
これは一例ですが、
・エリザベス救貧法を人口論の中でマルサスが批判。
・マルサスは貧困は本人の責任だ、的なことを言った。
・それによって新救貧法ができた。
・新救貧法では、救済されるひとは
 低賃金で働いている労働者より低待遇でないと
 ダメ、ってことになった。
という流れを表しています。

そしてこの関連付けができていると、
以下のような問題が解けるようになる、ということです。

問1.以下を古い順に並べなさい
マルサスの人口論
エリザベス救貧法制定
新救貧法制定

問2.新救貧法は劣等処遇の原則を定めた。○か✕か

東大生はこれを板書しながら適宜補足していっている、ということですね。
そうすることで、ただの文字の羅列だったものがストーリーになり、イメージが記憶に残るという仕組みなのかな。
わたしもノートにはめちゃめちゃ落書きします。
語呂とか自作の歌とか、悪意のある落書きとか。

教科書に落書きする奴いるじゃないですか。(わたしだ)
落書きするとなんか愛着がわくので記憶に残りやすかったりするんですよね。あと変なあだ名。
(光学のニュートンは私の中で光を放つおじさんとして認識されてます。興味あったら画像調べてみてね。)

このあたりの勉強方法を知ってたら、学生時代もっと社会の授業楽しめてたと思うよ。

⑦google検索
これは番外編ですが。
調べ物するのにももちろん使いますが、
テキストの図と相性が悪いとか
テキストの文章がわかりにくいとか
そういうときにめちゃくちゃ使いました。
いろんな表現を見ることで、あー!そういうことか!ってなることもあるし、
そういう視点からも見れるのね?なるほど!
と学びにもなるしなんせ調べ物はめちゃめちゃ実になるのでオススメです。

使ったものはこんな感じかな〜?
あとは実際に受けた人のブログとか読みましたね。
どの問題集がよかったとか悪かったとか。
勉強する上で先人に学ぶのも大事だなと。


時間の使い方が重要


結論、大人になった今でも机にはほぼ向かいません。
ほんと、業務中の休み時間と業務後くらい。
そこにいないといけなくて、なんか時間があるときくらいしか机には向かいません。
ながら勉強のほうが遥かに効率がいいと気がついたので。

休み時間、業務後→ノートで整理or過去問解く
行き帰り→脳内復習、電車なら動画、聞き流し、過去問(赤シートとか使いつつ)、調べ物
お家時間→作業しながら聞き流し、ベットでダラダラしつつ動画

という感じで、お家時間も気が向いたらって感じだったので1番多く使ったのは通勤通学時間じゃないかな、って思います。

スキマ時間って実はすごい効率よくて
あと一駅だからここだけ見よう、とか時間の区切りがハッキリしてるとこですよね。
そして通勤通学なら毎日のことなので、掛け算すると結構な量になります。
強制的に中断せざるを得ないので集中するし。
うっかり過集中して知らんところにつれていかれるのはほんと注意してもろて。

おわりに



こうやって使ったものや、どんな風に時間を使うか書き出してみるといかに気質がADHDかよくわかります。
発達さんが仕事でも勉強でもなんでも、成功するには環境が重要というのが良くわかる。
そして、義務教育という枠から脱したことで勉強って楽しい、って気持ちを取り戻せたのが私にとってはとても嬉しく、幸運なことだったと思います。

なんか幼少時代とかを思い出して、大変だったよな‥って振り返ることができるのもいまほどよく愉快に生きられているから。
窮屈な枠組みを飛び出したら、苦手だったことも、評価されなかったことも、もしかしたら強みになるのかもしれない。

この記事で誰かの憂いが、小さな希望になったらうれしいです。
今回はなんだかめちゃめちゃ長い記事になってしまい、すみません。
気が向いたらノートとか落書きとか追記するね。
気が向いたらね。


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